これなんだ?なご当地マグネット
写真のマグネットですが、これは一体なんでしょう?
こうして、書かれた文字まで読めばさすがにわかります。「札幌大倉山ジャンプ競技場」と書いてあるので、スキージャンプ台です。ジャンプ台の麓にある「札幌オリンピックミュージアム」にて、このポリレジン製立体マグネットを入手することができました。
…なのですが、やはり正面からだと文字説明無しではなにを描いてあるのかよくわからない。スキージャンプなのだから、イメージはこうではないでしょうか。
百歩譲って冬以外のシーズンだとしても、こうでは。
しかし、マグネットの構図はこう。
「雪のない札幌大倉山ジャンプ競技場のジャンプ台の上半分を真正面から見た姿」でした。
次回のマグネット発注時には、若干のデザイン変更も視野に入れていただくことを、やんわりお願い申し上げる次第です。
大倉山ジャンプ競技場は、まあまあ行き難い場所にあります。
札幌駅からだと、
バスターミナルまで徒歩6分
1本目のバス乗車7分
途中のバス停~2本目のバス停まで徒歩13分
2本目のバス乗車6分
最寄りバス停から登り徒歩10分
という具合で、車だと6kmでせいぜい20分のところ、やけに接続の悪い路線バス乗り継ぎで50分前後です。レンタカー/シェアカー、あるいは観光バスツアーで行くべき場所かと思います。リフトで上がれる山頂展望台からの眺めは素晴らしく、オリンピックミュージアムも展示が充実しており、ご当地マグネットも売られていますし、おすすめできる観光施設です。
ここからはマグネットを離れて「大倉山」のお話。
この大倉山ジャンプ競技場は1931年に竣工なのですが、名称の由来が面白い。当時建設に携わったのは、大倉土木(現・大成建設)。建設費を賄い札幌市に寄贈した大倉喜七郎氏の厚意に報いて「大倉シャンツェ」と命名されました。その際、無名だった山が「大倉山」と名づけられます。大倉山は住所にはなっていませんが、山周辺の地域の俗称となり、1976年にできた市立小学校の名称にもなっています。なお大倉喜七郎氏は、東京のホテルオークラの創業者でもあります。
これで思い出されるのが、横浜市港北区の大倉山。
こちらも元々は大倉邦彦氏という実業家が1932年、横浜市の小高い山の上に「大倉精神文化研究所」を作ったことが由来です。最寄りの東急東横線の駅が大倉山駅と改称され、その後1981年に建物や土地が横浜市に売却され「横浜市大倉山記念館」および「大倉山公園」が整備され今に至ります。2007年からは、一帯の正式な地名(住所)にも採用されています。
札幌と横浜にある2つの大倉山。
いずれも、無名だった山に象徴的な施設を作り貢献した、著名な大倉さんたち(赤の他人)が由来なのでした。