あっしのネガで大事な人が泣いてたんだとさー ちょっと前電話した時泣いてたの僕は気づかなかったんだとさー 僕は自分のことしか見えてなかったんだとさー 自分が人に与えてる影響をわかっていないんだとさー まじきもいわー自己嫌悪の器に満ち満ちあふれれた液体を小学生さながら口で迎えに行って飲んでる感じ 普通に明るく行きまっせーこれからは とりま今日だけ陰鬱に首まで浸からせてください人に迷惑かけてることが耐えられません
手紙ってもらうと心が柔らかくなるぞい 嬉しいから歌でも作ってやりたいぞい もう僕は強くなったぞい いつでもやったんぞい
やばいやばいやばいやばい 変なん来た 人のこと考えられない 全部終わる気がするわからん これここに書くべき?わからん やばい動悸いたいたいいたいたいたい ファック 手が震えるぶるぶるぶるbullの如しがんばるで なかむらかかほーたすけてー 今日はライブやからそれは頑張ろうね 終わったらかちかち! えいこせいすい かくには今季から対面になってるぞ気をつけろ!!!!!!!
気持ちが暗すぎる。寝ても覚めてもノートに来てはいる人といない人のノートを漁る。履修は?て親に聞かれてやってるよーって答えて今やばくて本気でやろうとしてる。けどノート書いてる。愛した人から渡された祝い花が、供花に見えて、ホテルから見える水平線がもう会えない平行世界みたいで、浜辺に打ち上げられたペットボトルが忘れられる存在の象徴みたいで、手紙が遺書に見えて、贈り物が。。。なんで考えてしまうどうしてももう無理だよ明るく入れないわ色んな人ごめんなさい本当にごめんなさいもう無理かもーー
今電車で、俺は社会常識がないから何線かもわからないけど、とりあえず揺られてます。昨日はごめんなさい。意味わからん文章書いて、自己中心的なのは俺だった。心底気持ち悪い。大切にしたい人が誕生日を祝ってくれるなんて、それはそれは嬉しいイベントに行く途中で、やっぱり俺は悲しい。amazarashiの1.0聞いてる。むしゃくしゃしてスマホのバックグラウンド全部消したった。最後に1.0も聞こえなくなって、壊れたAirPodsのノイズだけ聞こえて、ノイズまみれの拙い文章が出来上がりました。
書くつもりはなかった。 今この画面に写っている文章はどうせ読まれないし、読んだとて何も変わらない。あなた風に言うならこの言葉には「信頼」もない。残念ながら。 それでもこれを書きたかったのは、あなたがとっても独りみたいな顔して、ニヒリストみたいな顔して、リアリストみたいな顔して、ロマンチストみたいな顔して、飾枕主義みたいな顔して、普段はニコニコ笑って、たまに死装束を纏ってるみたいな顔して、たまに心から笑ってるみたいな顔して過ごしてるからだよあなたはいつだって人を愛そうとしている
自分をあらゆる価値観で見ても無価値であることに変わりなかった 音楽においては、現在の私の水分量と同等の価値を有しており、しかし昨日の演奏は不純物と老廃物が飽和した無価値としか言いようのないものだった ではタンパク質は何かというと、主に人間関係、社会的価値である。まず社会的価値は無価値であるとして、人間関係においてもやはり私は無価値であるとしか言いようがない。恋愛だの友情だのとほざく19歳〜22歳の顔面にサッカーボールキックをかましたいという考えこそがその裏付けである。しかし自
最近潮の満ち引きが激しくなっています。つい最近まで岩場でカメノテをとったり、時に溺れていた人に寄り添ったり。まさか自分も飲み込まれるとは。それでも波が収まる時は地に足をつけている感覚があって、そんな時は近くに彼女の面影が残っている気がして(この「彼女」は二人称単数であり交際している女性を指すものではない)。でもわかりません。彼女が近くで手を握っているのか。彼女の手のひらが大きな大地とかして私を転がしているのか。恋は盲目なんて言いますが、僕の両の眼は今にも熱膨張を起こして彼女を
今絶望の淵にいる君へ あてどなく淵をなぞらえる 理由なんてものはもうとっくのとうに 目に映るぐにゃぐにゃだけが現実 風船が割れるみたいに ピノの最後の一つのように あっけなくこぼれ落ちそうで カラカラと風車の音が聞こえて そんなわけないのに彷徨って 動く首だけが現実 君の現実もうそう。 排尿がしたい午後17時四十二分 汚いタイルの上に骨を埋める 今絶望の淵から飛び立つ君へ。
二酸化炭素 炭化した五体 積み重ねてしまった生命の啜り泣く声 これ以上に何も残せないということ 目的地のわからない鈍行電車に 争おうと必死に後列の車両に乗り換える それはただ刹那を後伸ばしにする嘲笑の行為 これ以上何も残せないということ 人間の顔を鋭く睨みつけ 人間の目は真っ直ぐ見れない それでもニンゲンに可能性を抱く これ以上何も残せないということ まだやれるの終着点は おそらく自分で決めてしまう 心のどこかで思っているはず これ以上何も残せないということ
やっぱり生きたいし息してたいし季節に敏感でありたいですよね。やたらめったら文句言ってくるあいつも本当はおんなじ気持ちなんでしょうね。知らんけど。過ちは数年経って振り返ってみると鼻で笑えますが、あの時思い止まったのは過ちではないけれど鼻で笑えます。見ている世界が小さすぎたのだなあと。 今、心が大きな摩擦熱で烈火の如く燃え、黒く荒み、削り落ちて鋭く研がれ、悪意の衝動で形を保っているとしましょう。そして前後左右上下空間が鍋の中でごった煮されて現実世界を限りなく嘘偽りのプログラムで
「大人になったんだな」 この言葉は、大人を自覚する精神年齢であるにもかかわらず、それを考えた瞬間から自分が大人でありたいという意思が少しでも介在してしまいます。大人でありながら子供であるという言葉の揺らぎを感じます。 言葉の嘘と真の曖昧性 人の心の曖昧性 「でもそんな世界を愛しているよ」 これ一体どっちなのでしょうか。
私がnoteというアプリ内でつぶやく言葉は、半分真実、半分虚構のようなものであるため、もし私の文章を見かけ、今読まれている文章を見つけたらば、「こいつ何言っちゃんてんの」くらいの半笑いの感じで見ていただけるとありがたいです。noteは知人、友、brother、呼び方はどうだっていいのですが、とにかく割と太めの糸で繋がれた人間が楽しそうに書いていたのでそれに誘発されて始めております。彼はよくボケが見つからなかった時、「うんち」と言う言葉に逃避しますが、表現とうんちはかなり類似し