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動物の飼育と保護は「命の重要性」を理解してから


#うちの保護いぬ保護ねこ


1 保護する人間の「資質」は重要


去年、近所を徘徊していた子猫を保護しました。


その時相談していた美容師(保護猫活動をボランティアで行っていると自称)にアドバイスやケージを貸していただいたりなどもしたのですが結果トラブルになり縁を切りました。
(詳細は上記ブログを参考にどうぞ)

原因は「保護する動物(猫)の命に対する考え方の違い」でした。

私は猫が大好きで飼ってあげたかったけれど、やむにやまれぬ事情があってどうしても飼えませんでした。そして子猫はケガもしていたので、去勢手術をしたあと地域猫として飼うのも難しかったのです。
しかし助けた命が私の手を離れ天寿を全うするまで自分にも責任があると思いました。ですが過剰に譲渡先に干渉せず、トラブルにならないようにして保護猫を遠くから見守る方法(譲渡契約書を締結する)を選択しました。

一方美容師サイドでは、「どれも助けたい。手段は択ばない。」でした。
とにかく拾った猫を預かって人に配る。それでその猫は救われる。
保護猫活動をしている、という自分のイメージが周囲に広がる。
自分自身もいつでもその中心にいなければならない。自分が助けなければ。


さて、どちらが正解なのでしょうか??


2 かぐわしい「自己愛の香り」

私が経験したトラブル相手も先日公判が行われたドーベルマン窃盗事件と同じ匂いがしました。事件があったのは2022年4月のことでした。



最近裁判が行われたようです。

この事件を見て、飼い主も犬の飼い方に問題があるのはわかりました。
ですが「酷い動物虐待だ」と決めつけて檻から勝手に追い放し飼い主をSNSで愚弄しながら自分も捜索ボラとして参加し
「保護したのでこちらで預からせてもらいます。」

はあまりにも身勝手すぎる。



3 カルガモ事件


猫を保護する数年前、私が先述した美容室に時々通っていた頃の話です。
その美容室の近所に防災池があり、カルガモが飛来してきていました。
その日もちょうどカルガモが池に向かって住宅街を子連れで歩いているところでした。
しかし、親カルガモの様子が少しおかしい。大声で鳴きながら池の方向に歩いて行かず道路をウロウロしている。どうやらカルガモの子どもが数羽、住宅前にある排水溝に落ちてしまったようでした。

それを見つけた彼女は私の髪を放置して飛び出していきました。

近所の人と協力して排水溝の蓋を開け、警察を呼び、近所を巻き込む大騒動となりました。

人慣れしていないカルガモはパニックに陥り、母親も恐怖と不安の声を出しながら子どもを探しています。カルガモの子もパニックになっていて人間の声におびえていた様子で排水溝の奥へと逃げていきました。

結局「見守る」事になったようで、彼女は心配そうに戻ってきて再び私の髪を切ってくれました。
そのあと彼女の夫が仕事から急遽戻り、助けたとのこと。


しかしこの時すでに違和感がありました。

野生のカルガモ親子を助けたい思いは理解できました。でもそこに人間の手が入ることでカルガモたちは驚いてパニックになってしまった。

本当に子カルガモの命は助かるのだろうか?

と思いました。
時に動物は人間の匂いがついた自分の子を殺すこともあります。

そこの排水溝は実は近くの防災池につながっていました。
先に行くと排水溝の蓋がない場所もありましたので、人間が何かしなくても、むしろ何もしないほうがスムーズに母親が助けたかもしれません。

自分が助けたい、と思う気持ちだけで冷静さを失い仕事を放置して救助に向かう。けれどカルガモの子の命を守る最善は尽くせていない。

当時私はその状況を見て(この人には何かとても大事な資質が欠けている)と感じていました。
その時は何かわからなかったのですが、トラブルになってからはっきりとわかりました。

4 独善的な動物愛護は「動物虐待」


違和感の正体はこれでした。

「独善的」

社会ルールを守れない人間が、動物の命を大事にできるはずがありません。どんなに犬猫に愛情があっても「飼えない状況」ならば飼ってはいけません。動物の状況を的確に把握して命を守れないなら動物愛護活動をしないでほしい。自己愛や自己満足のために動物の命を翻弄しないでください。

最近のニュースでもよく「多頭飼育崩壊」「コロナ禍で在宅増加のため身勝手に飼育し結果ペット遺棄」の記事を散見しますが、結局は人間のエゴですよね。犬や猫など、動物は人間のように明確に意思を表示することができません。だいたい犬猫がさっ処分するまで増えすぎたのも、人間の勝手な欲望と独善的思考からではないでしょうか?

本音を言うと。
増えすぎたから去勢をする、というのもずいぶん人間の勝手だと思います。
とはいえ無残に理由もなく殺されてしまう野生動物を減らすため仕方のなくなってしまったことではあります。
これからは無意味に増やさない事も大事だと思います。動物には本当に申し訳ないけれど。


動物を捨てる人間も根本的な資質に欠けていると思いますが、独善的に動物愛護をする人もまた同種と思います。
そういう人たちが自己満足のためにむやみに愛護活動をしないためにも、資格や法整備がまだまだ必要だと感じます。
多分これからも私自身はこの考え方を変えるつもりはありません。




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