ホワイトアウト
今日も新潟は大雪。
道路は融雪装置が効いておらずガタガタで、歩道は雪に埋まっている。
視界も悪く空気が真っ白の状態。
だけど歩く。
運動は毎日続けないと意味がない。
最近体重の減りが少し緩やかになってきたのも気になるし。
ホワイトアウトの中、いつものメンタル鍛錬ゾーン(周りが田んぼの吹きさらし道路)についた。一本道。よしいくで!と思ったとたん電話が鳴る。
実家の母からだ。朝からなんだろう?
「親戚の歯医者に行ったら、私より5つも若い奥さんを久しぶりに見かけたのよ。すごく腰が曲がっていてねー。昔はCAやっていて美人ですらっとしていたのに。」
は・・・・?今その電話いるか?
正直かなりイラっとした(笑)
私の母。今年70歳になる。
正直70歳と思えないくらい肌にハリがあって、背筋も伸びている。
先週着物を着ている写真をメールで送ってきたので見たら相変わらず美しかった。
母の横に写っている母の同級生らしき女性たちが逆にとても老齢に見えてかわいそうなくらいだった。
そしてそれよりも私が気に入らないことがある。
70歳になった今でも男に異常にモテる。
母が20代の頃。
私達子どもが小さいのもあって忙しかったのか自分の着替えを脱衣所に持ち込むのをよく忘れていた。風呂から出て廊下をタオル一枚で走って自室で服を着替えるがタオルが小さくて胸がはだけていた。玄関から母の部屋のドアが丸見えの家だった。
何故か毎日「母のおっぱいポロリ」を見にくる見知らぬおっさんが玄関内で出待ちしていたこともあった。
八百屋や魚屋に行くと母にはみんな男はヘラヘラしておまけしてくれる。
値段も安くしてくれる。
子どもながら(気持ち悪い)と思っていた。
去年も地域の祭りで男性(爺)にナンパされて
「旦那さんが亡くなったら私と一緒になってください!」
などと言われる始末。
コワモテの父が横にいても男が構わず寄ってくる。
そんな母なのだ。
当然その比較対象は子ども達に来る。親戚のおばさんが生前、
「愛子母はとっても美人なのに、愛子は鼻も潰れて見苦しい顔だね。赤ちゃんの頃からだけど。」
と笑いながら面と向かって言われたことがある。
私が仕事をしていた30代のころ、母は50代だったのだが
私が着ている洋服を見ては
「それ欲しい!私にも買って!!!!」
と言っては買わされ、ずっと同じものを着ていた。
子どもが立派に大人になり、自分に似合う洋服を着ている事をうれしく眺めるのではなく、自分も同じいやそれ以上に綺麗でないと気が済まなかったのだろうな、と思っていた。
母のそういうところが昔から大っ嫌いだ。
でもこれまで育ててもらい、お金もたくさん出してもらって大学にも行かせてもらった手前、口でいう事ができずにいた。
しかし私も40代。
(もう言ってもええやろ)と思ったので今回ははっきりいう事にした。
「あのさ。人の事なんてどうだっていいじゃん。自分が若く美しく見える事を誇示するのは私には構わないよ。でも他人様には絶対しないでね。年取ってるのに見苦しいから。もう70歳なんでしょ?年取ったなりに心の余裕を持って他人と自分を比較するのもうやめたら?その人だって好きでそういう体の状態になったわけじゃないのに。ホント失礼。」
すると母は言い訳するかのようにこういった。
「私はそんな事思ったこともないよ!ただ、かわいそうだから整骨院に連れて行ってあげたいと思って。」
・・・・・そうですか。
それなら余計たちが悪いわ。
先日の劣等感まみれの実妹も、他人と自分を比較して愉悦に浸る母も。
常に自分と他人を比べているのだけど私には全く理解ができない。
そんな事をしても無意味だと思っている。
自分の人生は1つしかないのに。
人と比べる時間があったら自分を磨けよ。
と思ってしまう。
人とは何も比べられない。
生まれた時間も生きてきた環境も何もかも違うからだ。共通するのは「人間」ってことくらいだ。
母にも妹にも。
(お前らも一回ホワイトアウトしてみろ)
と思った。
自分だけしか見えない世界。
社会で生きていくうえで、他人との共存共生はもちろん大事な事でもあるが比較する必要はない。
時には自分の命と時間だけを守る世界に入ることも必要なのではないか、と思う。
ホワイトアウトした暴風雪の中ウォーキングすると、これまで普通の道だったのに突然世界でたった1人の空間に放り出される。
生きるために前に進む。
痛かろうが冷たかろうが足を前に動かす。
自分の中にいる弱気になる自分と対峙して必ず勝つと思いながら進む。
そこには比較する人もいない。
今日は言えたので多少はスッキリしたが。
まぁババァだしそうそう性格なんて変わるもんじゃないだろうな。
・・・・。
息子がよく私に
「親ガチャ失敗した」
というんだけど。
それ言うならみんなそうなんじゃないのか?
と思った一日であった。