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映画<アナログ>~愛おしむ速度~


アナログな速度の恋愛

数年前に、和晒し(わざらし)ガーゼのシーツを初めて買ってみたら、その感動的な柔らかさと優しさにうっとりした。
綿繊維にストレスを与えないようにゆっくりと時間をかけて本来の性質を引き出す加工をするのが和晒し(わざらし)、綿繊維にストレスを与えて短時間で仕上げる加工をするのが、洋晒し(ようざらし)だそうだ。洋晒しは、コスパの点で和晒しに勝るが、和晒しの柔らかさと優しさを生み出すことは到底できないだろう。
和晒しと洋晒しは、アナログとデジタルの対比のように思える。
綿繊維のもつ本来の性質に問いかけながら、綿繊維を変容させていく速度と、スピードを重視して強引に変容させていく速度。
これが綿繊維ではなく、人だったら? これが恋愛だったら? 「スピード感ある強引な変容」も、恋愛モノとして確かに魅力的である。
ではアナログな速度の恋愛は?人間の身体感覚に、想いの速度に合わせて、ゆっくりと変容していく恋愛は、どんなものだろう?
そのことが語られていく映画である。
主人公、水島悟(二宮和也)は、アナログを愛おしむ人だ。
土鍋とガスの火力で毎朝のご飯を炊き、自宅でめだかを飼い、建築設計デザインの仕事では鉛筆で描くイラストと手作り模型を手放さない。
個体(お米(植物)やめだか(動物)や自分(人間))の身体感覚を大切にする人、悟。
「愛おしいもの」との時間を作るために、悟が「デジタル」を取り入れるようになるシーンも登場するが、アナログからデジタルの変更ではなく、あくまでも併用だから、ぶれていない。
「愛おしいもの」に対しては、「愛おしいもの」に負荷がない、傷つかない速度を感じ取りながら、悟は歩んでいく。
悟が出会う恋愛は、丁寧な速度の恋愛であり、アナログな速度の恋愛。それがふさわしい人だ。

みゆきの上品さとは

映画の冒頭に映し出されるのは「無声の海」である。
上空から映し出された海、浜辺に打ち寄せる波。聞こえるはずの激しい波音がない。
無声の海は、ヒロイン・みゆき(波瑠)(「波」の字をもつ女優!)のありようが映し出されているようだ。
悟が惹かれる人、みゆきを見て誰もが抱く印象は「上品な人」だなあということだろう。
上品であることとは、人にも場にも波風を立てないことだ。
みゆきの服装は「肌見せ」を極力まで抑え(首元までつまった襟、長いスカート、足首を見せない靴)髪型もメイクも荒立てるようなラインがない。
所作も話し方も声も、人をびっくりさせるような音や動きを立てず、穏やかで平らかなトーンを保っている。
凪いでいる海のようなラインとトーンを、身にまとっている人である。
そして、上品さの核となるものは、外見ではなく、凪いでいる海のようなこころであることだ。
だが、恋愛はどうしたって、人の心にざわめきや波風が立つことである。

無声の昼の海、叫ぶ夜の海

物語の中で、悟がレストランのデザインの仕事で、昼と夜で色と店名を変えて、二面の演出を提案するシーンがある。
昼と夜で、別の側面をもつことは、昼の海と夜の海を、二つの名前を持つことを、連想させる。
木曜日のデートのある日、みゆきが望んで悟と夜の海を見に行ったとき。
このシーンの「夜の海が好きなんです」という言葉に、みゆきの隠された激しさを見た気がした。
夜の海の存在感は波音だけ。音を立てることが許される夜の海。
夜の海の音を聞けば、昼の海のまぶしい輝きにかき消されているものが、聞こえてくる。
みゆきは本当は激しい感情を秘めている女性なのではないか?
映画の冒頭の「無声の海」は、昼の海だった。激しく波が荒立っているのに、波音が聞こえない海。
それが、みゆきの姿だったのではないか?と。
かつては、バイオリンが、自分の感情の発露だったのかもしれないみゆき。
みゆきが、もう一度バイオリンをとりだしたとき、バイオリンの音を悟に聴かせたいと望んだとき。
それは、みゆきが感情に音を与える決心をしたときだ。
凪いでいる海の、恋愛の始まりの音は、まず無声だった波の音を立てることから。
なんて繊細な丁寧な恋愛感情の始まり方だろう。
そこに至るまで、みゆきの恋愛感情は、音を立てない方法で、静かに綴られていたことも、後ほど解るのだが。

恋人というよりツイン


二宮和也(悟)と波瑠(みゆき)は、同じ誕生日(6月17日・双子座)のふたりである。
「アナログ」な速度の恋愛とは、性急ではない恋愛であることも意味し。
エロスを遠ざけ、プラトニックな恋愛が綴られていく物語に、ふたりの俳優は、とてもふさわしい雰囲気だった。
二宮和也の少女のような要素と、波留の少年のような要素、がプラトニックを納得させる要素になっていると思う。
(みゆきにハグされて驚くシーンの二宮和也の少女っぽい可愛い表情、賢い少年が内側で息づいているかのような波瑠の朝陽のような美貌。)
海の上の桟橋を悟とみゆきが手をつないで歩いて、桟橋の行き止まりで立ち止まるシーン。
手をつないで海の前で立ち止まっているふたりの姿は、男女というよりツインのような雰囲気だった。
目の前に広がる未知な巨大な世界に直面し、戸惑いながら立ち止まっている幼いきょうだいのようにも見えるし、幼いペアが「性」に対して立ち止まっているようにも。
(このシーンのあとの停止の暗示のようにもなっているのだが。)
個体として愛おしいものと出会い、愛おしいものと、ただ一緒にいたい、という気持ち。
そんな原始的で純粋な恋愛の想いのかたちも、アナログなのかもしれない。
#二宮和也 #アナログ #波瑠  

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