滝行の「場」
2015・2・4
天真体道の滝行システムは今では完成されて初心者でも40M以上の滝に楽々と入っていくが、創始者が初めて滝に入ったときは5秒も入れなかったと言う。
今から二十数年前には40m以上の滝など30年、40年の真のプロの滝行者でなければとても入滝出来なかった。それぐらいに難行中の難行であり非常に厳しかったわけだ。そこへ何も知識が無い素人が飛び込んだのだから入れるわけも無い。
創始者は何度も何度も挑戦し失敗を繰り返し繰り返しながら、惨憺たる思いをしてこの滝行システムを開発した。時に、頭はたんこぶだらけになり血が吹き出たり酷い鞭打ち症にもなったという。
それでもここに何かあると思われて“道”の開発に勤しんだわけだ。「道を拓く」ということはそういうことなのであろう。艱難辛苦と絶望体験の連続であると思われる。
創始者そのような孤独な創造の行為をとうして画期的な入滝法は開発されたわけである。そして、開発数年後に私は始めだしたが、その当時(1993年)は厳寒時は誰もが入れるわけではなかった。
当然ではあるが2割から3割ぐらいは突き抜けるまでは行かなかったろう。
それが天真流滝行を体験する人が増えるに連れて、あるいは少数先鋭グループが独自に毎月や毎週のように滝合宿やらワンデイ滝行を楽しむうちに面白いことが起こってきた。
それは2000年以降に顕著になったが、初めて滝行を体験する人が2年、3年とか4年、5年の経験者のように堂々たる入滝をする。あるいは、ほぼ全員が見事な入滝姿を見せるようになったのである。
“道”は日々進化するわけだ。
初めに創始者が惨憺たる苦労で“道”を拓き、次にその出来上がった“道”を何人もの稽古人が通過するうちに、意識の“場”が出来上がっていったと思われる。
後から来たものが先に行くとは“道”ではよく見る真実であり、ネパールで厳寒の滝を体験した日本の若者達が何が凄いと思ったかと言えば、アウェイの異国でそういう創造された意識の“場”に自ら頭を低くして入身して見事な入滝をはたしたと思ったからだ。
日本では95パーセント以上の10カ国以上の人が見事な入滝に成功させたが、やはりホームでは“場”が出来上がっていて先導者がやり易いと言うことが大きいだろう。
他方、ネパールで95パーセントのネパール人達が何故入れなかったかというと、まず先導者が単独でそのような“場”を異国の地で形成できない力量不足が第一に大きくあろうし、先生としてでなく無料で友人達に気楽に教えたのもあろうし、何よりもネパール人達が謙虚になってそのような“場”に意識を合わせられなかったこと、辛いとこを突き抜けるのでなく横っ飛びに逃げると言うネパール民族の呑気な気質が大きいであろう。
このように、日本人は長い伝統の精神文化の中で独特の意識の“場”を創造してきたのは間違いないことと思う。それは今では”道”と呼ばれて確かなものとなっている。
傑出した天才クリエーターの力が一番に大きいが、やはり個を超越した独自の“場”が日本と言う小さな小さな極東の島国に形成され、その精神の炎が何世代にも渡り何千年も点し続けられたこと、それが画期的な滝行システムを生み出したもう一つの背景にあると思う。