今年になってから、文章を書いてみたい、と思うことが増えてきた。こうした思いを募らせたあまり、noteを始めてみることにした。 文章を書きたくなった理由は主に2つある。1つ目の理由は、自分の文章力を向上したいからである。これまで、私は作文するということをあまり経験してこなかった。まともに文章を書いたと言えば、卒論と修論、会社における業務報告書を書いただけだ。その一方で、仕事や私用に関わらず多くの本や書類を読むことで、読みやすい文章と読みにくい文章の違いが分かるようになって
12月になって吉田のうどんという食べ物を知って以来、その存在に頭が離れませんでした。極太・コシ強の麺に刻んだキャベツと甘辛い馬肉の組み合わせは、とても個性的であり、無性に食べに行きたいと思いに駆られていました。そう言えば山にも登ってないなと思い、三ツ峠山へ登ることを企画することにしました。そうした話をしたところ、山岳会の5名も参加することになり、賑やかな山行になりました。 今回のルートは西桂町の達磨石から入り、河口湖側の三ツ峠登山口に下山するルートをとりました。全長が約
先日に、隣の街にある山岳会に入会しました。入会した理由は二つあり、第一に雪山や岩稜、沢登りなど高レベルな登山に挑戦したいからです。そして第二に、一緒に山を歩く仲間が欲しいと思いました。山岳会の人々は山に対する造詣がとても深く、話題が尽きることがありませんでした。これから、長い間、山岳会にお世話になれればなと思います。 登山の経験は、幼い頃に両親や祖父母に連れられて簡単な山を登ったことはありますが、本格的に始めたのは大学生になってからでした。木曽駒ヶ岳の稜線から広がる景色
近頃のことだが、私に雷が落ちたことがあった。といっても本物の雷に打たれ奇跡的に生還したとか、酷く上司に怒られたという訳ではない。バイクに一目惚れをして、そして購入した話である。 バイクで各地を駆け巡りたい、そんな思いで教習所にしばらく通っていた。やっとのことで二輪免許を取得できたが、どんなバイクに乗ろうかとかなり悩んだ。排気量を125cc以下とだけ決めて、クロスカブとするか、PCXとするかと悩んでいた。そんな時に、バイク屋で見かけたのが、黄色いグロムだった。 その速
都心にある本社で働いていたとき、会社近くの小さなラーメン屋へ足しげく通っていた。濃厚でもあっさりとした豚骨醤油のスープに、縮れた麺の組合は他店にない個性であった。午後に向けての栄養補給に、遅くまで残業する時の気合注入の時にお世話になったものだ。 勤務先が今のところに変わり、そのラーメン屋からすっかり離れてしまった。時折、本社に行く用事はあっても、タイミングの都合もあり食べる機会がなかった。食べられないのは名残惜しかったが、そこまでの強い思い入れはなかったはずだった。
先日のことだが、駅に向かって歩いているとキンモクセイの良い香りがした。その強い芳香は、季節が進み秋が深まっていることを知らせてくれる。そろそろ、外作業用の防寒着を出さなきゃと思ったものだ。 ところがキンモクセイの木に注目にすると、すでに散りかけであった。香り始めてからすでに数日は経過しているようだったが、マスクをしていたから気が付くのが遅かった。 このご時世、マスクを常に付けてなければならない。それが暗黙の了解となってしまった。それでも、香りで感じることができる、
秋に東北の山を歩くのが最高であると、この時期がくるたびに思う。東北の山々は奥深く、美しい森林がある。そして人が少ないため、静かな山が楽しめる。そうしたことで、この前の4連休に仙台で働いている大学の後輩を誘って、八幡平・岩手山周辺の登山を企画した。当初、2泊3日の八幡平~秋田駒ケ岳の縦走を計画していたが、後輩の都合で1泊2日で岩手山を登ることにした。 1日目 始発の新幹線で盛岡まで移動して、ローカル線とタクシーを乗り継いで、馬返し登山口に到着したのは、9時30分だった。曇り
「政治と野球の話はするな」という格言がある。理由は会話中にこの2つを話題にすると、確実に論争になるからとされる。人によっては、野球の会話はそんなに揉めないのでは、宗教の話題もマズイだろ等、いろいろ細かい部分で異なってくるが、会話で向かない話題があるということは衆目の一致するところと思う。その中で、好きな本という話題を他人と話すべきでない、と思うようになってきた。 本には絵本から、小説、学術書、自己啓発書など様々なジャンルがある。これらの共通点は、紙とインクで構成されるこ
毎年のことながら、今年の夏も暑かった。とくに今年は、7月末まで長梅雨で涼しかったこともあり、8月の暑さが際立っていた。炎天下での屋外仕事は相当に体に堪えるもので、頻繁に休憩しつつ、大量に水を飲みながら働いていた。 9月に入ってもなかなか涼しくならなくて、いつまで夏が続くのかと思っていた。ところがこの数日、昼間は相変わらず暑いものの、夕方はしのぎやすくなって、ふわっと良い風が吹いている。気がつけば、セミの声もしなくなっていた。少しずつであるが、秋が来たようだ。そう思うと、
お盆にばあちゃん家には行かなかったが、山に登っていた。学生時代の山仲間とともに、飯豊山の縦走を試みたが、悪天候のため途中で引き返すことになった。その敗退に至った状況やその時の思考を記したく思う。 今回の山行は小国町の旅館に前泊し、梶川尾根から登り、弥平四郎登山口に下山する、山中2泊3日の日程で計画をした。1日目はとてもきつい登りで標高差が1500 mもあり、それを登り切れば快適な稜線歩きの2日目と、下りるだけの3日目が控えていた。 山を登る1週間前から、飯豊山周辺の
今年のお盆は、コロナの影響もあってばあちゃん家に行けなかった。ばあちゃんが利用しているデイサービスでは、首都圏から来た人と会った後に、約2週間のデイサービスの利用を控えてほしいと強い要請があったからだ。そのような事情は理解できるし、それを踏まえると無理やりでも会いにいこうと思えなかった。 しかし、このままの感染拡大状態が続いたら、ばあちゃんにずっと会えないことになる。もっとも、一生会うなと言っている訳でもないため、コロナの感染状況が小康状態時に、間隙を縫うようにして会う
コロナ禍が過ぎて、そして再びやってきた。今後の先行き、特に自分の暮らしについて、少し不安になってくる。しかし、このコロナ禍で大きく影響を受けるのは経済的、社会的な弱者とされる。そのような現状に対して、もやもやと思うところがあった。 その思うところを言葉で表す前に、今の現状ついて知りたいと思った。そのため、鈴木大介著の老人喰いを手に取った。この本は、オレオレ詐欺などの振り込め詐欺を行う集団の手口や実態、詐欺に従事する若者たちの行動原理や生い立ちを取材したものである。簡潔で
1.はじめに 緊急事態宣言の最中、私は登山ができない離脱症状に苛まれていた。3月初旬からずっと登山の自粛要請に従っていたが、4月上旬頃の爆発的な感染拡大期の頃には、もう数年は山にも登れないのかと絶望していた。5月になってコロナ禍が落ち着き始めて、宣言が解除する前提でどの山を登ろうかと地図を広げていた。関東近辺で登りがいのある山ということで、皇海山クラシックルートを歩こうと思った。 とはいっても、皇海山は相当険しい。一人で無事に帰ってこれる自信はそれなりにはあったが、完璧と
会社で働くようになってから、はじめて覚える知識や観念ばかり、と改めて思う。例えば、私の仕事のほとんどが大学で学んだ内容と異なり、求められる答えが一般法則ではなく個別事例である。とくに後者は、大学と会社の目的がそれぞれ、未知の現象を解明することと、既知の知見を応用することである。ゆえに両者は根本的に異なるから、働き始めて戸惑うことは当然なのかもしれない。そうした狭間で過ごしているうちに、「えいやっ」という観念が分かるようになってきた。 「えいやっ」とは、何らかの意思決定を
旅することを趣味として以来、人生の1度くらいアフリカを旅してみたいと思っていた。経済的にも歴史的にも日本とあまり関わりがないアフリカ大陸、そこを旅した記録はインターネットにも少なく、果たしてどんな土地なのか知りたかった。ちょうど2年前、2018年6月にまとまった休みが取れたので、1週間の日程でアフリカのどこかを旅しようと思い至った。 1.旅の準備から首都のハラレまで ざっくりとアフリカを旅したいといえども、そこには(西サハラも含めて)55の国家があり、どこを訪れるかとい
今月になって、個人的に気になるニュースが3件あった。以下にその記事のリンクと、Webサイトから削除されるかもしれないので、その記事の内容を一部引用する。 1.東京 荒川の河川敷でシカ捕獲 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200603/k10012456331000.html ”3日昼前、東京 足立区の荒川の河川敷で数日前から目撃されていたシカが警察官や区の職員らによって捕獲されました。今後、区内にある施設で一時保護されることになります