努力を隠す、鶴の恩返し状態
努力することをばかにする人間や、努力して成果が出なかった人を馬鹿にする人が世の中にいました。これまでの人生、そのような人間ばかりでとても苦労しましたが、そのような環境から抜けることができ、現在は快適です。努力する人を素直に尊敬している人や、応援する人、周囲が違えばこんなに違うのかと感動しています。鶴の恩返しは鶴がおじいさんに隠れて羽根を織物に変えていて、見つかって去っていく話ですが、過去の自分は隠れて努力して、努力している、ちゃんとしていると言われると否定していました。
近頃、自分の状態を観察していると、努力をしていても他人には見せないようにしていることに気づきました。これまでは気付いていませんでした。これが自己評価と他者からの評価の不一致を招いているのかもしれません。努力しても隠すのでその努力は他人からの評価対象外になり、自分でも努力していても気づかない、他人からも分からない。永遠に自分を追い詰めて高みを目指すという沼にはまっていました。これは今でもあまり変化しておらず人に気づかれないように努力している状態だと思います。
このような状態になったのは小学6年生がきっかけだと考えています。それまでも努力してうまくいかなかった人を馬鹿にする風潮がクラスにありました。それが見えるようになったのは中学受験をする人で学校でも努力している人と努力しているそぶりを見せる人がいたときです。努力をが見えている人はクラスで明らかに虐げられていた記憶があります。小学校が荒れていたのでこのようなことになっていたんだろうなと思います。中学校では努力してうまくいかなかったときの周りの雰囲気が自分にとっては苦痛なので努力していないふりをしていました。努力を隠していた方が生きていきやすかったです。