「政権与党と統一叩き」はいずれ信教の自由を破壊する
ここ最近のtwitterでは所謂「アッチ系」の皆さんが、モグラ叩きの如く政権与党の政治家個人と統一協会の繋がりの炙り出しに日夜精を出している。
正直言って、だから何?って話である。
そんなのいちいち追っかけて一個一個非難するのに、いったいどれだけの時間とエネルギーを浪費しているのだろうか。
無論、この騒ぎはただのモグラ叩きに終わらず、既に何名かの議員、政治家に対する脅迫にまで発展している。
議員、政治家が統一協会をはじめとする宗教団体の集会等に出向いて挨拶や演説をすること自体は、政治家にとっては一般の有権者の元に足を運ぶのと同じことであり、相手の思想信条にかかわらず同じ国民・市民として対等に接するというスタンスの現れだろう。
このことについて、米子市長の伊木隆司氏は100点満点のコメントをされていた。
もちろん、中には統一教会の信者として、個人としてその団体に関わっている方もいるだろう。
先に挙げたものを含め、その事自体をひとつひとつ問題視し始めたら、信教の自由そのものが脅かされることになる。
たとえば一部のキリスト教団が国会議員の靖国参拝に対して抗議の声をあげたりする。
それが問題となるならば、国会議員という立場である以上、如何なる信仰も持っていけないことになり、キリスト教会に足を運ぶことすらタブーになるはずだ。
自分もイエスを信じるクリスチャンであり、信仰上の理由から靖国を参拝することはないが、同じ日本人として、先の大戦を戦い、その多大なる犠牲の上に現代の日本の平和が築かれていることを思い、先人たちに感謝する気持ちは一緒であり、同じ思いをもって靖国に足を運んでいるのだということについては理解し尊重している。
もちろん統一協会というのは国内においても多大な被害を及ぼしているカルト教団であり、霊感商法による数々の被害は司法により裁かれるとともに正当な補償があって然るべきだろう。
しかしながら特定の宗教を信仰すること、あるいは特定の宗教団体もしくはその信者との個人的に関わりを持つことすらタブーだとすれば、その宗教、あるいは個人を社会的に排除するということにつながり、あらゆる場面で信教を理由にした差別がまかり通ってしまうことになる。
この勢いが続けばその対象は統一協会に留まらず、創価学会やいずれキリスト教にまで波及してくることになるだろう。
聖書では、社会の中で信仰の異なる人との交際を断ち、排他的に生きよとは書いていない。
クリスチャンとしてのアイデンティティを守りながらも、様々な人々がいる社会の中で賢く付き合っていくことを勧めている。
自分自身も気をつけないといけないことだが、SNS上でとある人物や政党と統一協会との付き合いをやいのやいの叩いて非難し続けるうちに、いずれ自分の首を絞めることにもつながりかねないことを、認識すべきだと思う。
裁くなら、裁いた分だけ裁かれる
のだ。
人を公平に裁くことができるのは神だけだ。