【葬祭業】櫻井 学さん
日本は世界的に見て、長い年月の間事業を継続している企業数が多い国だ。
ある記事によると、日本に1340社も200年以上続いている企業が存在しているという。
我々が住んでいる仙塩地域にも創業200年を超える企業がある。
その企業は、株式会社ごんきやさん。
仙塩地区を中心に提携会館を合わせ県内25の会館で葬祭事業を展開している。
ごんきやの名前を目にした方や耳にした方も多いだろう。
お世話になった方もいるかもしれない。
葬祭の業界はお世話になったことがない人にはあまりなじみがないと言っても過言ではないだろう。
葬祭の会社さんは中でどういう仕事をしているのか。
200年以上事業を継続できている理由の一端は何なのか。
葬祭営業部次長 櫻井 学さんにお話をお伺いしてきた。
仙塩ひと・しごと図鑑ーまずは櫻井さんがどのような経緯でこの仕事をされるに至ったのかを教えてください。
大学を卒業してから、フォーラスや昔のビブレに入っていたお店で、服飾関係の販売員として8年間勤務しました。販売は好きな仕事でした。自分のお店を開きたと思っていましたが、30歳ぐらいの時に景気が傾きはじめて…。転職先を探すことにしました。
私は、昔から「人と話をするのが好きで得意」なので、自分の得意分野を活かせる会社を色々当たりました。たまたま葬儀社というのがあって、「あれっ」と思って。ごんきやにご縁があって働くことになりました。
現在は、葬儀相談や施行を担当しております。後輩の育成にも力をいれています。今年で勤続21年です。
ー服飾の会社でお仕事をされていたことは今も活きているのでしょうか?
はい。販売員として身につけた聴くちからが活きています。
私がお客様の悲しみや思い出を聴いてさしあげることで、ちょっとでも悲しみを癒していただけたらなと思っています。
以前は、お客様のご自宅でお葬式を行うことがほとんどでした。
ご自宅にある日用品や賞状から故人様の好みや功績を知ることができました。日用品や賞状をきっかけにご家族とお話が弾みました。
最近は、自宅に帰らずに直接会館に入る場合が多いのですが、ちょっとした会話から、故人様のお人柄や好みを知ることができます。
思い出話から好物が分かり、祭壇に好物をお供えしてご家族様から喜ばれたこともあります。
この仕事をして以前より聞き上手になりました。
ー今役職が営業部次長ですが、最初から管理職として入ったのでしょうか?
いいえ、最初は一般社員として現場に入りました。今も現場は離れていません。葬祭スタッフとして段階を踏み経験と勉強を重ねて今の立場にいます。
昔は自宅でお葬式をしていましたので、自宅の祭壇の飾りつけから勉強をしました。飾りつけの後は、祭壇の片付けと請求書の説明や霊柩車の運転を担当しました。霊柩車を運転をしながら土地勘を身につけました。
霊柩担当は亡くなった方との最後のお別れをする担当です。
運転だけでなく、葬儀スタッフとしての身のこなしや在り方も身につけました。
その後、葬儀相談と施行を担当。お客様おひとりおひとり、ひと家族毎のご希望をお伺いし、葬儀のご提案と施行を担当をしています。
お客様と色々と話をしていく中で、本来やりたい葬儀が分かってきます。
葬儀にも色々と種類があると思います。
お客様の気持ちを汲んだ提案をできるのが当社の強みだと考えています。
ー転職された時に今までのお仕事と全く違うと思うのですが、不安とかありませんでしたか?
私はあまり深く考え込まないタイプで「何でもとりあえずやってみよう」という精神です。
以前、社長から専門学校の講師を打診された時も「とりあえずやってみよう。できるできないはそのあと考えよう」みたいな。
仙台に国際マルチビジネス専門学校があるのですが、その一年前に違う専門学校で、弊社の社長が葬儀科目についての講師を行っておりました。
それを国際マルチビジネス専門学校の先生がご存じで、そこの理事長さんが社長に声を掛けたことで教えることになりました。そこではホテル科とブライダル科があるのですが、冠婚葬祭を行う会場ということもあり、葬儀の知識も入れたいということで葬儀も教えることになったようです。
社長から引き継ぎ、6年くらい学生さんに葬儀を教えていました。
ー葬儀社って若い人にはあまりなじみがないかもしれないので、どういう仕事をされているか教えてください。
葬儀は色々な宗教が絡むので一概には言えないのですが、グリーフケアをするのが仕事です。
グリーフとは「(大切な人を)失った痛み」のこと。
方法はその人によって様々ですが、グリーフをちょっとでも緩和するお手伝いをしています。
ーこの質問に対しての回答として、大変感銘を受けました。
お話をしたいおばあちゃん、おじいちゃんの話を聞いてあげる。
話をすると、やっぱりお顔が違うんですよ。
自分の想いを聞いてくれたと。
ただ話を聞くだけなんですよ?
でも話を聞くだけでも、最後話し終わった時は全然表情が違います。
何も言葉を掛けないでも、ただ泣いているところの近くにただ立って見ている。それだけでも納得する人もいますし、話を聞けばいいだけでもなく、ケースバイケースではあります。
そういう所はその状況状況で判断して対応する。
その辺は経験です。
この仕事は話をするのが得意な人と言うより、話を聴くのが得意な人の方が向いています。自分のことだけを言うよりは、話を聴いてそれを表現できる人が合っているかもしれません。
ーごんきやさんは208年の歴史があると聞きました。それだけ続いている魅力は何でしょうか?
当社の魅力は3つあります。
ひとつめは
昔からの葬儀の継承をしているところです。
先輩から後輩へ。そしてさらに後輩へ葬儀を継承しています。
弊社は、昔からの自宅葬や寺院葬の施行ができますし、現在主流の会館葬の施行もできます。歴史を守りながら今の主流もできる。両方を知っているのが強みです。
昔の葬式と今の葬式は変わってきていますが、208年の歴史と経験から、葬式を出される方の希望をお伺いしてその方の希望にピッタリと合ったお葬式を提供できます。
ふたつめは
どんな宗教にも対応します。
宗教によっては他の葬儀社さんでは「この宗教は分からないから」と対応できないということがあります。そういう時は当社にお話がきたりします。
そして
地域密着と親しみやすさです。
当社のスタッフは親しみやすく話をするのが特徴です。
都会の葬儀社は都会なりの対応をするところが多いのですが、うちの担当者は親しみやすいです。かしこまっているというよりも親しみやすい。
ごんきやファンのお客様が紹介で来てくださったりします。
つながりがあるので、ながくおつきあいしています。
仙塩地区ならではの「あ~この前はどうも」とかいうつながりがご遺族やご親族の方とあったりします。
トレーニングしているわけではないんです。現場で学んでいます。
ーホームページを見ると海洋葬というのがあるみたいなのですが、どういう葬儀なのでしょうか?
海洋葬は海にご遺骨を散骨するセレモニーです。私が入社した20年前から行っていました。
以前は、海に遺骨を撒くことに良いイメージがなく抵抗がありましたが。
最近は、「自然に還す」イメージに変わってきました。
あと、継承者がいなかったり、故人は海が好きだったという想いに応えようという遺族の想いなどもあるので、結構多くなってきています。
また、ご子息がお墓を買ってもそれをずっとみていくというのが非常に難しくなっている部分があります。
宮城県でずっと両親と一緒に住むというのではなく、ご子息が県外に行ってしまったりするので、「残しても迷惑だよね。じゃあ海が好きだったから、海に返して最後終わろうか?」みたいな感じで考える人が多くなったのかもしれません。
あと今樹木葬が受け入れられています。
墓石の代わりに樹木が立っていたり、墓苑にシンボルツリーがあったり。
これがお墓なのです。
祀り方が自由になってきていて、それに対応できるようにしています。
ー櫻井さんがお仕事をされていてやりがいを感じる時ってどんな時でしょうか?
やっぱり最後に「ありがとう」って言葉をいただいた時です。
葬儀は、家族の愛する人との別れに携わるので大変な部分はありますが。
終わってから「良いお葬式でした」や「あなたに会えてよかったです」って言ってもらえると、やっぱり「担当して良かったな~」と思います。
私は、その人の今までの人生をちょっと思い出して頂けるお葬式にしたいんです。
現在はコロナ禍で難しくなっていることもあるのですが。
以前、「故人の趣味を活かしたお葬式にしたい」とリクエストがあって、
「それを表現してあげたい」と思い、住職さんとの間に入ったりしました。
やっぱり嬉しい時というのは「お客様に感謝された時」ですね。
ー若い人が葬儀社さんで仕事をする場合の『働き甲斐』は何でしょうか?
お葬式は100人いれば100通りある「最期のセレモニー」です
人生には様々なセレモニーがあって、葬式はその中の最期のセレモニー。
私たち葬祭スタッフは最期のセレモニーを企画をするのが仕事です。
誰かが亡くなられてお葬式を承って提案をして、故人様らしいセレモニーをプランニングして施行する。
葬祭業では、葬祭ディレクターと言いますが、私はプランナーだと思っています。
悲しみは悲しまないと癒されないので、ご家族が本当にその悲しみを癒せるように最期のセレモニーである葬式の中で、しっかりと悲しんでもらって癒してもらう。
結構難しいと思うのですけど、やりがいはあると思います。
葬祭業は「究極のサービス業」といわれています。
ホスピタリティ精神を学びたいとか、仕事で実現したい、成長したい人は
この業界にぜひ。
また、弊社が208年ずっと続けることができているのは、
時代の変化に対応してきたからです。
社長は「歴史を守りつつも、新たな形にしていかないと継承できないよね」とお話くださいます。
昔のものを押し付けるだけではなく昔のものも守りながら、今からのものも受け入れてプラスして、新しい形にして提供した方がいいのではないかと思っています。
新しいことにチャレンジしている会社なので、歴史を大切にしつつ新しいことに挑戦したいという人にとっては良い仕事場です。
例えば、
祭壇はお花で飾るというイメージですが、お酒が好きだったらお酒を花に見立てて飾る。
私はそれでもいいと思うんですよ。
ー最後に櫻井さんの宝物を教えてください。
私はひとつのことをやると性格的に突き詰めるタイプなんです。
最近はですね、もう20歳の頃乗ってたバイクに目覚めたんです。
だから宝物は最近買ったバイクですね。
映像とかも好きなんです。中学校時代、私の夢は映画監督でした。
バイクに乗るだけではなくて、バイクの映像を作ってYouTubeに格好よく載せたい。
走っているシーンとかを編集して載せたいなと。
最近だとトップガンが良かったですね。
川崎のGPZ、昔トムクルーズが乗ってたバイクが出てきて。
わーと思いました。懐かしい。
葬儀業界もちょっと映像でアピールしたいなという部分ありますよね。
散骨も弊社で映像を作っているのですが、ちょっと私も関わって編集したいなっていうのはあります。
歴史が長い会社というと、その歴史の重さによって身動きがとりにくくなってしまうことも多いと思うが、今回お話を聞いていて208年続くのは「時代の変化に対応してきたからだ」というのが分かった。
昔のものを大切にしつつ、新しいものにも挑戦していく。
それを老舗の企業で体験できるというのは、仕事を探していく中で一つの選択肢とする理由のひとつではないだろうか。
当誌『仙塩ひと・しごと図鑑』では記事をインタビュー形式でお届けしているという内容から、自分で起業をしたり創業されている方への取材が多いが、櫻井さんのように企業の中でお仕事をされている方を取材していくことで、この地域で仕事をすることの価値を多角的にお届けできることを実感した。
入社から20年を過ぎても仕事・私生活両面において新しいことにチャレンジしていきたいという櫻井さんの姿は、何より今のお仕事のやりがいを感じさせる証拠として私の眼には映った。
株式会社 ごんきや
〒985-0043 宮城県塩釜市袖野田町24-2
TEL 022-365-5555
HP https://www.gonkiya.com/profile/profile.html
Twitter https://twitter.com/gon_shukatsu
執筆:鈴木貴之
https://shiogama-website.work/
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