私が実践しているサステナブルな取り組み
私はあまりリサイクルに関心がない。
地球温暖化は確かに問題だが、そこまで身近に感じていない。
私一人が努力しても無意味だろう。
だが唯一行っている取り組みがある。
それはペットボトルの分別だ。
なぜペットボトルの分別だけ積極的に行っているのか?
これは私の趣味に関係している。
実は私は生きることにも関心がない。
死ねるならいつでも死にたい。安楽死制度があれば積極的に利用したい。
しかし、人間簡単には死ねない。
葬儀にお金がかかるし、親を悲しませるし、親切にしてくれた周りの人にも迷惑をかけてしまう。だから一応死ぬことは考えていない。
でも、こんな人間でも趣味はある。
それは音楽を聴くことと読書と食事だ。
今回のペットボトルの分別というところに関わっているのはこの食事だ。
私の生きる目的にもなっている食事。できれば邪魔をされたくない。
常に美味しい食事をしていたい。
こんな唯一の楽しみを奪おうとしているのが闇の組織「紙ストロー」だ。
闇の組織「紙ストロー」は現在、マックやスタバにまで侵攻を進めており、全国に甚大な被害を与えている。そして、つけ上がったこの組織はコンビニの袋にまで金を要求するようになり、今では1袋3~5円も取るというN◯Kのような汚い集金に手を染め始めた。
私はこの組織の撲滅を企んでいる。自分の趣味を脅かされないために。
マックやスタバのストローはプラスチックであって欲しい。紙は非常に飲みづらい。大好きなレトルトカレーやお〜いお茶、チキンラーメン、ローソンスイーツなど全ての商品にプラストックは使われている。これ以上の値上げもしてほしくない。
私がプラスチックの分別に積極的なのは自分のためだ。
エゴによるエコだ。
あなたは何のためにサステナブルに貢献する?
地球のためとかそんな綺麗事言ってない?
一番地球のためになるのはあなたが死ぬことだ。あなたが酸素を吸わなければ二酸化炭素は出ないし、食事をしなければ生き物も死なない。そして、製品を買わなければ石油の消費も抑えられる。
あなたはあなたのエゴのために行動をすべきだ。
あなたの生きる理由のためにゴミの分別をするのだ。
人に分別を押し付けるな。その人はあなたのいないところでゴミを路上に投げ、ゴミを海に流す。
最後に、私が実践してるサステナブルな取り組みは、プラスチックの分別だ。これは私の生きる理由のためだ。
私の人生観のせいで協調性によってサステナブルに貢献できないのは申し訳ない。でもあなたがたまにゴミの分別が面倒になって適当に捨てても文句を言わないのでどうか許してほしい。
余談
美味しい食事をとっておきながら早く死にたいとかほざいている筆者、命に対して責任感が非常に薄いなと感じられるだろう。
自分の命を繋ぐために生まれてくれた鶏さんたちのことを思うとあんなことは言えない。これも加工の現場から離れ、便利な暮らしを享受してしまったことの弊害か。生き物に対する感謝が薄くなっている。
責任感でものを語るなら、サステナブルへの貢献は全人類の義務だろう。
ただ、その動機が常に責任感であるのは難しい。
責任を感じながらの食事なんて美味しくはないだろう。
人間生きるためのバランスを取るのが非常に難しいと改めて思う。
責任を負い続けながら、負った責任にも恩を返さなければいけない。
しかし、必ずどこかで自己中を強いられる。
ならいっそ、自己中の中にサステナブルを取り入れればいい。
これが私の結論だ。