THE GREAT HUNTER  黒騎士編 幽玄の章  1.始動

 それは心からの渇望であり、最も欲しかった現実。それ故に皆虚構へ逃げる。それを乗り超えた先にあるのは、何なのであろうか。

~???~

 一面の白い景色とそこかしこに並べられた椅子。そこには何かが座っていて空きなどない。その中心に私はいた。

 そこは牢屋があり、金属の首と手首と足首に輪がかけられている。その輪には鎖が繋がれていた。さながら囚人だ。平服を着せられ、木でできた机と椅子がある。その空間には清潔感があり、また食には困らない。捕らえられている囚人と言うにはぜいたくすぎる対応だ。

「楽しめているかしら?セフィエンさん~。」

 鈴のような声で少女が私の名を呼び、語り掛けてくる。体躯は七、八歳ほどで、銀色の髪、瞳。玉のような人外の美しさを持った白い肌、その髪は床まで届いて引きずっている。その少女は私をさも面白い物でも見るかのような目でこちらを見る。

「……。私達にあれだけのことをしておきながら、私を玩具の様にしておきながら何故口を開く?何故その質問を肯定しようと思う?お前などと言う者に何故談笑をしなければならないんだ?」

 そして目をつむって黙りこむ。こいつらに話す価値など感じない。すると少女は子供らしく頬を膨らませて。先程の私の発言にすねたかのような表情をわざとらしくする。

「面白くないわねぇ、ずうっと…。けれど、今からのショーは楽しめると思うわよ。」

 そして私の耳に手を添え、他の誰がいるわけでもないというのに、内緒話の様に口を近づけ話しかける。

「貴女の愛する彼が、私の物になるんですから。」

 その言葉に衝撃が走り、私は目を見開く。実に不快な言葉だった。彼が、あのフォルレジスが貴様のような女の物になるだなどと…。

「彼がお前の物になるわけがないだろう?何を考えている。」

 睨み付ける私に、わざとらしく怖がった様子を見せ、小女はこう答える。

「自らの理想を撥ね退けられるものなど存在しません。欲望こそ人を人足らしめているのですから。それを撥ね退けるのは幸せを撥ね退けるのと同じ。」

 そして笑いながら女は去っていった。静寂が場を支配し始める。もう私の近くまで来ているのだろうか?フォルが。なのだとしたら、本当にあの人が私をまだ探しているのだとしたら、私はその気持ちにこたえなくてはならない。迫りくる運命をおとなしく待つつもりなどない。

「させないさ、絶対に。それに彼は決して理想(ゆめ)に逃げたりしない。お前が捕まえたとしても、必ずその手を離れるさ。彼が触れるのは、私なのだから…。」

 私は目を細め、唇に中指を当てて静かに呟いた。すると、後ろから気配がして甘い匂いが薄く漂う。振り向いた時、牢屋の向こうに鴉のような仮面をかぶった黒衣の人物がいた。

「その予感は当たっている。」

 老いた声でその人物が語る。私はその人物に鋭い警戒を示した。尋常なる方法ではこの空間に来ることなどないからだ。必然としてその人物は常ならざる者だということが分かる。だが、先程言葉を交わした少女とは違い、敵意は感じない。

「お前、誰なんだ?いや、何なんだ?」

 その者は唇に右手の指を口付近に当てて、左手で右腕の肘を掴んで笑う。黒衣が揺れ、一瞬体のラインが見えた。

「質問がひどく多い、けれどすべてに答えよう。確かに私は人ではない、そして私は自分が何物であるかなど分からない。人外のしがない商人だよ。そして少なくとも貴女に仇なすことはない。」

 その者の声にはひどく違和感がある。本当の声ではないような…!そうか、

「何者ではない、か。けれど私にはお前が女性であるということが分かる。何故隠す?信用されるためには相応の態度と言うのが必要だ。」

 その指摘に一瞬ビクリとなった彼女は棒立ちになり、老人の声でなく、笛の音色でこちらに語り掛けて来た。

「まさか会って少しで私の正体を見抜くとは、やっぱりすごい。話に聞くフォルレジスと共に、貴女は希望と言う事ね。」

 まあ、私でさえ偶然が重なって分かっただけだが…。しかし彼女はフォルを知っているのだ。まあ、あった事は無い様だが。と言うより、彼女が外から来たというのならフォルがいま何をしているのかを聞きたい。そう思索しているうちに彼女の存在がどこかに引っ張られ始めた。

「もう見つかったのね、話は終わりよ。恐らくもう彼女の世界に干渉できないわ、彼女の注意が私からそれない限り。」

もう見つかったとはおそらくあの少女のことだろう、全く煩わしい奴だ。もっと聞きたいことがあったが仕方ないか…。そして女商人の姿が薄れていく。別れ際に強く、心のこもった声で一言、

「この空間にいても貴女の出来る事はあるはず!ここの主の能力は一人でどうにかできるものではないわ‼フォルレジスを貴女が助けてあげなさい!彼女の世界にとらわれてなお強く気高い貴女こそ、最もできる可能性が高い‼」

 そして女商人の存在は完全にここから消失した。辺りにまた無音が立ち込める。もし、フォルが危機に陥ったのなら、たとえ死したとしても死の世界からでも這い上がって、彼を助ける。夢かもしれないし、都合のいい幻覚かも知れない。それほどに曖昧な物だが、一度だけその思いが成就した気がするのだ。だからこそ私にはできる、できなければならない。

~フォルレジス~

 俺はユウカを抱えてどこか安全に寝かせられる場所を探した。病院に連れていくなど貴族達しかできない。取り合えず宿に泊まり、安静にさせることにした。腕に抱える彼女をあまり揺らさぬように、だが迅速に走り、家々を見て回る。これほど大きな街なのだから探すのにも苦労する。

「お客様、いらっしゃいませ。」

 なんとか宿に着き、受付の人間に会う。急いでいるので簡潔に物を伝えた。

「期限は分からん。追加料金を払ってもいいから無期限にしてくれないか?出て行くときは必ず伝える。ベッドはこの子を寝かせる分の一つでいい。」

 そいつは取り繕った笑顔で特に詮索せずにお辞儀した。それは俺にとってありがたい物だった。

「かしこまりました。では案内します。」

 そして案内された部屋に入った。早速一つあったベッドにユウカを寝かせる。

「必ず戻って来る。」

 そう言い残して部屋を出て行こうとした、すると。

「ううう、あああ。」

 ふとベッドからユウカの声が聞こえた。振り返るとユウカがベッドから上半身を起こしていた。

「目が覚めたのか…、何があった。」

 驚かせないように出来るだけ冷静に、ユウカに聞いてみることにした。

「んんん?ううう。」

 ユウカは無邪気に笑っている。その姿はまるで赤子の様だった。俺はこぶしを握り締めた。血が流れているとも気付かずに、強く力を込めた。

「……。よしよし、もう寝るんだ。暗くなるだろう?」

 握りしめている手とは逆の手で頭を撫でユウカを寝かしつけた。俺は走ってこの町を離れて、人のいない近くの平原に行く。もう夕暮れで、何もできないユウカに亡者たちによる危害が加わる恐れがあった。それにこの現実に嫌悪感が増していた。何度も何度も理解不能な化け物どもが襲い掛かり、遂にはユウカにまでその毒牙にかけたのだ。

 相も変わらず大量に出てくる死者たち。だが今回ばかりはそれが少し嬉しかった。ただひたすらに剣を振る。守る物もなく、無造作に剣を震える。ここ最近はあまりにも変化がありすぎた。もっと来い。今はお前らを殺したい。とにかくこの剣をずっと振っていたい。どうせ今回もお前らだ、それにかかわっている奴らだ、だから殺しつくしてやる。

 死者たちからの赤黒く冷たい返り血を浴びながら剣を振るう。一匹はそのまま胴が叩き切られ、二匹目は頭を叩き潰され、三匹目は左手で首を握り続けた。気付けば夜は明けていて、辺りに大量におり、無限に復活する死者たちは跡形もなくいなくなっていた。俺は持っていた大剣を仕舞う。

「クソ!」

 いったいどうしたのだろうか?全く俺にはわからない。昔からそうだ、こういうのは仲間に任せてばかりだった。俺はただ剣を振っているだけ。一人じゃ何もできないのか?俺は…。繰り返すのか…。

 町のやつらに不審に思われないために返り血を拭き、無力を噛み締めながら。俺は宿に戻った。

~ユウカ~

 朝まだ肌寒い。外は霧にまみれている。私はいつの間にか寝かされていたベットのシーツにくるまっている。

「凄い!ユウカ様は凄いです!」

 称賛の声が静かな部屋から聞こえる、孤独な空間から。

「うん、嬉しいよ。」

 私の満足した声が部屋に響く。ずっと、ずうっと。歓声が、称賛の声が私の周りから聞こえてきた。

「スゴイ、スゴイね私。フフフフフ。」

 私の笑い声がこだまする。

「ユウカ!何をしているんだ…。」

 すると、暗い大きな男の人が私を心配そうな目でこちらを見ていた。どうして?どうしてどうしてどうして?私はこんなに満たされているのに?

 周りを見渡してみる。その空間は私とその人しかいない。私はもはや、自分が何をやっていたのか、何者であるのかさえ忘れてしまっていた。

「え?現実?幻覚?だあああれ?私。こんなにうれしそうなのに。月が攫って行っちゃったの?頭に霧がかかかっているみたい。」

 私は混乱する。何が起こっていたの?脳が働かない。ほわほわする。これは夢なの?現実なの?

「こんなところにいたの?さあさあ一緒に行きましょう?私たちの日だまりに。」

 私はその手を取ることにした。もう何も考えられない。

~フォルレジス~

 突然の出来事過ぎて全く理解できなかった。いったい何が起こったのか?ユウカが部屋のベッドに座り一人で何かをしゃべっていると思えばぐちゃぐちゃな言葉を話し始めた。

 そして何かに手を引かれるように手を挙げ、魂が抜けるように倒れた。いったい何が起こっているんだ?

 と、そう考えているうちに後ろから足音が聞こえ、誰かが声をかけて来た。

「ずいぶんと苦労していますね。」

 それは少し前にも出会った女性だった。

「フラストリィか。」

「はい、少しこの町で足止めを食らいまして。」

 それはおそらくユウカに起きていることにも関係あることなのだろう…。そう思考しているうちにフラストリィがユウカの方に近づく。

「この町全体でこのようなことが起こっている。そして何故か一度入ったらこの町から出ることが出来ない。だから立ち往生しているんです。」

 犯人はこの町を根城にしている…。いつものことか…いや、今までの奴らはあくまで自分の持っている圧倒的な暴により町を支配しているようだった。だが今回の奴らは違う。悪辣で、今までの奴らが猛獣だとしたら、今回の奴は巨大な人食い蜘蛛だ。罠を張り、獲物がかかるのを待つ。暴虐とはまた違った悪意。

 と一人うなだれ、考えていると、フラストリィが俺の肩を優しくたたいてきた。

「一人で考えるの、止めませんか?一人で背負い込むの、悪い癖ですよ。私だってまだまだ君の役に立てますから。」

 そう告げて来たのだ。思いもよらない提案だ、確かにこいつは俺よりも頭がいい。俺一人では思いもよらぬことでさえも考え付くだろう。それに一人で抱え込むな…か、全くその通りだな。

「お前に相談するものとして、先ずは情報だ。今回の敵は暴れ回ってどうにかできる相手ではないのは確かだ。剣が十全に振れないとはいえお前の賢さが必要だ。」

 フラストリィが口角を上げ静かに頷き、提案をする。

「事態を解決するためには、事件を知ることが必要です。調査しましょう、徹底的に。」

 彼女は戦場で良く纏う、冷徹な雰囲気を纏い始めた。だが外へ向けて歩みを始めるフラストリィの左腕を右手で掴んで引っ張り、ユウカが眠っているベットに座らせる。

「今お前が敵に直接危害を加えられたらどうする?今の体では普通の兵士でさえ囲まれたら勝つのは怪しいだろう、俺が行く。」

 だがフラストリィは悔しいと言わんばかりの顔をこちらに向ける。俺の腕を振りほどこうとするが、右腕がないので体を揺らすことしかできない。彼女の肩甲骨の下あたりまで伸ばしたまとめていない濃い黒色の髪が激しくなびく。

「確かに両腕があったころのお前は、よく敵の鮮血により血塗れになるような奴だった。だが今はどうだ?死ぬだけか?いや、絶対にそれだけでは済まない。実力不足のお前を最前線に向かわせるなど、俺が許さん。」

フラストリィが抵抗を止め、泣きそうな顔になったと思えば、顔を下に向ける。心なしか少し震えていた。

「そう言うところですよ、本当に、そういうところですよ…。」

 フラストリィがそう呟く。後悔しているような、諦めたような。そんな声音だった。俺は彼女の左手から手を放し、フラストリィに背を向ける。少し時間が必要だろう、考える時間が。すると俺の左手首を弱く握られた。振り向いて見てみれば顔を上げ、決意の面持ちでこちらの目を見る。

「分かりました、今回は下がります。けれど必ず、また君に背を預けてほしい。それ以上はもう望みません。」

 頑固な奴だ、だがその思いが戦場で勝利を呼ぶ。助けられる時があればいつでも手伝ってやろう。俺はフラストリィの掌を両手で強く握って跪き、目線を同じにする。

「必ず生きて帰る、約束しよう。俺は身内からの約束を違える事は絶対にしない。そして俺が生きている限り、お前も必ず生きろ。」

 するとフラストリィは目を細めて俺から目を逸らした。具合が悪そうだ、やはり戦える体ではないな。

「決意を揺らがそうとしないでくださいよ。」

酷く聞き取りづらい程小声でフラストリィは言葉を漏らした。そんなフラストリィにユウカを頼むことを伝えて、彼女はそれに少しばかり考え事をしながら頷いた。そして俺は部屋を立ち去った。決して損なうことなど許されぬ複数の目的を持って。












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