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日本の高等教育について考えてみる
なぜ日本は高等教育への投資を軽視しているのか?(WHY?)、また、どうすれば、日本は高等教育への投資を改善することができるのか?(HOW?)という命題について考察する。
前提:日本が高等教育への投資を軽視しているのは明らかに事実とする。
論拠:OECDの高等教育に関する各種国際比較統計により
「どうすれば?」の部分に関する最終的、かつ具体的な施策は、セントラル・フロリダ大学の原先生がアメリカの事例を紹介※しているので、そこに譲るとした場合、 (※ 原先生のアメリカの事例紹介: 米国大学は日本で言う文系でも(1) 授業料100%免除 (2) 週20時間助手を務める事で、大学院側が年間250万円程度の給料(stipend) を払って上げます。故に世界中から優秀な研究者志望者を応募させてそのトップを博士課程に入学させ、その中でも研究論文生産性の高い人材にテニュアトラックをオファーし、その中で優秀な人材がテニュア取ると言うビジネスモデルで、英文査読論文発表数で世界ランキング勝負するモデル。大学院学生側からすると年収100万円程度の国の学術トップ人材は米国で博士課程に行くと自分と一族郎党の人生大転換を賭けてと言う意気込みでインド、イラン、ナイジェリア等から来ます。
世界のトップ人材集めて世界大学ランキングで勝負するには、国家が教育界の今後50年後を見越した大展望グランドビジョンを持って、各大学レベルでのマイクロ経営を超越した研究人材育成戦略が無いと、ジリ貧になってしまうと思います。)
論理的帰結として残される問題は、以下の3つ(①、②、③)となる。
① 「なぜ?」の部分を歴史的経緯(縦軸)、主要先進国比較(横軸)を絡めて解明すること。
検証すべきと思われる仮説の提示(8つの仮説):
1:政治家の無理解
少子高齢化した日本の民主制での政治家にとって、教育というアジェンダは集票力・集金力に全く欠けるため、街宣車で表向きに叫んでいる選挙スローガンとは、180度異なり、物理的な食欲をそそらない。(青少年の教育より、老人の福祉)
2:官僚組織の脆弱性
高等教育を充実させるために必要な予算を獲得をする力が、文部科学省が財務省対して著しく欠けている。
3:教育政策の方向性
少子化傾向が明らかなのに、天下り先確保などの利害関係的な理由も含めてと推測されるが、大学新設を許可し続け、少子化傾向の中で、「質より量」という方向性を選択した。
4:大学内におけるコーポレート・ガバナンスの欠如
昨今の大学における不祥事に代表されるように、日本の大学は、少子高齢化での学生数の確保と、非常勤講師を数的メインにしたローコスト・オペレーションによる経営維持、及び ワンマン・オーナー的な経営者や特権的な一部の教授陣の権力維持だけが、至上命題になっており、高等教育機関として組織を維持・発展させるために必要なコーポレート・ガバナンスや透明性を著しく欠いている。
5:日本の企業の高等教育支援に対する無理解
企業側の高等教育支援や高等教育修了者の人材採用や人材活用への理解が著しく低い。(企業側が大学側に期待していない、また高等教育を受けた人間を警戒し嫌う傾向など。→ 宿泊産業は特に強い)
6:戦前・戦後の教育体制の変更の組み合わせによるカクテル効果
戦前: 戦前までは、教育関連予算が乏しい中で、西洋列強諸国に追いつくため、教育施設に資金がかかる理系教育は、潜在的に素質のあるものだけを予め選別し、理系教育を行う体制を確立した。これが日本独特の文理の分離教育制度になった。
戦後: アメリカは戦後、日本が二度とアメリカの脅威とならないように、社会制度の改造をGHQの占領政策を通じて実施した。これには、戦前の体制では虐げられていた日本人にとっては、積極的に、自らの意志で協力するインセンティブもあった。GHQは、日本の脅威を取り除くため、教育改革を通じて、初等教育・中等教育・高等教育を戦前よりワンランク・ダウンすることを決定した。これにより、戦後、旧制高校や、多くの専門学校が大学にワンランク・アップするこができ、特に専門学校経営者には歓迎された。 カクテル効果: このワンランク・ダウン制度と戦前の文理の分離制度が結びつくことになり、高等教育のレベルダウン+理系軽視という高等教育の質の軽視の風潮が、ごく自然な形で、戦後の高等教育機関内に醸成された。
7:国防軽視の風潮
戦後の憲法の規定により、国家の外交の一手段としての戦争行為と、戦争遂行に必要な戦力の保持が正式には禁止された。科学技術は、軍用ニーズと民生ニーズの相互作用を、その国の特定エリート高等教育機関が媒介して研究や実験を行うことで、大きく発達してきたことは、過去の歴史が証明していると思われるが、日本の大学では、国防に繋がる学術研究は、憲法の規定と伝統的な左派的アカデミズム(日本学術会議など)の関係で、忌避される傾向が強い。これが理系の高等教育機関の研究予算確保の足かせになっていると推測される。(スーパーグローバルA大学の制度は、その残骸として認識される)
8:多様性の欠如
優秀な外国人研究者・教育者の受け入れ制度が、明治時代とは異なり、戦後、とても貧弱になってしまった。また学問上の世界共通言語である英語も、理系は別として、文系では、軽視された。また高等教育を受けて日本で活躍してくれる優秀な外国人を優遇する移民制度もない。(教育移民制度の欠如)
② 「なぜ?」と「どうすれば?」の中間を繋ぐ紐帯的な手当てを明らかにすること。
具体的には、高等教育への投資を軽視し続けると、今後の日本社会においては、民主制において集票力と集金力を持つ各種利害関係者組織にとって、最終的にどう自分の首を絞めることになるのか?を、わかり易く説明できるか?
前提条件:
現状において、高等教育への投資を軽視している理由には、各種利害関係者組織にとって、彼らなりの合理的な理由があるが、その現時点における合理性にこだわり続けると、最終的に、自分が一番損しますよ、と彼らが腹落ちして納得しない限り、どんなにすぐれた「どうしたら?」の具体的施策を示しても、その施策の実行に必要な協力をしてくれるはずがないと考えるのが妥当と思われる。
論理的整合性:
人は、「なぜ?」の部分において、自分ごととして、積極的な意味を見出せないと、「どうしたら?」の部分で、それがどんなに正しいことであっても、良いことであっても、決して動こうとしない。端的に言えば、損得勘定や、自分の生死に関わる利害関係が絡まないと動かない。
具体例:
親が子供に勉強しろと言っても、ゲームに夢中で全く勉強しない。
(イコール)
教育が日本の未来の繁栄に重要ですよと政治家に言っても、票にならなければ、動かない。
従って、問題の原因を明らかにし、その原因を放置もしくは改善すると、どのような不利益(ムチ)・利益(アメ)があるかを、自分ごととして、腹落ちさせた上で、協力関係に巻き込み、具体的施策を提示・実行する必要がある。
③ 高等教育への投資を軽視することに合理的な理由を見出している各種利害関係者組織に、自ら積極的に方向転換する「アメとムチ」のインフラやロジスティックスを整備したうえで、「どうすれば?」の具体的施策の提示、関係者の協力巻き込み、リソース獲得、及び実行に移る。
※特に重要と個人的におもうこと※
特に①「なぜ?」の解明段階において、
国家の存亡における高等教育が占める重要性を、縦軸と横軸を絡めて明らかにすることはとても大切と考える。(歴史の記憶)
A:過去の歴史において、高等教育=国家の存亡の等号式となった顕著な例
第二次世界大戦中における英米日独の原爆開発競争と理論物理学者の研究
英米日独ともに、戦局を大きく変える兵器として原爆の開発に第二次世界大戦中に乗り出したが、唯一、アメリカのみが成功した。これは、亡命ユダヤ人も含めたアメリカの理論物理学者の層の厚さ(高等教育機関の受け入れ体制の充実)によるところが大きい。 (例:プリンストン高等研究所) これは今なら、脱炭素化エネルギー、量子コンピューターの開発、AI、ITセキュリティーにおける暗号のアルゴリズムなどの研究の重要性に該当すると思われる。
B: 19世紀から20世紀初頭にかけて世界最高水準であってドイツ語圏大学の制度の日米の受容の仕方の違いを研究すること。
アメリカも日本も、戦前は、当時、世界最高水準であってドイツ語圏大学の制度を、どう輸入・移植するか?という共通の関心があった点では同じであるが、その受容の仕方は、日米で大きく異なっている。もし日本の大学が、21世紀において世界最高水準であるアメリカの大学の制度を参考にするとするならば、それは、同時に、日米のドイツ大学モデルの受容の仕方の違いを解明することでもあると理解すべきである。