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昔の話

DiscordのVCでちょっと小説の話になったとき、ほろっと昔の自分を思い出した。
昔の自分は正直言えばまあまあイタかった。小4、小5のときは、息をすると同時に他人を見下していた。流行に乗らないことをカッコイイとか思っていた。で、当時の自分のバイブルは太宰治の、「人間失格」。
LINEのステータスメッセージ。それはもう、太宰。「人間、失格。私はもう、人ではなくなりました。」その一文を引用していた。アイコンは大体その時アツイコンテンツだったけど、ひどい時はドイツ第三帝国の高官なんかをアイコンにして、自分の名前も”○○将軍”とか、”○○長官”とかに設定していた。本当に黒歴史である。終わっている。これがカッコイイとか思っていたんだろう。そう思うと正直寒気がする。なんてことしてたんだ、俺、、

でも正直、太宰が好きなのには変わりがない。読みやすいし、有名な作家だから読んでいてもまだバカにされる気はしない。斜陽とか読んでいても多分バカにはされないと思う。ノルウェイの森と違って。

オタクくんさァ、太宰なんて読んでかぶれちゃって、それがなにになるというんだい。

だが、今でもお前の人生のバイブルはなんだ!といわれれば、間をあけずに「人間失格」と答えるかもしれない。正直その時読んでいた本なんて、俺ガイルみたいなラノベとか、東野圭吾とか、内田康夫の浅見光彦シリーズとかそういう、「読んでいて楽しい本」なのである。しかし純文学。彼らは、ストーリー性を投げ捨てて、文体だけに投げうったような、どうでもいい内容ばっかりなのである。シランケド。もうちょっと読んでみたらまた変わるかもだけど。

ぼくがべた褒めしている人間失格も、所詮はクズの自伝である。同じく太宰の代表作の女生徒も、結局はか弱い女の子の日記である。
これらには何の面白みもない。しかし何故か惹かれてしまう。なんでやねん。その疑問を解消するのが難しいのも、また、純文学の良さなのかもしれない。

しかし人間失格はぼくにとって”革命”をもたらしたと思う。
「恥の多い生涯を送ってきました」そんな、おっ、おう、としか返せないような、そんな告白から始まる小説なんて、読んだことがなかった。
そうして展開される道化、大庭葉蔵の転落。金持ちの息子であったのに、最後には、モルヒネ中毒で廃人となってしまう。そんな、まさに「人間失格」ともいうべきその人生が、その救いも何もないような人生が、何か刺さったのかもしれない。

逆張りしすぎて友達がいなかった自分に。



PS.一度投稿したはいいものの日付をのせるのを忘れてたので編集
8月ももうおわり、かなしい
あしたてんきになあれ!!

2024/08.31

keppen(塩田1960)





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