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【恋愛小説】緋色に堕ちた婚約者 第2話 〜suspicion〜


《初めての方はコチラから》




[約3,400字]


 二年前までのエルウィン様はとても律儀な方だった。

 私とエルウィン様の婚約はいわゆる政略結婚ではあるけれど、どちらかと言うと親友同士である父達の戯れの方が強かった。私達の父であるプライム子爵とブラームス侯爵は、爵位の差を超えた仲の良い親友同士。お酒の席ではいつも『お互いの子供をいつか結婚させよう』と二人で盛り上がっていたそうだ。そしてそれぞれに娘と息子が生まれたことでそれが現実味を帯び、私とエルウィン様は婚約。それが十年前の出来事。

 それからのエルウィン様は、頻繁に我が屋敷へ遊びに来られるようになった。朝目覚めた足でバルコニーへ出ると、見下ろした先に笑顔で手を振るエルウィン様の姿を見つけることができた。私の婚約者であり、当主の親友の息子でもあるエルウィン様は子爵邸でも自由だった。当時の私達は日が暮れるまで庭を駆け回り、お茶を嗜み、話に花を咲かせる日々。それは飽きのない、笑いの絶えない、何ものにも代え難い時間。そんな楽しいひと時は、成長に伴い数は少なくなったものの、エルウィン様が王立アカデミーに入学される直前まで続いた。

 エルウィン様が自身の領地を離れ、首都での生活を始められて数ヵ月。私達は幾度も手紙のやり取りを交わした。その中身は実に他愛のないものだったけれど、私達には互いの近況を知り得る唯一の手段。定期的に送られてきたエルウィン様からの手紙は、私にとって何よりも大切な宝物だった。

 恋とは、たとえ相手が傍にいなくても、相手の姿を瞼の裏に映し出すだけで心が震えるもの。私達は、いいえ、は、きっとお互いに同じ想いを共有しているのだと本気で信じていた。――そう、あの日あの場所で、あの話を聞くまでは。





 ある日、私は交流のある伯爵家主催のお茶会に招待された。紅茶とお菓子のお供は、社交界での噂や流行など尽きない話題。止まない笑い声、止まらない喉を潤す手。段々と話は盛り上がっていき、パーティーが最高潮に達したところで、テーマは社交界から恋愛話へと移り変わった。

 この年頃になると、婚約者がいる令嬢も少なくない。実際に私と一緒にテーブルを囲む令嬢達の中で、半数はすでに婚約式を終えていた。また婚約をしていなくても恋人はいるという令嬢もいて、お菓子の手が進む速さと同じくらい、恋愛の話もどんどんと進んでいった。

 そんな中、私は貝のように口を閉じ、素知らぬ顔でみんなの話に聞き入っていた。私にも婚約者がいる。だから他のご令嬢達のようにエルウィン様とのことを話すこともできるはずなのに。――私にはそれができなかった。

「その時私の婚約者ときたら……」
「あら、私の恋人はこんなことを……」
「みなさま本当に微笑ましいですわ。私の婚約者なんてこの間……」

 ――正直、羨ましい。この場で語り合えるご令嬢達が本当に羨ましい。婚約者がいる方も、恋人がいる方も、今はまだ恋愛に縁がない方も。みんなみんな、楽しそうに輝く笑顔で溢れ返っていた。……私も本当は言いたかった、エルウィン様とのことを。

「そう言えば。アンナ嬢のお姉様は確か、今年首都のアカデミーにご入学されたのですよね?」
「あら、そうですの?おめでとうございます」
「みなさま、ありがとうございます」

 恋愛トークの流れで、話題はいつの間にか王立アカデミーへ。主催者であるルヴェール伯爵家のご令嬢アンナ嬢の姉ユリア伯爵令嬢は、エルウィン様と同じ年に王立アカデミーに入学された。もちろん、アンナ嬢と親しくさせてもらっている私はそのことを既知。むしろ何かしらエルウィン様の近況が聞けるかもしれないという淡い期待を抱いてこのお茶会に参加していた。

 そんな私の小さな希望が儚くも崩れ去ることになるとは夢にも思わずに……。

「いいですわよね、首都。ここは地方ですから、あらゆるものが都会よりも遅れておりますし」
「流行、本、情報。都会で流行った後にこちらへ入ってくるんですもの」
「噂で耳にしたあの舞台も、今首都で公開されているそうですよ。本当に羨ましいですわ」

 私達が暮らす領地は首都から離れていて、王国の東部に位置する。だからこそ幼い頃から首都に憧れを抱き、将来通うことになる王立アカデミーへの期待が止まなかった。

「それで、アンナ嬢はユリア嬢からアカデミーのお話は聞いておりませんの?」
「そうそう。私も聞いてみたいですわ、アカデミーのお話」
「もちろん、お姉様からのお手紙にたくさん書いてありますわ」

 アンナ嬢が嬉々として語る王立アカデミーのお話。隠れたところでひっそりと心を踊らせていた私は、彼女が紡ぐあれこれに興味津々だった。王立アカデミーとはどんな所なのか未知の世界である私にとって、耳に入ってくる情報は新鮮そのもの。その中で日々生活を送るエルウィン様を想像するだけで、私は一人幸せな気分に浸っていた。

「でも、やはり一番の関心事は殿方のことですわよね?」
「ええ。確かにアカデミーは学びの場ですが、貴族の私達にとって出会いの場でもありますから」
「ねぇ、アンナ嬢。その辺りのこと、ユリア嬢は何か仰っていませんでしたか?」

 やはりお茶会における永遠の話題と言えば恋愛なのだと思わせる展開。つい先程まで首都に思いを馳せていたのに、またそちら方面に話題が戻っていった。お年頃の私達。みんな揃って瞳をキラキラさせてアンナ嬢の次の言葉を待った。

「それでしたら、この間お姉様が一時帰省をされた時にたくさん聞きましたわよ」

 そう前置きをしてから語り始めたアンナ嬢。王国でも有名な伯爵令息の人気、麗しい侯爵令嬢のお相手。恋愛事になると話が止まらないのがお茶会。次々と繰り出す王立アカデミーでの恋愛話で盛り上がる私達だったけれど、このタイミングで私は思わぬ話を聞くことになった。

「あっ、そう言えば。この地方で一番の領地を誇るブラームス侯爵家のご令息。あの方のお話もお姉様から伺いましたわ」
「あら、ブラームス侯爵令息ですか?」

 待ちに待ったエルウィン様の話題に、私の胸はドクンと大きく高鳴った。やっとエルウィン様の近況を聞くことができる。期待に満ちた私の心。でもその裏で、じわりと広がった小さな不安も共存していた。――なぜこのタイミングで?もやもやと侵略してくる薄黒い不安に目を背け、私は期待の眼差しでアンナ嬢を見つめた。……けれど次に発せられたアンナ嬢の言葉は、私の密かな願いをいとも簡単に崩したのだった。

「ええ。あの方にもどうやら春が訪れたらしいですよ」
「あらっ。それってもしかして!」
「そうなんです。なんでもお相手は首都近郊に領地を持つ伯爵家のご令嬢だそうで。お姉様のお話ですと、それはそれは毎日仲睦まじく過ごされていらっしゃるそうですわ」
「わぁ、羨ましいですわ」
「本当に。あんな素敵な方が恋人だなんて」
「……あら?レティシア嬢?いかがされましたか?お顔の色が真っ青ですよ?」

 ――不安は的中。エルウィン様の恋愛話なんて予想外だった。あまりの衝撃で、アンナ嬢からの問いかけに私は暫し沈黙。途端に胸焼けのような症状が私を襲い、唇をギュッと噛み締めることで私は必死に耐えるしかなかった。余程私は色を失っていたのだろう。アンナ嬢をはじめ、他のご令嬢達も思わず会話を中断してしまったようだ。その上私の顔を覗き込む彼女達の表情は、私に負けず劣らず青くなっていた。

「……い……いいえ……。……何でも……ございません……」

 その時の私にはそれが精一杯だった。確かに私は彼の話を聞きたいと思っていた。本人以外から得る情報で彼のアカデミー生活を身近に感じたかった。――たったそれだけだったのに。……なぜ……彼が他の女性と過ごしているという話題が上がるの?

 だからと言ってその場で動揺することは許されなかった。――なぜならば、彼女達は知らないから。私とエルウィン様が婚約しているという事実を。だから私は、間違っても狼狽えてはならなかった。

 そこでふと私は気づいてしまった。

 通常貴族の令息令嬢が婚約をすると、まずは王国に届け出を提出し、その事実を周囲に広めることから始まる。そうすることで他の貴族に家門同士の結びつきを誇示したり、それ以上の求婚を受けないようにするのだけれど、私とエルウィン様の婚約は今の今まで誰も知らなかった。

 そのことに気づいた時、私はまた別の意味でサァッと顔を青くさせたのだった。





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愛世(趣味:小説書き)
【文章】=【異次元の世界】。どうかあなた様にピッタリの世界が見つかりますように……。