母の死がすぐそこに
今朝、全く寝た気がしなかった。
1時間毎に目を覚ましてしまい、今現在は2歳の息子の寝息を片耳にスマホの光を見つめている。
母の死を、いま、すぐそこに感じる。
昨日、両親と病院に行った。母が10万人に2人しかかからない希少なガンにかかり、さらにその殆どが適性があるという治療に適性がないと言われ、これまたさらに今飲んでる抗がん剤が効いてないという診断をその前日に両親と病院で聞いた。
まだ打つ手は少なからずあるものの、
この後はスピード勝負だ。
もし、もし、もう手がなくなったら。そう、母はいなくなってしまう。
母が、いなくなる。
母とは不思議な存在だ。
母の存在というものは空気のようなもので、いて当たり前、特別視することがなかった。こんなタイミングまで、母のことをそんなふうに思っていた自分をまずは引っ叩きたい。でもそんなふうに思い続けていたためなのか、いざ、母という存在に正面から挑もうとするも、なかなかうまくいかない。こう、恥ずかしさもあるし、母という存在がうまく掴めないのだ。
だから、母がいなくなるという漠然とした、迫り来る現実にただただ涙を流すしかなく、もし外野だったら、最後に旅行に行け、とか食べたいものを取り寄せろ、とか行ってみたいところを聞き出せ、とかやいのやいの言いそうな場面にも関わらず、いざ自分の身に振りかかるとなにもできない。
なんとなく、吐き出す場所がなく、
ひとまずここに書いてみた。
私の家族の太陽、母の生死をめぐる備忘録として綴っていこうと思う。