つまんねえ毎日
親愛なるHayden Christensen氏へ、ぼくの最近の近況を、エッセイ調に描写してみる、そんなことをしてみました。しかし彼はきっと、その青い、純潔そのもののようなライトセーバーをぼくに向けて、このポエム・エッセイ・痛い投稿を焼き払ってしまうのでしょう。
自分の欲望を満足させるためだけの官能小説、いや、エロ怪文書をメモ帳に書き溜め、今日も風呂の中で自殺するタイミングを模索する。
明日の一限の途中に、飛び降りてしまおう。
今から湯船に潜って水を吸い込んで窒息してしまおう。
なんでこんな物騒なことを毎日考えるのかわからない。ずっとぼくの頭の中にある希死念慮、これがずっと、ぼくを悩ませる。
ちょっと前に精神科に行ったんだけど、ぼくなんか知らんけど「元気です」としか言えない。
本当は今から特急電車に轢かれて死んでやる、そんぐらいの事を考えているのに、元気ですとしか言えない。
授業中に泣いたり、昼休み中にいきなり泣き出したりしてる気持ち悪い奴のどこが元気で、健康なのだろうか。
とはいえ、ぼくにも逃げ場が無い訳では無い。その逃げ場を毎日大切に抱きしめながら今日も死なずに済んでる訳である。
希死念慮が止まりやしない、しかし死ぬタイミングがない。
生きようと思ったらまた死にたいと思って、死にたいと思ったらまた生きようと思う。そんな身体を無理矢理に起こしてまた学校に行く。
学校をサボった日が、三日か、二日だけあった。中学の時だった。入試の直前だったと思う。普通に寝坊した。遅刻確定の時間である。だから出かけるふりはしたが、あとあと、公衆電話で、自分で学校に電話して、休んだ。その日はずっと、何時間も何時間も、夕方5時ぐらいになるまで、市内を彷徨っていた。当てもなく、ただただ、学校のジャージを着て、リュックを背負って、ただ、当てもなく……
2回目は親が出かけるのを見計らって、欠席の連絡をした。それからは、家に引きこもって、ずっと、War Thunderをやっていた。
すごく朝に弱いから、最近もたまに遅刻することがある。そういう時は昼休みに学校に着くように、電車を上手いこと遅らせたり、歩き回ったりするようにしている。
一回それをしているときに泣いてしまったことがあった。本当に学校に行きたくなかった。
学校に押し込められて得るものとは、同調圧力と、無理に詰め込まれた知識と、ストレスと、そんな物しかない気がする。しかし学校とは小さい社会である。社会との縁を断ち切ること、すなわち、学校に完全に行かなくなること。それの危険性をぼくは知っている。
それでも行きたくない、絶対に行きたくない。そうも思った。
どうしてこんな人間になってしまったのだろう、毎日後悔している。ぼくは先生から見たらニコニコしていて元気そうな人間に見えているらしい。そんなことは、ない。ぼくは猫を被っているだけだ。人に元気だと思われたいから。元気じゃない人間は、きっと普通に元気な人間から見たら、気持ち悪く映るのだろう。
ぼくはそんな愚かな人間なのだ。きっとこの先もその愚かな悪循環を永遠に繰り返しているのだろう。
そういや留年しそうです。
敬具