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拗らせ男子、短編小説入門。(4杯目)

アーノルドのいない夜

十二人の老人たちは、静かな終の住処を求めて都会の外れのシニアハウスに入居した。皆シニカルで厭世的、他人と親しくする気もないが、唯一のこだわりは「食事がきちんとしていること」だった。そこでハウスの経営者は若い料理人アーノルドを常駐ヘルパーとして雇い、彼は毎日工夫を凝らして食事を提供していた。

「こじゃれてるね」「塩鮭がいい」「見栄えより味だ」

と文句を言いながらも、彼の料理を楽しむひねくれ具合の日々だ。

ある日、アーノルドは妹の入院のため、一晩だけ帰郷したいと申し出る。老人たちは冷えた食事を拒み、デリバリーで済ませると言い張るが、彼の留守中、誰も部屋に戻らず食堂に集まっていた。そんな中、哲郎が

「本当は秘密にしておきたかったんだけどね、僕は昔、ヨコハマで洋食屋をやっていたんだ」。

と昔洋食屋を営んでいたことを明かし、それをきっかけに他の老人たちも料理経験を語り始める。皆、長年自分の食事を作り続けていたことに気づき、協力してクリームシチューを作ることになった。調理を通して自然と会話が弾み、これまで知らなかった互いの過去を語り合う。完成したシチューを味わいながら、彼らは長らく忘れていた温かい時間を共有した。

「このことは、アーノルドには内緒にしておきましょう」。

翌朝、戻ったアーノルドに対し、老人たちは何事もなかったかのように振る舞いながら、「もう二度とこんなことはないように」と不満を口にする。しかし、その顔には笑みが浮かび、彼らはまるで共犯者のように笑い合うのだった。訳がわからないアーノルドもつられて笑う。


一見心地よく物語が終わったと思いながらも、この舞台は「二十一世紀後半」「七十代後半〜九十代の利用者」「恒常的なヘルパー不足」とリアルに設定されている。

介護の現場は何度か見た事があり、私が高校生の頃には、大伯母が利用していた伊丹の恐らく高所得層向けの高層マンション施設に偶然立ち入った。教育されたホテルさながらの若い従業員の応対はもちろんだが、書斎の雰囲気といい、部屋から見える景色といい私にとってはそれこそ非日常であった。一番印象に残ったのは、レストランで用意される食事が利用者の好みに合わせ調整してあることだ。その時頼んだ和風パスタはもちろんだが、お浸しの味の繊細さは高校生の私の脳裏に今でも焼き付いているくらいだ。打って変わって地方の老老介護的な施設の現場も昨年目の当たりにしたので、比較したくはないが既に人手不足なことは一目瞭然であった。

この物語は「読み物としての物語」で終われない介護現場の理想が描かれている。例え豊かな学歴・肩書き・教養・経験をお持ちのご老人であろうが、コミュニケーションのままならない方を相手にし続けることは、ただでさえ経験不足な私には全く想像できない夢物語に映ってしまった。これを現場の同世代が読んだらどんな意見が飛び交うのか正直気になるところだ。

しかし、そんなリアルな現場に縁あって私を連れ出した「第三の祖母」と呼んでもいいとある「魔女」は、「あなたがしたいことをしなさい。」といつものように言い、どんなに私が落ち込む時期があろうが私の人生を見守っていたりする。

私と魔女との物語は、またいつか。

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