父のキャッチャーミット 5
五 初めての集団生活
高校生になっていた私は静岡県のS市の学校へそのまま転校した。
学校の成績はまあまあだったが、兄弟では私にいちばん近い(といっても6つも年上だった)下の姉がいちばんよかった。中学校でも、高校でも1,2を争う秀才だった。
しかし我が家にはお金がなかったので担任の熱心な訪問と説得にも関わらず、姉はS市にあった国立大への進学をあきらめて、同じ市内のITの会社に就職した。
金がないのはどうしようもなかった。閉山によって家族みんなが静岡に転居しても下の姉だけは一人札幌に残った。
私はろくに勉強もしなかった。だから安易に高校の推薦に頼って大学に進学した。家族で苦労というものを知らないのは私だけだった。我が家ではじめて大学に進学した人間だったにも関わらず、当人は何の自覚もなく漫然と大学生活を送ってしまった。
大学にかかる費用はすべて親に出してもらえた。だからせめて交通費や生活費、家賃などの負担を軽減しようと奨学生や家賃と食費の安い学生寮に自ら応募した。運よく両方とも得ることができた。
だが学生寮に入ることは私にとって一大決心が必要だった。
小学校1年生の時から通信簿の家庭欄に、いつも「とてもおだやかでやさしい性格です。しかしもっとはきはき自分の意見を言えるようにしましょう」などと書かれていたからだ。
小学校6年間ずっと変わらず書かれ続けたので覚えてしまった(中学、高校では別のことが書かれていたはずだが覚えていない)。人見知りで自己主張のできない自分が未知の人類がうごめく大学の寮に入って生きていけるのか、緊張と不安でいっぱいだった。
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