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美味しい、と言われたかったんだ

そういえば、noteを始めてどのくらい経ったのだろうと気になってダッシュボードを開いてみたら、削除記事がたくさん出てきた。
そうでした。アメブロに移行しようか迷っていた頃だった。
去年の2月の削除ブログにこんなことが書いてあった。


どこにお金を遣っている?
ふと子どもを寝かしつけながら
そんなことを思った。

実はほとんど食費に遣っている。
旦那にもらっている生活費も、パート代も、
ほとんど食費に消えている。
《わたし》にとって食べることが、
たのしみであり、
身体も心も整える源なのだ。
とは言いつつも、実はわたしは料理が得意、とは言い切れない。
残念ながら、旦那は『美味しい』と自分からは言ってくれない人で、
『美味しい?』と聞くと、
美味しい時は『見てわかるだろ、黙って食べている時はそういう時だ』と言われた。
実家の父が、美味しい美味しい、と食べる人で、むしろ母が『なんでも美味しいっていうんだもん、作り甲斐がないわ〜』なんて言っていたが、羨ましくて仕方がなかった。
結婚したての頃なんて、それこそダメ出しばかりだった。
『褒められなくて当たり前。ダメなところを直せ』とまで言われた。
まだ小さかった息子は、
《わたし》が失敗した、と落ち込んでると、
『ママのごはんはおいしいよ!』
と言ってくれるような子だったが、
《わたし》が、
『パパとばーばのごはんは美味しいねぇ』
と言うもんだから年長くらいの時には
『パパとばーばのごはんが1番で、ママのごはんはびりっけつ』
と言うようになってしまった。
そして、わたしが失敗したと落ち込んでいても
なにも言わなくなってしまった。
いやむしろ、
旦那と一緒に
『うーん、これは。。』
と言うようになった。

ある日、わたしの中でブツっと切れた。
『だったら食うな!!なんで美味しいも何も言ってくれない人たちに作らなきゃいけないの!!』
『黙って食べてやってんのをありがたく思え!!』
と旦那は言い返した。
そして、
旦那はすぐさまスーパーに走り
自分で怒りながら作るようになった。
それが嫌味ったらしく数日続いた。
小さな息子はオロオロしながら見ていた。
興味本位で、パパのごはんを一口もらい、
美味しいときは目を輝かせ、
そうでもないときは一口でやめたので、
見ていて旦那の味がどうだったのかすぐわかった。
日にちがさらに経ち、さすがに旦那もくたびれたのか、
また黙って《わたし》の作るごはんを食べるようになった。

だが、行動が変わったわけではない。
二度目の時のわたしの『食うな!!』 
のあとは、
また旦那は逆上するものの
今度は作らなかった。
ご飯を毎日作るのは大変、とやっとわかってもらえたのだろうか。

美味しいって、ただ言われたいわけではない。
作って、汗かきながら作って、片付けて、また作って、
それを無反応で食べられることの寂しさ。
食べてやっている、という太々しい態度。
わたしは人間である。ロボットじゃない。
自己満足かもしれない。
でもわたしには心がある。

現状、小5になった息子は美味しい時は美味しい〜!と言い、そうでない時は黙っているか『お腹いっぱい』と言うようになった。
『美味しくなかった?』と聞くと、
味が薄いとか濃いとか、答えてくれるし、
『これ苦手かも』
と好き嫌いを教えてくれる。
年長娘と好みが違うのでメインを2種類作ることもある。

どうもわたしは自分を卑下するところがあるようで、それを小さい子に言ったらそのまま鵜呑みにするのだと言うことを実感している。そもそも卑下する必要があったんだろうか?
バーバとパパのご飯も美味しいけど、ママのご飯だって美味しいでしょ、とそう言っても良かったのではないか。
旦那は料理は苦痛じゃないというが、作ることは滅多にない。そもそも週末の昼間も黙って家を出て行くことが増えたから、一人で食べに行っているんだろう。子どもたちとわたしにはお金を出したくないから、何も言わないで出ていく。
いかん、また暗くなる。黙って出かけて行くんだから、それでいいじゃないの。

昨夜の夕ご飯は時間が遅くなったので、揚げものにした。麻婆豆腐にする余裕がなかった。揚げ物なら切ったそばから揚げていけばいいし、とぼんやりしていたら、茄子を素揚げしてしまった。衣をつけるつもりでそのまま揚げ物鍋に入れてしまったのだ。思ってたのと違う、と食べながら思っても、もう既に遅し。
さつまいもやじゃがいもの素揚げ(チップス)は子どもたちがパクパク食べて、唐揚げも取り合いになっている。ママこれ美味しい〜と喜んでいる。娘の美味しい、ありがとう、のことばにうるっとなる。
旦那もよく食べた。が、相変わらず、彼は、美味しいともなんとも言わない。


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