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「政権与党と統一叩き」はいずれ信教の自由を破壊する
ここ最近のtwitterでは所謂「アッチ系」の皆さんが、モグラ叩きの如く政権与党の政治家個人と統一協会の繋がりの炙り出しに日夜精を出している。
▼今朝の「スッキリ」(日本テレビ系)に出て驚いた。萩生田光一議員は、八王子市議(1991年から3期)時代から、旧統一教会と関係があると、現役信者が証言したことだ。時代的に教団信者たちの霊感商法を知っていたことは疑いない。萩生田議員は教団との濃厚な関係を明らかにしなければならない。
— 有田芳生 (@aritayoshifu) August 18, 2022
「一緒に日本を神様の国にしましょう!だから選挙で応援を!」などと信者の前で宣言していたという萩生田氏。この国の与党の最高政策責任者。萩生田氏は、この国をどんな国にするつもりなのか。考えるだけで身の毛がよだつ。このままでは日本が滅茶苦茶になる。刮目すべき時。 https://t.co/5LJpqAH6It
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) August 20, 2022
すげえな岸田文雄。自分自身が何十年も前から統一教会の広島教会の幹部と懇意にしてて、統一教会の関連団体の議長が岸田文雄の後援会の会長をつとめてるのに、今日も「旧統一教会と自民党は組織的な関係はない」とオトボケ発言。ゴルフして温泉入ってコロナに感染してオトボケ発言って、お前、バカか?
— きっこ (@kikko_no_blog) August 23, 2022
【速報】
— デイリー新潮 (@dailyshincho) August 23, 2022
森雅子首相補佐官の「教会イベント参加」を示す証拠写真 「信者相手に演説」元秘書が証言https://t.co/PbCj8ms6cR
現在、森氏の地元では彼女が統一教会のイベントに登壇した“ある証拠”が出回っているという。#デイリー新潮 #森雅子 #統一教会
正直言って、だから何?って話である。
そんなのいちいち追っかけて一個一個非難するのに、いったいどれだけの時間とエネルギーを浪費しているのだろうか。
無論、この騒ぎはただのモグラ叩きに終わらず、既に何名かの議員、政治家に対する脅迫にまで発展している。
議員、政治家が統一協会をはじめとする宗教団体の集会等に出向いて挨拶や演説をすること自体は、政治家にとっては一般の有権者の元に足を運ぶのと同じことであり、相手の思想信条にかかわらず同じ国民・市民として対等に接するというスタンスの現れだろう。
このことについて、米子市長の伊木隆司氏は100点満点のコメントをされていた。
米子市長が統一教会についてフェイスブックにご投稿なさった言葉。これを岸田首相に言って欲しかった。 pic.twitter.com/JTYpk9ewn5
— Tsukasa Shirakawa(白川司) (@lingualandjp) August 23, 2022
今度は旧統一教会のイベントで演説する森雅子首相補佐官を新潮が嬉々として報じている。魔女狩りの愚かさにそろそろ気づいたらどうか。政治家は宗教宗派を問わず、耳を傾けてくれる有権者がいる所にはどこにでも行く。それがダメというならそれぞれの政党と問題組織との関係も取り上げてみよ。 https://t.co/ikdpHA5Bzm
— 門田隆将 (@KadotaRyusho) August 23, 2022
もちろん、中には統一教会の信者として、個人としてその団体に関わっている方もいるだろう。
先に挙げたものを含め、その事自体をひとつひとつ問題視し始めたら、信教の自由そのものが脅かされることになる。
たとえば一部のキリスト教団が国会議員の靖国参拝に対して抗議の声をあげたりする。
それが問題となるならば、国会議員という立場である以上、如何なる信仰も持っていけないことになり、キリスト教会に足を運ぶことすらタブーになるはずだ。
自分もイエスを信じるクリスチャンであり、信仰上の理由から靖国を参拝することはないが、同じ日本人として、先の大戦を戦い、その多大なる犠牲の上に現代の日本の平和が築かれていることを思い、先人たちに感謝する気持ちは一緒であり、同じ思いをもって靖国に足を運んでいるのだということについては理解し尊重している。
もちろん統一協会というのは国内においても多大な被害を及ぼしているカルト教団であり、霊感商法による数々の被害は司法により裁かれるとともに正当な補償があって然るべきだろう。
しかしながら特定の宗教を信仰すること、あるいは特定の宗教団体もしくはその信者との個人的に関わりを持つことすらタブーだとすれば、その宗教、あるいは個人を社会的に排除するということにつながり、あらゆる場面で信教を理由にした差別がまかり通ってしまうことになる。
この勢いが続けばその対象は統一協会に留まらず、創価学会やいずれキリスト教にまで波及してくることになるだろう。
聖書では、社会の中で信仰の異なる人との交際を断ち、排他的に生きよとは書いていない。
クリスチャンとしてのアイデンティティを守りながらも、様々な人々がいる社会の中で賢く付き合っていくことを勧めている。
それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出ていかなければならないでしょう。
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
また、自分の兄弟にだけあいさつをしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
自分自身も気をつけないといけないことだが、SNS上でとある人物や政党と統一協会との付き合いをやいのやいの叩いて非難し続けるうちに、いずれ自分の首を絞めることにもつながりかねないことを、認識すべきだと思う。
裁くなら、裁いた分だけ裁かれる
のだ。
人を公平に裁くことができるのは神だけだ。