頑張る、を見直す時
自分で言うのもなんだけど、
私は真面目だし、頑張り屋だと思います。
でもそれは誰かのためとか将来のため、みたいな
立派なものではなくて
人から非難されたり、傷つきたくないとか
人に認められたい、みたいな
すごく人間くさい理由だと思います。
プライドの高さや、完璧主義な性格は、
私の向上心を育てたし、私を真面目で頑張り屋な性格にしてくれました。
それと同時に、うまくいかない時や非難された時に
挫けてしまうような脆さ、
自分の気持ちやしんどさを無視して
一生懸命に走り続けてしまうような無謀さにも
繋がっています。
昔、私がまだ小学生だった頃、
私はとても無邪気でマイペースで、
人目を気にしないような子どもでした。
でも次第に、友達や先生、親など周囲の人から
期待される、求められる役割に気がつき、
徐々にそれをこなすようになっていった気がします。
昔の私が本当の私で、今は偽りだと、そんなふうには思いません。
なぜなら、期待に応えたいと願って言動し、
そのイメージを守るために言動してきたのも
その時々の私が選んできたことだからです。
ただ、モヤモヤするような日々が何日も続いたり、
しんどさを感じながらも毎日を繰り返すとき、
思い出したいなと思います。
"あなたが今、我慢して、乗り越えようとしているものは何?
それは誰のため?"
人一倍他人に合わせてしまう性格だからこそ、
この視点はいつも持っていたい。
例えそれが誰か他の人のためだとしても、
それを自分が心から望んで動くならそれでいい。
でも自分が満たされなくて苦しんでいるのを
見過ごしてしまわないように、
時々自分に帰ってみる。
これを時々しないと、どんどんしんどくなってしまうのではないかなと思います。
充実した幸せな日々を過ごすために頑張っているのに、
頑張ることがその日々を壊すレベルになるのなら、
それは方向性を見直すサインではないでしょうか。