震えるほどの想い
今日はちょっと自己啓発的な内容になってしまう。
今朝ラジオを聞いていたら若いパーソナリティの女性が、こう言った。
「自分にとってハッピーな事があった時、今この時に死ぬほど辛い思いをしてる人がいると思うと喜べない」
これを聞いて悲しくなりラジオを消したのだが、その後もたまたま同じような事を耳にしてしまったり昨日は不登校に悩む子供たちの話というのを聞いていたがために、私なりの思いが爆発してしまった。(←いまここ)
こういう事を考える時期が、遅かれ早かれ多くの人(特にこの国で)に訪れると思う。
「自分にとってハッピーな事があった時、今この時に死ぬほど辛い思いをしてる人がいる」
とか、
「あの人のために、世の中のために、自分は何もできていないんじゃないか」
とか。
私も祖父が亡くなった頃そう考えていた時期がある。
でも、今の私は思う。
他人を不幸だと決めつけるのはとても失礼な事で、その人の幸せになろうとする絶大なるパワーを舐めてはいけない、と。
会社での日々の仕事だろうが、遊びだろうが、家族の世話や付き合いだろうが、ただの掃除や散歩などの日常だろうが、自分自身の目の前にある問題にひたむきに、常に本気で向き合う事は、そんな容易いことではない。
常に本気でやっていると、夢でまで自分自身の明日の事を考える状態になる。
そしてそれが今日を幸せに生きられなかった人に対する最大のエールだと思うのだ。
だから、逆に自分が辛い時も同じ。
先祖代々そうやって苦悩や喜びの中で大事に受け継がれてきた、ものすごく貴重な自分自身の魂のパワーを舐めないでほしい。
その受け継がれたパワーがあるからちゃんとその辛さとも戦える。
第三者の目線になってみて、これまで他人に対して思っていたことと同じように一旦本気で自分の心配をしてあげてほしい。
そうする事でだんだん「辛い=悪い」という固定観念から解かれるはずだから。