歌舞伎脚本応募作品「音阿弥」
「音阿弥」
一幕三場
登場人物
観世三郎元重
足利義教(義円)
世阿弥
観世十郎元雅
赤松
一色
満済
山名
三条
蝶阿党の女
蝶阿党の男1
蝶阿党の男2
細川家若党1
細川家若党2
細川家若党3
伏見宮
下男
刺客
小姓
○一場・青蓮院
元重「〽花見んと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜のとがにはありける」
義教「それは何の猿楽か」
元重「いえ、これは西行法師の歌にございます。我が師、大夫が時折口ずさんでおります。いずれ猿楽にしようと思っているのでしょう」
義教「世阿弥か。桜に咎がある、とは言うたものよ、心を持たぬ花を罪人にするとは」
元重「大夫と法師はどこか似たところがあるように思います」
義教「出家してもなお美しい物を独り占めしたい俗な坊主よ。まあ、そこが似た者同士というならばそれもうなずけよう」
元重「おっしゃいますが、美しいものを愛おしむ心は義円様も負けてはおりませぬ」
義教「義円か。もうその名で呼ぶのは三郎だけになった。この墨染の衣も今日が最後。去年のこの桜を見ていた時には思いもよらなかった
義教「この桜も見おさめか。初めて三郎と出会うたのも、桜であったな」
元重「はい、桜でした」
義教「そこよ、その桜の下で、誰に見られるでもなく、三郎は一人、花となって舞っていた」
元重、舞う
義教、元重に寄る
義教「まこと花が人の姿を借りて現れたかと」
元重、義教に気づき舞をやめる。
義教「そなたは誰じゃ。人か、桜の化身か」
元重「これなるは、猿楽師、観世三郎元重と申します」
義教「観世か。なるほど、先ほどの舞は、初めて見る。風と戯れる花のように、いいや、風に耐える花のようであった」
元重「お恥ずかしい。心の乱れが舞にあらわれたのでございましょう」
義教「今をときめく観世の者が、何を迷う事がある。そなたは何に抗うておる」
元重「桜花にほひあまたに散らさじと、おほふばかりの袖はありきや。人の心も花も同じ。散らすまいとすればするほどに風に身を揺らしてしまいます。なれど、このような芸では、ますます大夫を失望させるばかり」
義教「だが、わしはそなたの舞が気にいった」
元重「失礼ながら」
義教「義円と申す」
元重「義円様、では、足利様の御子息の」
義教「そう言われるが、生れてすぐ仏門に入れられたゆえ、世間がまるでわからぬ。のう、三郎、今一度見せてはくれぬか、風に散らさぬ花の舞を」
元重、舞を舞う
義教、舞を舞う
義教「あのまま、三郎とこの花を何度も見ていたかった。願わくは、花の下にて春死なん、その如月の望月のころ。歌の通りに西行は花の頃に没したのだったな。己の最後まで思い通りにするとは、なんと自由なことよ。比べてわしはなんじゃ。己の道をくじ引きなんぞで決められてしまうなど。いくら義持公の跡目が決まらないとはいえ、くじで次の将軍を決めて良いものなのか」
元重「ですが、くじは人を超えた天の沙汰でございます。天意なればこそ」
義教「ほう、天意。わしは天に選ばれたというのか」
元重「はい」
義教「そうか、では、わしには人の欲に動かされぬ理想の世が作れると天は仰せなのじゃな。この桜が散ることのない美しい世を」
元重「桜の咲き誇る御代。義円様ならきっと」
義教「おほふばかりの袖はありきや。もうじきよ、もうじき、その袖をわしは手に入れる。桜を風から守る袖となろうぞ」
元重「義円様」
義教「見定めよ三郎元重、わしの治政を。そしてわしはこれより足利(あしかが)義教(よしのり)である」
幕
○二場・能舞台のある屋敷
元重、一色、山名、満済、三条が舞台に坐している
赤松が松囃子を披露している
赤松「どうであった、この赤松の松囃子は」
山名「これを義教様、室町殿にお見せするのか。奇をてらいすぎよ」
一色「確かに山名殿の申される通り、いささか奇抜よの。声聞師はどこぞの者か」
赤松「一色、それは秘密じゃ。ま、わしの独創も入ってはおるがな」
満済「松囃子も様変わりしたものよ。のう元重」
元重「はい、なかなかに」
山名「元重、はっきり言うてやれ、品に欠けると」
赤松「そういう山名は面白みに欠けておる。おぬしの得意は腹黒の腹芸じゃな」
一色「うむ、たしかに山名は腹黒じゃ」
山名「おのれ、おぬしら」
満済「これこれ、声が大きい」
三条「いい年をして、思慮が足りぬ者どもじゃ」
赤松「おお、三条か、おぬしなぜここにいる」
三条「この三条、いついかなる時も室町殿のお側にいるのが勤めぞ」
一色「酔っ払いが」
三条「失敬な、わしは、室町殿が御決断のお役を仰せつかる」
一色「ようは、くじ引き係りよ」
山名「まだまつりごとに不慣れなのを良い事に、皆勝手をして耳を貸さぬからじゃ」
一色「だからと言うて、ことあるごとにくじで下知なさるのも困ったものよ」
満済「これ、一色、控えぬか」
義教、登場
義教「今日は誰の松囃子か」
赤松「それがしにございます」
義教「松囃子も、近頃では面白いばかりを競い、中身の無いものが多くなった。元重、松囃子の始まりとはどういうものか。声聞師も色々におって本流がわからん」
元重「はい、元重もはっきりとはわからぬのですが」
満済、紙を取り出し手紙を書く
小姓を呼びそれを手渡す
小姓、手紙を持って下がる
義教「かまわぬ、言うてみよ」
元重「お許しください。覚えがあいまいで、迂闊な事は控えるべきかと」
義教「そなたは相変わらず思慮深いというか臆病というか。では赤松、始めよ」
赤松「は、それが、少々腹の具合が」
義教「腹がいかがした」
赤松「申し訳ござらぬ。今日の松囃子は山名に」
山名「いや、それがし、先ほど酒を飲み過ぎて腹が」
一色「黒くなったと」
三条「まあ、まずは酒でもいかがかな。この三条がおつぎいたしますぞ」
満済「おぬしはそればかりじゃ」
赤松「いたしかたない。三条殿の酒を拒むわけにはまいらぬ」
山名「そうそう、三条殿のすすめる酒とあれば」
一色「いいのか、赤松、山名、腹の具合は」
三条、全員に酒をつぐ
小姓、手紙を持って満済に渡し退場
満済、手紙を開く
満済「おお、早いこと」
義教「いかがした」
満済「先ほどの松囃子につきましての御問いを、世阿弥に送りましてございます」
一色「ほう、して、答えはありましたかな」
満済「ううむ、これは、元重、わかりやすく読み下してみよ」
元重「は、『松囃子、今は家なし』」
赤松「家なし?」
元重「はい、つまり、昔からの松囃子を伝える本流の声聞師はいない、と。ただ、かろうじて祇園祭の囃子の中に、その原型が残っており、それは祝言謡いであろう。との事」
赤松「家とは流儀の事を言うのか」
一色「さすがは明快なる知識人よ」
義教「満済」
満済「はい」
義教「何故聞いた」
満済「は」
義教「何故、世阿弥に聞いたと言うておる」
満済「それは勿論、都随一の楽の者なればこそ」
義教「世阿弥は出家の身。もう過去の遺物よ。今、次の大夫に相応しきは誰か」
一色「嫡男の元雅どの」
山名「一色!」
三条「当然、こちらにおわす元重どのかと」
義教「そのとおり。元重は世阿弥の俗名三郎の名を継いでおる。元重、本年より、醍醐寺祭礼の楽頭を命じる」
元重「お待ちください。それは大夫が任のはず」
義教「先も言うたろう。世阿弥は出家の身。年寄りは隠居させるが孝行というもの」
満済「世阿弥どのには、仙洞院よりの御招しを禁じられたばかり」
義教「世阿弥は一度、観世一座の大夫を元重に約束しながら、それを実の子元雅に変えようとしておる。わしは裏切り者を許さぬ。だからこその罰じゃ。天意に選ばれし、わしの沙汰が間違うておると申すか」
元重「おそれながら、大夫は楽の神仏に選ばれし御方にございます。どうぞ、醍醐寺のお役を奪わぬように、どうぞ」
義教「では、どちらの神仏が正しいか聞いてみようではないか。三条」
三条「は」
義教「くじを持てい」
元重「今、なんと」
義教「くじじゃ。将軍の任をくじで決めたのなら、楽頭の任もくじで決めるが道理」
三条、くじ箱を持って置く
義教、くじ箱を元重の前に出す
義教「さ、引いてみよ」
満済「お戯れはそこまでに」
義教「元重、引いてみよ。当たりを引けば世阿弥はまだこの世に必要という宣旨じゃ。楽頭は例年通り、世阿弥でよいぞ」
元重、くじを引く、外れる
義教「はずれじゃ。わしの勝ちじゃ。世阿弥の世はこれまでと、神仏の声よ」
元重「どうか、お考え直しを」
満済「満済からもお願い申しあげます」
義教「ならぬ。天の答えに口出しは無用」
義教、退場
三条、退場
赤松「ああ、では、新年祝賀の席はこれにて」
赤松、退場
一色「やはり、くじ引きよの」
一色、退場
山名、退場
満済「室町殿は元重を引きたてたいのじゃ。不器用なお方ゆえ、それが極端に現れてしまう。許せよ」
元重「勿体ないお言葉」
満済、退場
蝶阿党の女、登場
党の女「おやまあ、こんな所に出ちまった」
元重「そなたは、どなたか」
党の女「いえねえ、あたしは蝶阿党っていう松囃子の声聞師でさ。今都じゃあ御大名方に声聞師がお呼ばれされるってんで、来て見たのさ。そしたら広いお屋敷だらけじゃないか。しかも、道なのか人んちなのかも分かりゃしない。うろついている間に、仲間とはぐれちまったんですよ」
元重「松囃子か。おおかた、そなたらも、珍しいばかりの芸であろうな」
党の女「ちょいと、見もしないで酷いじゃないか。まあ、あんまりうまいとは言えないけども」
元重「これは失礼した」
党の女「これでもさ、あたしらの松囃子は祝言に謡われる松囃子なのさ」
元重「ほう、祝言の」
党の女「聞いて見るかい。お安くしとくよ」
元重「いや、今はそのような気分では無い。また機会があれば是非」
党の女「そうかい。お疲れのようだね。じゃあさ、お代はいらないから、聞いておくれよ。仲間が気づいてくれるかもしれない」
元重「好きにせよ」
党の女「〽松は風、おさまりて雲のいなり山、栄ゆく御代の花ごろも、春ぞめでたかりける」
元重「これは」
党の女「どうだい。うまいかい?」
元重「散々だな。だが、時代に埋もれるには惜しい歌よ。もっと磨きをかければ、あるいは」
男の声「おーい」
党の女「あ、おーい。ここよ」
元重「お仲間か」
党の女「はい、じゃあ、あたしはこれで。またお会いしましょう、旦那」
党の女、退場
元重「蝶阿党。名の通り、気ままに飛ぶ蝶のような者であったな」
元重、退場
間
蝶阿党の3人登場
党の男1「ああ歩き疲れた。後ろだてもない囃子の一座、いや一座ってほどの所帯もかまえてねえ俺たちじゃあ、どこ行ったって舞どころか歌の一つも聞いちゃあくれねえや」
党の女「ちょいと、諦めたら、そこであたしらの芸はおしまいだよ」
党の男2「そうそう、万が一にも、ってのがあるかもしれねえ。蝶阿党のこれまでは、全てがいきあたりばったりよ」
頭の男1「でもよお、どこへ行っても『あいにく、ウチは今喪中でござんす』だとよ。喪中、喪中って、この町ぁ、どんだけ葬式だらけなんだい」
党の男2「たしかに良い断り文句だ」
党の女「いや、まんざら嘘ってばかりじゃないかもしれないよ」
党の男1「どういうことだい」
党の女「今の室町様っていえば」
党の男2「くじ引き将軍」
党の女「そう、それが今じゃあ気にいらなければすぐに処分しちまう」
党の男2「くび切り将軍」
党の男1「く、しか合ってねえな」
党の女「次は誰が御処分のくじに当たっちまうかって戦々恐々さね」
党の男2「ま、くじ運が悪いあっしらには関係ねえ話さ」
党の女「あ、あったよ。そうそう、ここだよ。このお屋敷に違いない」
党の男「ここって、この間迷い込んだってえ、ここは室町様の御屋敷じゃねえか」
党の女「こっちこっち、ここからなら門番に見とがめられずに入れちまうんだ」
党の男2「へえ、あそこに見事な舞台があるじゃねえか。おーい、お頼み申します。おーい」
下男、登場
下男「誰だおぬしら。何用か」
党の女「いえね、私ら蝶阿党って松囃子の一座でさあ。一つ御耳汚しに謡わせてもらえないかと思いましてね。お願いしやすよ。この間も、さる宮様の所で断られちまったんでさあ」
伏見宮登場
伏見宮「どうした、騒がしい」
下男「これは伏見宮。申し訳ございませぬ。旅の松囃子の者たちにございます。公方役の許しもなく、近頃このようにずうずうしい輩が増えてきており、まこと困りもの」
伏見宮「ああ、余の所にも松囃子が来たわ。喪中と言うて追い返したがの」
下男「なるほど、それが今度はここに。恐れ知らずが」
三条、登場
三条「何奴じゃ。そこへなおれ、成敗してくれる」
党の男1「御助けを。だから止そうって」
満済、登場
満済「これ、三条どの、すこし酔いをさまされよ」
三条「酔うてはござらぬ。この、三条、いつでも室町殿のお側をお守りいたしますぞ」
若党衆登場
世阿弥、元雅登場
若党1「いやあ、このような所で天下の世阿弥どのに会えるとは、まこと都に来た甲斐があった」
若党2「そうじゃ、そうじゃ」
若党3「酒も旨い。ささ、世阿弥どのも一つ」
世阿弥「いえ、老体ゆえ、酒は控えております」
若党3「では、そこのお若いの」
元雅「お若いの?」
世阿弥「これ、元雅、眉間のしわを戻せ」
若党1「お、あれは松囃子の連中か、これは手筈がいい。おーい、こっちじゃ」
党の女「あいよ、旦那」
党の男2「へへ、すまないね」
下男「こら、お前達」
蝶阿党たち舞台に上がる。
若党1「おっと、待て待て、舞うのは我らじゃ」
若党2「お前達はお囃子、よいか、我らの足に合わせるのだぞ」
党の女「なんだって」
党の男2「まあ、まあ」
蝶阿党、小鼓
若党衆舞う
松囃子終わる
若党3「いやあ、良かった、良かった」
党の女「いいもんかね。あれのどこが松囃子さ」
党の男2「姐さん、抑えてくんな」
党の男1「しのぎのためさ」
若党2「おぬし、足が千鳥になっておったぞ」
若党3「そういうおぬしこそ」
下男「あのように、床に酒をこぼしおって」
党の男2「じゃあ、次は、あっしらの」
義教、登場
満済「これは室町殿」
義教「よい、無礼講じゃ」
党の男2「おい、あれが」
党の男1「くじ引きの」
党の女「しっ」
義教「伏見宮、そのような所におらず、こちらへ」
伏見宮「お気づかいなく。風に酔いをさましておりますゆえ」
三条「わしは、行きますぞ。いつでもお側に参ります」
満済「三条殿、寝るならあちらに」
三条「いやいや、わしはいつでも室町殿のおそばに」
義教「では、酔いざましに舞をひとさし願おうか。のう世阿弥」
元雅「は、なんと」
世阿弥「元雅、眉間のしわを戻せ」
党の男1「世阿弥? 世阿弥と言ったら」
党の女「酔いざましでしたら、あたしらの賑やか舞なんぞいかがでしょう」
義教「おぬしらは」
党の男1「あっしらは武蔵の国から参りやした蝶阿党っていう松囃子のもんでございます」
党の男2「舞というほどのものではありませんがね、場を楽しませるにはもってこいでさ。とくにこういう酒の席なんざ」
党の女「ええ、酔い潰れた旦那がたに神様の舞なんざ、勿体無いですよ」
義教「ほう、神とは世阿弥のことか」
党の男2「はい、猿楽の神様と」
義教「では神様よ、お神酒をとらす。近う」
世阿弥「元雅、眉間のしわを」
元雅「戻しております」
世阿弥、盃を受ける
義教「飲んだか、では神の舞を賜ろうぞ」
満済「せめて舞台を拭き清めてから」
義教「かまわぬ、無礼講じゃ、今日ばかりは神も許すであろう。のう、世阿弥」
世阿弥「では、そちらも手伝うてくれるか」
党の女「勿体ない事を」
世阿弥「何が良いかの」
党の男1「世阿弥様にお聞かせする歌なんて、祝言囃子くらいしか持っておりやせん」
世阿弥「では、それを頼む」
党の男2「さ、姐さん」
党の男1「しのぎのためさ」
蝶阿党の謡と囃子
世阿弥、舞を舞う
若党1「よ、待ってました」
若党2「よい土産話じゃ」
若党3「ああ、よい子守唄よ」
世阿弥、舞を終える
伏見宮「弘法筆を選ばず。猿楽の神、所を問わず。泥沼において咲く見事な蓮の花よ」
下男「御意にございます」
伏見宮「用ができた。室町殿には、詫びを申していたと、お伝えせよ」
下男「は」
伏見宮「酒の匂いが目に入ったようじゃ」
伏見宮、退場
義教「やはり神の舞は堅苦しい。元重を呼べ」
党の女「何言ってんだい、これほどの舞、地下(ぢげ)のあたしにだってわかるよ。見たことが無いくらい、すばらしいってね」
満済「これ、身の程をわきまえよ」
党の男2「すまないねえ、育ちが悪くて身の程ってもんがわからないのよ」
党の男1「よさねえか」
義教「この者らを追い出せ」
若党衆、蝶阿党らを追い立て退場
義教「元重が参ったら呼べ。それまで一時中断じゃ」
義教退場
満済「それがしの屋敷で湯をつかわそう。不浄を洗い落として戻られよ」
世阿弥「いえ、それにはおよびませぬ。明日も早うございますゆえ」
満済「まことに、恥いる。後ろだてもないまま将軍の任を押し付けてしまったが気の毒と、この満済、こうして老体に鞭を打ちお仕えしているが、それもいつまでもつのか。ああ、これはつまらぬ愚痴を聞かせてしもうた。引き止めてすまぬ」
世阿弥「では、失礼つかまつります」
満済、退場
世阿弥、元雅、舞台を離れる
元重登場
元重「大夫。楽は終わりましたか」
世阿弥「ああ、松囃子をひとさし」
元重「松囃子?」
世阿弥「元雅、眉間の」
元雅「戻しております」
元重「もしや、また室町殿に。こうなるとわかっていて、何故お出ましに」
義教、登場し離れて見る
世阿弥「三郎、家を継ぐとは何ぞ」
刺客、登場。義教、刺客に向かって指示している
元重「家とは、観世一座の芸にございましょう。それを継ぐは、元雅どの」
世阿弥「確かに、元雅が作る猿楽は、観世を越えた見事なもの」
元雅「初めて父上に褒められました」
義教、退場
世阿弥「だが、越えて行ったきり戻っては来ぬ」
元雅「しかたありますまい。十郎は世阿弥の子。子は親を追い越すもの」
世阿弥「そうよの。家とは、家にあらず、継ぐをもて家とす」
元重「継ぐをもて家とす」
世阿弥「観世の芸を継いだ者が次代の家となる。世阿弥の芸を誰よりもその身に継いでおるは、三郎、おぬしよ。わしも、元雅も、この先この京で猿楽を舞う事はあるまい。ならば三郎が観世の芸を守り、そして伝えよ」
元重「大夫」
世阿弥「大夫は、もう、三郎じゃ」
元雅「室町殿がお待ちしておる。急がれよ、兄上」
元重、退場
元雅「父上、お別れにございます」
世阿弥「行くか」
元雅「はい。どうぞ、長生きされませ。折々に元雅の作りました猿楽を便りの代わりにお届けいたします。その猿楽の中に、元雅は生きております」
世阿弥「達者での」
元雅、退場
刺客、後を追って退場
世阿弥「親不孝するなよ」
世阿弥、退場
間
赤松、登場
下男、登場
赤松「室町殿は、誰もかれもが謀反を起こすと思うてか」
下男「滅多な事を言うてはなりませぬ。日野様の御屋敷に行った者らがどうなられたか」
赤松「それよ。皆、足利家のお世継誕生を祝いに参っただけじゃ。日野殿は、御生母の兄ぞ」
下男「御自身よりも多く、人を集めたがゆえにございましょう」
赤松「満済殿が亡くなられてからは、誰も室町殿をお諌めできぬ」
元重、登場
元重「赤松様」
赤松「おお、大夫か」
元重「室町様へのおとりなし、かたじけのうございます」
赤松「おぬしが室町殿の御不興を買うとは。次はおぬしが首を斬られる番かと皆肝が冷えたぞ。佐渡に流されておる世阿弥の事で意見したのではあるまいな。大夫、気持ちはわかるが、今の室町殿に世阿弥の名は禁句よ。こらえよ」
元重「それがしには、もう、室町様がわかりませぬ」
赤松「ひかえよ大夫、どこに耳があるかわからぬぞ」
傷を負った一色、登場
赤松「一色、どうした、何があった。越智征伐に向ったのではなかったのか」
一色「ああ、行ったわ。だが、その途中に刺客に襲われた。あの太刀筋、おそらく世阿弥の嫡男を斬った武田であろう」
元重「今なんとおっしゃいましたか。元雅を斬ったと? では、元雅は病死ではなく、殺されたと言うのですか。それは誰の命なのですか」
赤松「武田は室町殿の家臣。殿の命で汚い事ばかりをしているという噂よ。だが、その武田が何故今度はおぬしを」
一色「理由など。おおかた、次に殺す者をくじで引いて、わしが出たのよ」
赤松「たわごとを」
一色「気をつけよ、赤松。見える、見えるぞ、室町殿の手が。くじはもう残り少ない。次に引かれるは、それは」
一色、倒れる
赤松「一色、次のくじは、わしだと言うのか、一色」
赤松、退場
一色、運ばれて退場
元重「これが、義円様の申した、花の散らぬ世なのですか」
小面をつけた党の女、登場
党の女「〽花みんと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける」
党の女、舞を舞う
元重「大夫、まさしくこれは大夫の謡」
党の女、面を外す。
元重「そなたは蝶阿党の」
党の男1、登場
党の男2、登場
党の男1「あっしらは、あの後、佐渡に流されなさった世阿弥師匠の元に行ったんでさあ」
党の男2「お師匠の舞を見た時、てめえの芸がてんで駄目だって思い知りましてね、押しかけ弟子になりやした」
党の女「弟子なんて名乗れたもんじゃありませんけどね」
元重「いいや、先年とは比べようもない、言語道断の見事さよ」
党の女、小面を元重に渡す
党の女「お師匠がこさえたもんです」
元重「大夫は、息災か」
党の男2「大丈夫。物書きにいそしんでおりますよ。忘れる前に、さまざまのことを書いときたいってんでね」
党の男1「それでも最近じゃ、あっしらの事さえ、時折忘れちまって」
党の女「もう、時が無いんですよ」
元重「このままでは、観世が絶えてしまう」
党の女「しっかりおしよ。大夫」
世阿弥、登場
党の女「今のこの京で世阿弥師匠の猿楽を守れるのはあんただけなんだろ。あたしらがいくらお師匠から手ほどきを受けたところでたかが知れている。けどあんたはお師匠の芸をこの先に受け継がせていんだろ?」
義教、登場
元重「継ぐをもて家とす」
党の男2「では、あっしらはこれで」
蝶阿党ら、退場
元重「まて、せめて今少し、大夫のお話を」
元重、退場
義教「何故いつまでも世阿弥の影を追う。花の散らぬ世を、わしが作ると約束したではないか。我が袖で守ると約束したではないか。なのに、何故いまだに世阿弥という風を追う」
義教、刀を抜いて世阿弥に斬りかかる
義教「風はいらぬ。観世はいらぬ。花は一つでよい。わしにだけ咲く一つの花で良い」
世阿弥、斬られても動じない
世阿弥、退場
三条、山名、登場
三条「室町殿、こちらにおられましたか。じき、赤松どのもこられますゆえ、お座りに」
山名「いかがされましたか、顔の色がお悪い。まずは酒を」
三条「では、この三条がお毒見を」
山名「飲みたいだけであろう」
三条「旨い酒じゃ、ささ、御一献」
三条、義教に酒をつぐ
義教「元重の今日の猿楽は」
山名「確か、鵜羽(うのは)と」
三条「古事記の物語ですな。海の王の娘と、天孫の皇子との恋の物語」
囃子の音
豊玉姫に扮した元重、皇子に扮した赤松、登場
舞
赤松、舞を止めて刀を抜き、斬りかかる
山名、刀を抜いて受ける
山名「くせもの。名を名乗れ」
赤松、面を取る
山名「赤松か」
義教「赤松、何の余興じゃ」
赤松「天に代わり、次のくじ引きを止めに参り候」
山名「赤松、戯れごとではすまされぬぞ」
赤松「戯れごととは、人の命をくじで決めることよ」
山名「一色のことか、奴は謀反を企てておった」
赤松「一色は口は悪いがまっすぐな男であった。ましてや謀反など」
三条「天意のくじを戯れごととは。室町殿は天意によって選ばれた将軍ぞ」
赤松「そもそも、それが誤りよ。世を治める将軍をくじで決めるなんぞ、後世の者が聞いたらさぞ笑うであろうのう。才も、器も持たぬ者を、ようも今まで天意、天意と」
三条「おのれ、赤松。室町殿、この三条がお守りいたす」
三条、赤松と打ち合い、刀を落とし斬られ、倒れる。
山名「三条」
山名、赤松と打ち合う
赤松、山名を斬る
赤松「山名、どのみち次はおぬしであったぞ」
山名、倒れる
義教、刀を抜いて構える
赤松「お覚悟」
義教、赤松、打ち合う
義教「どうした、赤松、臆したか。裏切り者は成敗いたす。この世はわしの舞台ぞ。一色も、おぬしも、わしを裏切る者は許さぬ。三条、起きぬか三条、くじをもてい。天意はわしに世を統べることを約束した。天下に花を咲かすは我ぞ。三条、くじを」
元重、小太刀を抜く。
義教、元重を振り向く
元重「お赦しを、観世を守らねばなりませぬ」
義教「おのれ、世阿弥、わしを斬るというか。どこまでも憎いやつじゃ」
元重小太刀を構えて義教に向かう。
倒れていた山名、起き上がり元重を弾き飛ばす。
山名、義教に向きなおり斬る。
義教「山名、貴様」
義教、倒れる
山名「行け、赤松」
赤松「山名」
声「であえ、であえ、くせものぞ」
赤松、元重から小太刀を取り上げる。
赤松「足利義教は、この赤松満祐が斬った。者ども、火を放て。大夫、おさらば」
赤松、退場
山名「逃げおうせよ、赤松」
山名、倒れる
火の上がる音
義教「三郎、三郎は」
元重、面を外す。
元重「はい、こちらに」
義教「風じゃ、風の音じゃ、風が吹いておる。三郎。大変じゃ、桜の花が散ってしまう。三郎の花が」
元重「御安心を。咲き初めの桜は強いゆえ、風に吹かれても散りませぬ」
義教「そうか、散らぬか。では、袖は、風から花を守る袖は、無用であったか」
元重「義円様」
三条、起き上る
三条「赤松は、ああ、室町殿。室町殿。おのれ、赤松じゃ、赤松の謀反じゃ」
三条、退場
元重「燃える。義円様の御代が燃える」
暗転
○三場・同
蝶阿党らと世阿弥、登場
党の女「見て下さいよ、お師匠。やっぱり都の空気はいいねえ」
党の男2「ちげえねえ」
党の男1「さて、今夜の宿はどこにするかね」
党の男2「あ、お師匠は心配いらねえぜ、なんたって、女猿楽で名が知れたあっしらですから」
下男、登場
下男「もしやあなた方は、女猿楽のお方達では」
党の男1「おうよ、女猿楽と、そのお師匠の一行よ」
下男「ああ、よかった。屋敷よりお見かけし、逃してはなるまいと、いそぎ駆けて参りました。当家の主、伏見宮が是非、お招きせよと」
党の女「伏見宮。へえ、今日は喪中じゃなかったのかい」
下男「え?」
党の男2「いえいえ、こっちの話。喜んでお呼ばれいたします」
下男「では、早速に宮に伝えて参りますゆえ、御待ちを」
下男、退場
元重、登場
元重「もしや、大夫、大夫では」
世阿弥「そなたは、どちらさまじゃな」
党の女「旦那、お察しを。お師匠はもう」
世阿弥「御立派な方じゃのう。御立派じゃ」
元重「これは、失礼を。それがしは、観世一座が大夫、観阿弥、世阿弥を継ぐ者、音阿弥と申します」
世阿弥「観阿弥、世阿弥、音阿弥、観世音。良き名じゃ」
元重「大夫」
世阿弥「継ぐをもて、家とす」
下男、再登場
下男「ささ、こちらへ」
党の男1「それじゃあ、お邪魔いたします。おお、これはまた、見事な舞台」
世阿弥「御立派になられましたな。元重」
党の女「さあさ、行きましょうかね」
蝶阿党ら、世阿弥、退場
終幕