
2月まとめ
残り95回
私が苦しいと思うこと
権力者がその立場を利用して、弱者に精神的苦痛を強いる。または、その環境から逃れられないと思うこと。また、周囲の人たちが我関せずで見て見ぬフリをする状況。
自分がやりたい、仕事などを通して自己実現しようとしている時に、それを阻む何かの力が働くと感じる時。または、やりたいことができない時。
社会との接点(人間関係)
人間関係についてわかったことは、私の場合、どうでもいい人や、自分に敬意のない人にも同じように愛情を注ごうとするクセがあって、苦しくなりがちということです。
もうこれは幼少期のトラウマ丸出し状態。モラハラの父親に愛されたいのに、重箱の隅をつつかれるばかりで育った愛着障害。(誰かが言ってた言い方を借りますと)「ヤバイ人センサー」が狂ってるんですよね。もう少し言うと、この人変だな?って何か違和感があるにも関わらず、モラハラ父がデフォルトになっているので、外で出会う人達がいい人に見えるというバグです。
さて、性善説を信じている人って優しい人だと思うんですよね。自分の優しい性質が基準だから、そんな悪いことするなんて想像できない、みたいな。けれど、そんな人にとっては性悪説で生きる方がラクなのかなと知ることができました。
世の中にはいろんな人がたくさんいて、社会人になったとて、意地悪な人とかも当然のようにいて、人の気質や繊細な心の持ち主にはキツいものもある。それがわかっているのなら、自分に正直になって、そういう環境じゃない所を避けながら生きていく方法を模索していくのもいいのかもしれない。
自分が環境に順応しなくては、という生きるための防衛本能が働くのも当然だけど、あえて自分イジメみたいな道を選択しなくてもいいのかな。無理をせず、気持ちよく、どう在りたいのかを中心にして生きていきたいと思いました。
まずは自分を変えようとする、人を変えようとする、人にわかってもらうのも止める。その背景には平穏でありたい、気持ちをわかってもらいたいという私の心があるので、それはもう、自分だけで完結したいなと思う。
辛いな、酷いことするなという人からは離れるしかない。同じ土俵に上がりさえしなければ勝ちなので、別次元で幸せに暮らせばいいよね。顔も見たくないし、同じ空気を吸いたくないというのが本音(笑)なので、その願いを私は叶えます。だいぶ現実との折り合いがついたのかなと思います。
最後に、先に箇条書きしたことについて。書き出して客観視すると、これらは過去の幼少期に感じていた無意識のようですね。無意識を顕在意識化するために、私に理解させるために現実世界が繰り広げられていたということですね。