
『ありがとう』の魔法
長い(旦那の)休みが終わった。ひとまずホッ。子どもたちの休みはまだ続くけれど、とりあえずホッとする。今回のモラ期間はなかなかの長さで、ひたすら息子と隠れたり、出かけまくった。なもんで、旦那もいつもなら『だらしねえ女!!』と止むことのない暴言なのだけれど、今回は『お前らふざけんな』と息子を巻き込む結果になってしまった。息子に何か言われたらとわたしは常にスタンバイしている状態なので、休んでいても疲れてしまう。怒鳴られた息子は、何があったと飛び出すわたしに『大丈夫だから』とだけ言って元いた部屋に戻そうとする。母を守ろうとしてくれるのは嬉しいが、小5に要らぬ負担をかけてしまっていると悲しくなる。それでも彼は【離婚】しないで欲しいという。
そんな我が家だが、モラ夫期間の終わりが見えてきたかもしれない。普段旦那は玄関に出す予定のゴミを跨いで出かけていく。なのだがこの連休中のある日、家族で出かけようと、旦那の飲んだビールの空き缶をわたしと子ども(小5息子と年長娘)が跨いで玄関の扉を開けたら、その1本の空き缶を持って出なかったことにキレたらしく、その缶を思いっ切り蹴飛ばしてきた。突然自分達に向けて空き缶を蹴飛ばされたとこに唖然とするわたしと子どもたち。娘にあたったのでは、と動揺もしたが、当たりはしなかったようだ。唖然としたのもあるが、その蹴飛ばされた空き缶を拾うことに抵抗がある・・と拾わずにそのまま私たちが歩き出したことに旦那がもっとキレ、その空き缶を今度はわたしに目掛けて投げつけようと甲子園さながら大きく振りかぶったのを見て(スローモーションに見えた)、こちらも思わずスイッチが入り『投げれるもんなら投げてみやがれ!!!』と旦那を正面から見据えたところ、旦那がシュ〜っと空気が抜けたように投げるのをやめた。そして、それをゴミ捨て場に捨てる時に『お前ら最悪』とだけ言い残し、私たちを置き去りにして歩き出した。でもそんな旦那に誰が追いかけるわけもなく、両手に子どもたちの手を握って、普通に歩いて出かけた。家族で出かけるはずだったのだが、結局旦那は道中で消えた。子どもたちもパパがいなくなったことで不安がるわけでもなく、むしろ清正したと言わんばかりにスッキリして楽しんでいたので、そのまま楽しみ、帰りには本屋に寄ってそれぞれに本を買って帰宅した。旦那はまだ帰ってきていなかったのだが、旦那は帰宅してから私たちがいたことにどうやらホッとした様子だった。翌日はまだ大きなゴミがあったのだが、それも旦那が片付ける気配がなかったので、息子が手伝ってくれて片付け二人でゴミ捨て場に運んだ。すると家の中に入ると突然に旦那の様子が変わったのを感じる。おそらく、やりすぎたと本人も思っているのではないか、と感じた。もちろんまだ暴言吐く臭い的なものはまだする。が、今回の連休はとにかく長かった。だからまともに受けていたらこちらが身がもたないので、あれやこれや口実をつけて息子と出かけ、極力会話をしないように心がけていたのだが、モラハラについての本を読むのもしんどくなってきたところに一冊の本に出会った。
『モラ夫のトリセツ:モラハラ夫と幸せに暮らす、秘密のテクニック』
モラハラ夫についての本を読んでいると結構離婚になるとか旦那を打ち負かす本が多い。あと、この本も前半そうなのだけれど、モラハラについての詳細が書かれていて、初めて読む人にはこれがモラハラか!もしくはこれはモラハラだったんだ!わたしは悪くない!と思えていいのかもしれないのだけれど、そこそこ読んでいるともうモラハラについての記載って、思い返すループになってしんどくて仕方がない。なので、ざーっと読んで対処法のところを読んでみると、『ありがとうの魔法をかける』とある。
引き寄せの法則でもそうだけれど、感謝の気持ちって大切って言うもんね、といつもなら思えるんだけれど、こちらとしては旦那に対しては、ありがとうの気持ちを裏切られたという気持ちもあるから、ありがとうと言えない、と本を全否定したくなった。が、ここにわたしの最強の味方、息子に「ありがとうの魔法が効くらしい」と自分を納得させるためにも言ってみる。「いいじゃん、効くならやってみれば?」と息子が後押ししてくれたので(息子に裏切り者と思われるのも嫌だった)、実践してみることにした。
わたしはどんな生活をしていたら幸せ?と考えたときに、わたしにはまだ子どもたちに父親がいて欲しいという気持ちがある。もちろん、この旦那じゃなくてもいいじゃん、と思わ気持ちもあるのだが、はい別れました、はい新しい父親です〜ってなるわけもないし、ハネムーン期(旦那が優しい期間)は、息子も認めるくらい本当に優しい旦那で面白いパパなのだ。ハネムーン期は残念ながらずっと続くわけではない。それもわかっている。・・が、本当に続かないのか?法則でどうにかならないのか?とまだ期待している自分もいる。『パパと一緒に暮らさなくてもいい』と息子が言ったのが小3の時。今年長の娘がそのくらいになって、パパと一緒じゃなくていい、と言ってくれるまでは、今の家族で幸せに暮らせるのならそうしたい。モラ夫は嫌いだけれど、ハネムーン期の旦那は好きなのだ。
話を戻す。その『ありがとうの魔法』なのだが、旦那が徐に扇風機を掃除し始めた。ああ掃除したい、でも気力がない、と思っていたところだったので、旦那が掃除してくれて助かったという思いと、またこの後何か言われるんじゃという不安(ぶちぶち言われるに留まった)が掃除していてくれた時には入り混じっていたのだが、その後それぞれ出かけて、わたしは息子と出かけて帰宅後「扇風機ありがとうね」と声をかけた。と、旦那が少し格好を崩したのだ。あ、魔法が効いた、と気がついた。そしたら普段ゴミを跨いで行く旦那が、なんと空き缶の袋を持って出かけようとしたので「わ、助かる、ありがとう!」とすかさず言ってみたらなんと隣にあった資源ごみも一緒に持っていってくれたのだ!段ボールがあろうと45リットルのゴミ袋があろうと跨ぐ旦那が、である。ゴミ捨てはわたしの仕事と言わんばかりに、わたしが寝込んでいても、これまで駅までの道にゴミ捨て場があっても捨てなかった旦那がである。『ありがとうの魔法』に感謝である。このままハネムーン期になってくれたらと願わずにはいられないのだけれど、それは欲張りだろうか。