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鎌倉時代と冥王星水瓶座時代
2024/11/20冥王星が水瓶座に入りまして本格的な風の時代が始まりました。
前回の風の時代が1185年〜1425年です。
日本は何時代かと言うと、
1185年(文治元年)〜1425年(応永32年)
文治元年は鎌倉時代の始まりの年。
その年に平家を滅ぼして、実質的な頼朝天下始まりの年です。
応永32年は室町時代、 室町幕府第5代征夷大将軍・足利義量が急死して征夷大将軍が不在となり、幕政は前将軍・足利義持が統括する。
室町幕府の最盛期を築いた足利義満のあとを継いだのが義持。
満ちた月はかけてゆく。
次の時代へのバトンタッチが起こります。
足利義持政権期には、飢餓や疫病の流行が社会的な問題となりました。
このことで、南北朝の混乱で長らく中止されていた祭祀や儀礼に関心が集まり、「伊勢神宮」(三重県伊勢市)などの寺社や朝廷からの呼びかけもあったことで、祭祀や儀礼が再興されました。
朝廷の祭祀や儀礼に進んで資金援助を行い、朝廷の復興にも貢献しています。
私は高校の時の歴史の教師に、鎌倉時代は「固まる前のフルーツゼリー」の様なものだと教えられた。
つまり上下左右、縦横無尽に階級を飛び越えられる。
貴族中心から武士中心へ、まさに水瓶座時代の象徴である。
また裏獅子座時代でもあります。
北条政子の演説
水瓶座や天王星はユニセックスも表しています。演説も獅子座的。
上司である朝廷
部下である幕府
幕府が勝ったので上司と部下の関係が一転。
東国だけの支配だったのが、西国も支配する様になり、日本全国を統治。
倒幕を目論む朝廷を監視するために、六波羅探題を設置した。
元寇
天王星の突発的な、予期せぬ時代を表します。
また、武士も庶民との身分の違いにさほど垣根がなかった時代なので、自分の食い扶持を自分で耕したりもしていました。
この階級に垣根がない時代がミソで夢がある時代でもあります。
しかし、前水瓶座時代を見ていくと気付かされることが多々あります。
https://www.yaruki-assist.com/tips/regular-exam/post-0038/
↑引用元
元寇の後、御家人の多くは、十分な御恩を貰えないことや、徳政令などの悪政によって困窮し、幕府に対する不満を持つようになります。
↑国内だけだったらうまくいっていたものを、海外からの思わぬ攻撃により歯車が狂った。
これからの時代は国(や会社、上司)が守りきれない不足の事態が起こるかもしれないことを考慮する。
ここで隙を狙っていたのが、当時の天皇である後醍醐天皇でした。
彼は幕府を倒す策略を2回練っていましたが、どちらも事前にバレてしまい、島流しの刑を受けることとなります。
しかし、後醍醐天皇は島から脱出し、倒幕の為に動き出します。
その動きに便乗して倒幕に協力したのが、元々幕府側であった御家人の足利尊氏でした。
足利尊氏は京都の六波羅探題(幕府の朝廷監視機関)を倒し、新田義貞が鎌倉を攻め落としたことで、鎌倉幕府は滅亡することとなります。
幕府が無くなったことで、後醍醐天皇は意気揚々と建武の新政を始めます。摂関もなく、征夷大将軍もいない、天皇が政治を行う体制が平安時代振りに戻ってきたのです。
朝廷の政治なので、当然公家(朝廷に使える人間)が恩恵を受ける政策を次々と行っていきます。
これに不満を持ったのが武士たちです。せっかく鎌倉幕府を倒して、よりよい武士の世界がやってくると思ったら、貴族たちが力を持ちだしたので失望しました。
↑冥王星山羊座時代の様な階級社会(上のものが下のものを支配する)はもう崩れ去り冥王星水瓶座時代に移行している為に時代に逆行する価値観は通用しなくなります。
このような状況を見かねて足利尊氏はそんな武士たちを代表して兵を挙げることとしました。
後醍醐天皇側についたのが、鎌倉幕府を攻め落とした新田義貞でした。
この戦いの結果、後醍醐天皇は敗北し、足利尊氏が勝利します。後醍醐天皇は京から脱出し、奈良の吉野に逃げ、ここに朝廷を置くこととしました。
一方で、足利尊氏は幕府を開きたいのですが、征夷大将軍に任命されなければ開くことはできません。
足利尊氏は考えました。
「今の天皇は後醍醐天皇ということになっていて、聞き入れてはくれないだろう…そうだ!新しく天皇を立ててしまえばいいや!」
こうして、足利尊氏は光明天皇を京に立てて、光明天皇より征夷大将軍に命じられると、室町幕府が成立しました。これが1338年の事です。
室町幕府の「室町」ってどこ?って思いますよね。これは平安京にあった地名で、そこに3代目足利義満が花の御所を造って住んでいたことから、この名前が付けられています。
さて、ここで、平安京と奈良の吉野の2箇所に2人の天皇が誕生してしまったことになります。この朝廷が二つある時代を南北朝時代と呼びます(中国にも南北朝時代がありますが、それとはまったく異なるので、間違えないようにしましょう)。
南北朝時代では、北朝側と南朝側に分かれて、約60年間争いが行われ続けます。これは近畿だけの話ではなく、全国に広がっていたそうです。
北朝は足利尊氏が立てた側の朝廷ですが、幕府が後ろ盾ということもあり、次第に南朝は劣勢に立たされていきます。
そして、3代将軍である足利義光の時代に、南朝は北朝に吸収される形で統一され、南北朝の時代は終わりました。
守護の勢力拡大
守護大名(のちの戦国大名)
守護大名は自分の国の統一や経営に力を入れていきました。というのも、この時代は幕府の力に比べて守護大名の力が強く、血生臭い戦いが多く起こっていたからです。幕府自体も、倒さなければ危険が伴うと考えるほどに強力になってしまった守護たちを倒す必要に駆られ、戦ったりしたいます。
なので、自分の国を強く豊かにし、戦いに備えなければならなかったのです。
↑凄く水瓶座的な世界観で、自立を象徴した例
また闘いもキーワードになりそう。
風星座は火星座ともセットなので、血気盛んでもあります。
闘いというかバトルのようなニュアンスが風星座には近い気がします。
真田広之の「shogun」も世界で話題になりましたね。
「武士道精神」が求められているエネルギーなのでしょう。
生きるか死ぬかの世界で、斬られるかもしれない中恐れもあったと思います。
その分今の感覚と違うリスペストもあったでしょう。
本格的に水瓶座時代に入る中でその空気感と言うか概念を感じられる事を楽しみにしてます。