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不幸ではなくなっても、幸福になれるわけではない

当たり前のことだが、生きていると必ず皆、幸福を追い求めている。なるべく人生を幸せに生きたいと思うのは人間として、ごくありふれた普通の感情だ。

幸福を追い求めていく中でまず考えることは、不幸を消し去るという行動ではないか、そんな僕も常に不幸、不自由さと言うもの消し去ろうと思って生きてきた。

人生を振り返ってみて最大の不幸と言えば、腹が痛い事が多かったという事だ。過敏性腸症候群という病気を患っているせいで、高校生の頃はずっと腹が痛かった。外に出るのもトイレを気にして楽しめない、なんて自分は不幸なんだと思った。さらにその頃は会食恐怖症も発症、人と食事をするのは緊張してしまい、人と会食ができない、まさに人間関係を構築するということがとても難しく、1人を極めていた時期で、とにかく寂しかったし不幸だった。

そんな僕だが最も悩んでいた高校生の頃から10年が経ち、相当体調も良くなった。自分の体調を理解してくれる友達も増えて、今ではほぼ不自由なく、人間関係を構築できている。会食恐怖症に関して言えば、自身でオフ会を開催することで、人から感謝されることも増えて、そこからの繋がりで友達も増え、ある意味自分のアイデンティティの1つであると言えるようになった。(会食恐怖症は人生の彩の一つである。)

このように今の状態は不幸からはほど遠くなった。昔感じていた不幸は今やもう解消されている。過去の自分からすると、このような状態になれば100%幸福になれると思っていた。これだけ人生での大きな悩みを解決出来れば、その時にはとても幸福に生きていけると思っていた、だけれどいざ今の状態になってみると、不幸じゃない自分になっただけだった。

不幸じゃない事と幸福である事は、一見シーソーの関係のように見えるが、不幸をどんなに頑張って消しても、不幸じゃない状態になるだけで、幸福になれるとは限らない。。。ではどうしたら幸福になれるのかと最近は考えていた。

幸福は努力して追い求めるもの

幸福を手にする方法は意外とシンプルでないかと気づいた。幸福を手にしたければ、しっかり追い求めていかなければならないと気づいた。しかし幸福追い求めるにしても、不幸な状態では絶対に成し遂げられない。まさにここからが人生のスタートではないかと思った。

最後に

今、とてつもなくどん底にいて不幸だと思っている人に伝えたい。どんなに不幸を消し去っても幸福になれるとは限らない。幸福になりたければ幸福になる行動をとっていかねばならない。そんな偉そうなことを言っている。僕も、まだまだ幸福を追い求めている側である。
ふとこの文章を書いていて思ったが、幸福を追い求められる人生と言うものが、そもそも幸福なのかもしれない。

つぶやき

幸福なんてすぐ隣にいて、結局は自分自身がどうやって人生を見ているのか、捉え方次第なのかもしれない。
小さな幸福に気づき、積み重ねられるのが、大人なのかもしれない。

読んだ本

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