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それでも生きる(5:絶望〜遺書)
事故から一週間が経った。
少し前から、気にしている事があった。
事故に合った日に全身麻酔を打って、その麻酔の効果が解けた時からずっと、右腕の痛みが取れないのである。
事故に合った時と同じ、刃で切られるような鋭い痛みと、骨を砕かれるような鈍い痛みが、常時続いているのだ。
手術をして下さった執刀医に、痛みが引かない事を告げると、医師からは
「このタイミングになって痛みが引かないという事は、もうずっと痛みが引く事はない」
という言葉が返ってきた。
心に絶望の闇が広がるのを感じながら、わずかな希望の光を探そうと、
「何か痛みを取る方法はないんですか」
と、医師に聞いた。
医師からは、痛みを取る方法として、二つの方法が提示された。
一つは、痛み止めの薬で対処する方法。
もう一つは、催眠療法で痛みを感じなくさせる方法。
両方の方法を試した。
痛み止めの薬は、弱い薬では、痛みを和らげる事ができず、強い薬を試すと、頭がボーッとして、日常生活に支障が出てしまい、痛み止めの薬で対処するのは諦める事になった。
催眠療法は、自分が催眠状態に入れず、すぐに頓挫する事になった。
事故に合った際に、自分を冷静な行動に導いてくれた自己防衛本能が、催眠療法に対しては、強力なガードとして働いてしまい、催眠が入らないのではないか、というのが医師の見解だった。
痛みを取る方法がない。
目の前が真っ暗になった。
刃で切られ、指をへし折られるような痛みが、毎秒続く。しかも、終わりがない。
これから仕事をしている時も、GLAYのLIVEに参加している時も、彼女とデートをしている時も、いつも、この痛みがあるのか、と。
考えれば考えるほど、気が狂いそうになった。
そして、思った。
無理だ、死のう、と。
「右腕がない人生」に対しては、事故に合った瞬間に、それでも生きたいという覚悟を決める事ができた。
しかし、「激しい痛みをこらえながら生きていく人生」に対しては、生きる覚悟を決められなかった。
自分が死んで、悲しむ人がいるかもしれない。
でも、この痛みをこらえて生きるより、死んだ方が楽だって思った。
とにかく、この痛みから解放されたい。
生きていたって、すごいストレスで、周りの人に八つ当たりしてしまうかもしれない。
何か楽しい出来事があったとしても、激しい痛みが隣合わせで、本当に楽しめる気がしない。
自分を俯瞰して捉えた、自分の脳が言う。
「いつか医療技術が進歩して、痛みが取れる日が来るかもしれないから、そんな死ぬなんていう選択をしないで、もう少し生きてみなよ」
現実的な冷めた自分の心が答える。
「それって、いつ? 俺は今が苦しいんだよ。今、苦しみから解放されたいんだよ」
自分の脳はもう、何も言わなかった。
病院の売店で、レターセットを購入し、病室が消灯になってから、遺書を書き始めた。
家族に。友人に。仕事でお世話になった人に。
一人一人に、手紙を書いた。
悲しまないでほしい、と。
誰も責めないでほしい、と。
自分自身を責めないでほしい、と。
俺は自分なりに精一杯生きた、と。
できれば褒めてほしい、と。
笑顔で見送ってほしい、と。
ありがとう、と。
慣れない左手で、汗をかきながら、書けば書くほど、疲れて汚い文字になったが、気持ちを込めて、一人一人に手紙を書いていった。