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【自分史】うつ病発症から自己破産、生活保護になり、起業するまで

#うつ病 #発達障害 #パワハラ


こんにちは

しんやです。

今回は、私がうつ病を発症してから自己破産し、生活保護に至るまでの半生を明らかにします。
書いている私としてはよい整理になりますが、読む方によっては強いストレスを感じる内容かもしれませんので、ご承知おきください。

2010年4月 大学新卒でシステム会社に就職、1度転職する

私は新卒から2社、システムエンジニアとして金融機関向けの営業店・代理店・数理システムの保守を担当していました。
大手金融機関のシステムは数十年前に既に完成しており、大きく手を加えることはありませんでした。

概ね月1回、大きなもので年1回、商品や特約が改定されるので、システムの修正が発生します。

設計、製造(プログラミング)、テスト(単体・結合・総合)と一連の工程を手掛けますが、小さい改定では1日で、大きい改定でも7か月程度で終わり、さほど忙しくはありませんでした。

何度か大きな商品やシステムの改定があり、残業時間が45~70時間程度になることはありましたが、若さと前向きな姿勢で、問題なく乗り越えました。


2014年 6月 人材サービス会社に転職

25歳のとき、キャリアチェンジをします。

2社目の会社では周囲のメンバーの不平不満が多く、その環境に長く居たくはないと入社当初から思っていました。

「人の成長を支援する仕事に就きたい」という気持ちが強くなり、転職エージェント経由で人材サービス会社に転職をしました。

創立5年ほどのベンチャー企業で、社長が全社員の全仕事を把握している状況でした。

全社員の上司が社長1人、といった感じです。

異業種から転職し、あとから分かることですが、発達障害でもある私は、初めて総合職らしい守備範囲の広い仕事内容と、慣れない対人仕事で、うまく力を発揮することができませんでした。

入社3か月ほどで「人間じゃない」などと社長からパワハラのような言動を浴びるようになります。


2015年3月 抑うつ状態になり会社を欠勤

当初は26歳という若さと生意気さでやり返したりやり過ごしたりしていました。

しかし、半年後の人事面談で最低評価の「E」を獲得、正社員とは思えないほど賞与をカットされ、その後も新しい仕事に適応できず、社長からの叱責がエスカレートしていきます。

ついに、生まれて初めて、朝ふとんから起き上がることが出来ず、会社に電話も出来ないまま、無断で欠勤してしまうのです。

始業時刻から間もなく、チームリーダーから電話を受けます。
身体が鉛のように重く、電話に出られません。

1時間ほどして、折り返し電話をし、体と心の不調を伝えました。


チームリーダーは精神保健福祉士の資格があり、人の心に詳しい人でした。
私の症状もすぐにくみ取り、「うつのような状態だ」と社長をはじめとした社員宛にメールをしてくれました。


2015年4月 初めて精神科を受診する

何かがおかしい。私は発達障害なのではないか。

そう疑い、ネットで精神科を検索すると、幸い自宅から徒歩圏内に1件見つかりました。

電話すると約1週間後に初診の予約が取れました。
(時期によっては初診を受け付けないほど混雑しているので、運が良かったです)


問診票に、上司から強い叱責を受けていること、気分が落ち込んで欠勤したこと、発達障害を疑っていることなど丁寧に書いていると、診察の時刻となり、受付の人に案内されました。

もう少しで終わるところだったので切り上げることが出来ず、鬱々しながらもペンを走らせていると、受付の人の語気が強まります。

今思うと、途中でやめられないところにも発達障害の特性を感じます。

残りは診察で伝えるよう促され、診察室へ向かいます。

診察時間は45分程度でしょうか。

「抑うつ状態」と診断されました。

2015年5月 抑うつ状態が改善し転職先が決定、会社に退職の意向を伝える
処方された薬を飲むと、気分が楽になりました。

1か月ほどで少し物事を考えられるようになり、会社を辞めたいと考えました。

発達障害のWAISを受けました。
発達障害の傾向はあるものの、この時点では診断は確定しませんでした。


2015年7月 システムエンジニアとして転職

「早く辞めたい」「無職にはなりたくない」という思いから逃げるように拙速に人材エージェント経由で転職先を決めます。

家電量販店販売データシステムの運用でした。

運用業務は初めてで、仕事がうまくいきませんでした。
同僚や上司は優しかったです。


2015年9月 再び強い抑うつ状態に

一度、抑うつ状態になり、そのまま転職したためか、再び強い抑うつ状態になってしまいました。

前回の経験から、自分で職場に欠勤の電話はしました。

2015年10月 わずか3か月で退職

何回か欠勤したとき、上司や人事部に「精神科を受診している」と話し異動を願い出ましたが叶わず、試用期間の3か月をもって退職しました。


2015年12月 元同僚に正直に打ち明ける
元同僚からメールが来ます。例の精神保健福祉士の女性です。

仕事がうまくいかずすぐに辞めてしまったことを話します。

特に肯定も否定もすることなく、話を聞いてくれました。


2016年2月 システムエンジニアとして再度転職、初日から強いストレスを受ける

ブランクが3か月以上空いてしまい、焦りました。

ここでまた拙速に人材エージェント経由でシステムエンジニアの仕事に就いてしまいます。まったく学ばないようです。


2016年3月 三度強い抑うつ状態になり、わずか1か月半で退職

入社当初から隣のユニット(といってもほぼ一緒に仕事をしている)上司からとても強い叱責を受けます。甲高く、刺すような声です。

三度、強い抑うつ状態になり、3日連続で欠勤。

小さな会社だったので社長と相談しました。

社長はとても温厚な人で理解を示してくれましたが、続けられないだろうと諭され、給与の締め日にあわせて退職することになりました。僅か1か月半の在籍でした。


2016年 8月 精神障害者保健福祉手帳を申請

その後の転職活動は難航を極めます。
27歳で5社経験しているのはかなりマイナスです。

書類で落とされ、面接で落とされ、疲弊していきます。

抑うつ状態で発達障害も疑う中、一般枠での就職を諦めて障害者枠で就職をしたいと思い、主治医に相談して精神障害者保健福祉手帳を申請します。

結果、3級で取得できました。


2016年11月 人材系の特例子会社に障害者枠で転職

障害者枠での転職活動はあまり苦労しませんでした。

それまでと同様に人材エージェント経由でしたが、機械的な所はなくとても親身になってくれる一方で、的確なアドバイスをくれる優秀なコンサルタントが就いてくれました。

職場実習を経て、転職が決まります。初めての障害者雇用です。


2019年 4月 初めての休職

入社1年ほどは順調でしたが、徐々に体調不良で欠勤することが増えていきました。

上司からの叱責はありません。いろいろな業務を経験するうちに次第に魂が抜けていくような感覚になっていきました。

感覚過敏があり、毎日の満員電車での通勤で精神的に支障を来すようになりました。

上司からのアドバイスで、職場から電車1本で15分ほどのところに引っ越しました。

それでも欠勤が続き、主治医や上司に相談して休職することになりました。


5月が契約更新月で、その月を跨いで欠勤すると契約が終了する社内規定でした。
体調が徐々によくなったこともあり、主治医に復職可の診断書を書いてもらい復職しました。

その頃には「うつ病」「広汎性発達障害」の診断が確定しています。


2019年 7月 二度目の休職


無理矢理復職したためか、1か月ほどでまた体調が悪くなり、二度目の休職を余儀なくされます。

3か月休みたいことを主治医に話したところ、「いきなりは認められないだろう」ということで、1ヶ月休職することになりました。

休職が終わる1週間前に面談をして会社が復職可否を判断するのですが、復職できるほど回復していないことで私と主治医で一致し、復職を認めない診断書が出て休職を延長することになりました。

次の月も同様に延長しました。


2019年10月 休職期間満了により退職


連続で3か月以上休職すると退職となる社内規定がありました。

退職したくなかったので、無理矢理「復職可」の診断書を取得しましたが、復職日に布団から起き上がれません。体と心は正直ですね。

上長が人事部に掛け合ってくれましたが、社内規定を曲げることはできないので、退職することになりました。

3年勤めることができたので、ある程度満足していました。


2019年11月 初めて買った新車が納車される


9月ごろに初めて契約した車が11月末に納車されました。

その頃は東京23区に住んでいたので家賃や駐車場代は高く、冷静に見積もれば支払いが滞るので車は持てないのですが、うつ病のためか買ってしまいました。ローンも通ってしまったのです。


2020年4月 情報通信システム会社に障害者枠で転職


障害者枠でも3年で退職したことから、次の仕事は少しレベルを落としたいと考えていました。

職場実習を経て、自分にも少ない負担でできそうだと思い、転職を決めます。
埼玉に引っ越して、大きく環境が変わりますが、子どもの頃に埼玉で過ごしたことがあったので、大きな抵抗はありませんでした。

仕事内容は、屋内型農園でハーブや野菜を栽培したり、ハーブティーに加工したりする仕事です。
知的障害の人が多かったです。


初日に大雨に打たれたので嫌な予感がしました。
案の定、入社2日目、3日目と欠勤してしまいます。

主治医からは「ここが踏ん張りどころ」だと注意を受けますが、欠勤が止まりません。

その頃、新型コロナウイルスが蔓延し、初めての緊急事態宣言が発令されます。

当初、職場は稼働の方針でしたが、事態が悪化すると会社が方針を変え、自宅待機となりました。
法定通り、休業手当が支給されました。


2020年7月 三度目の休職


宣言が明け、仕事再開です。

しかし、気分が晴れず欠勤が重なり、休職を申し出ます。

主治医に休職の診断書を書いてもらいます。
アルバイト契約だったので休職規定がないものの、休むことを許可してもらいました。

1か月休みました。


2020年9月 契約期間満了により退職


思いもよらぬことが起こります。

入社半年で契約終了を会社から告げられました。

契約書でも「契約を更新する場合がある」と明記されているので、契約違反ではありません。

会社としても体調を考慮して辞めた方がいいだろうと判断されました。

まさかこのタイミングで退職となるとは思っていませんでした。甘いですね。

一気に気が抜けます。


2021年 1月 生活保護を申請、受理される


3か月休んでいると、貯金の底が見えてきました。
車はすでに売却しています。わずか8か月ほどしか所有できませんでした。

生活保護課では、テレビの報道とは裏腹に、「水際作戦」に遭います。

年明けに発症したメニエール病のめまいと格闘しながら、粘り強く交渉し、生活保護の申請書を手に入れます。

誰でもすぐに手に取れる場所に置いておいてほしいものです。

1週間程度で支給開始が決まり、保護費を取りに市役所へ行きました。

支給開始から2、3回は窓口支給で、その後、口座振込となりました。



2021年1月 就労移行支援事業所に通う


同じころ、就労移行支援事業所に通い始めます。プロの手を借りて再就職を目指しました。

スタッフは優しく、事業所の雰囲気も穏やかで、通いやすかったです。


2021年 2月 自己破産の手続き開始


生活保護費から借金を返すことが出来ない(法的な規定はない)ので、自己破産を余儀なくされました。

市内の弁護士に相談して、申請のための書類を書きます。
キャッシング1社
クレジットカード(ショッピング)6社
の名称や所在地、電話番号、残債額を記入するので、とても疲れました。

事務の人に何度も催促されながら書き上げます。

弁護士は、「浪費による破産と判断される」とのことで、とても冷たい人だと感じましたが、結局、請け負ってくれたので、親身になってくれているのだと思います。(ただ仕事してるだけかもしれませんが)

裁判所の判断による結果が出るまで、約半年かかるそうです。


2021年3月 Twitterとブログを開設し副業を開始、個人事業主となる


体調は安定してきたものの、企業就職するイメージが持てませんでした。

その頃たまたまYoutubeでイケハヤさんの動画を見て、個人でブログ収益を上げたいと考えるようになります。

TwitterやYoutubeでイケハヤさん、両学長、しゅうへいさん、まなぶさんをフォロー。

お金がお金を生む仕組みを構築し、稼いで生活していきたい気持ちが強まり、ブログを開設します。

この記事を書いている時点では、アフィリエイトでの収入はまだなく、Google Adsenseの審査にようやく合格したところです。

一息ついたところでこの記事を執筆しています。

後半は駆け足になってしまったので、加筆するかもしれません。

いかがでしたでしょうか。

無職、自己破産、生活保護とどん底を経験しながらも、インフルエンサーの言葉に勇気を貰い、前を向いて生活しています。

今後の生活についてはまたの機会にお話しいたしますので、少しでも参考にしていただければ嬉しいです。


ではまた

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