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止まらない自己分析の話

企業で働くことへの
疑問とか抵抗とかいろんなプライドが押し寄せて

学外実習や実験を言い訳に(忙しかったのは事実
だけどできることはあった)、就活に対して
当事者意識がなさすぎる一年を過ごした私だった


今は、メンターさんとお話ししたり企業のこと色々調べて、やっと自分がファーストキャリアで選ぶ場所を本気で探そうと思えてる。


自分は、今いる場所を俯瞰しちゃうクセがあって素直に喜んだり楽しんだりできないことに(周りと違うな、ってことに。それは自分の主観だけど。)結構葛藤とか苦しみを感じてた。それは絶対に周りには悟られていない(と思っている。)

例えば、バンドのLIVE大好きだけど、今隣の人にこう思われてるかもとか、あと何時間で終わっちゃうんだろうなとか考えてほんとにその瞬間だけを純粋に楽しめてる感じがしなくて辛い、とか。

物事を考えすぎてしまうことに対する生きづらさを、中学生くらいから感じ始めた。


そして最近、自己分析ツールとしてMBTIを使って診断を行った結果、自分のこれまでの気質が完全に言語化されて、単純に、とてもびっくりした。

以前もMBTIで診断を行ったが、全く違う結果だった。

なんでだろうなあと考えて、
私は小学生の頃からこういう心理系のテストでも「こう答えるべき」とか「こうありたい」って思うところに⚪︎をつけたり、そう思ってるけどあまり良くないかもって思ったら中立の答えに⚪︎をつけたりする傾向があったことを思い出した!

今回のテストは、周囲の人のMBTIの結果を分析するのが趣味とする知り合いが、私の診断結果を分析してくれるということで、ガチで思うままに取り繕わず回答していった。

漠然と感じていた生きづらさがこうも言語化されて、今まで治したい治したいとしか思っていなかった自分の気質が生かせるんじゃないかと思い出した。

そして、この価値観だけは大切にしたいと思えることと、これは完全なる理想とか憧れで他人に任せたほうがいいということを、分けて考えようと思えるようになった。

友達に診断結果を話したら、「え?生きづらいの?」て言われて、周りには"楽しそうで楽観的で明るい私"を出せてることに、安心と葛藤を感じた。9年間みんなの前でそんな私で生きてきたから、その気質全部見せても受け止めてもらえるのだろうかという不安があるような気がする。
みんなに好かれてる、楽しそうな自分が好きな自分もいる。

でもいま、哲学とかいろんな生き方に出会って、嫌われてもいいから自分の意見で生きていくことに強い憧れを抱いている自分がいる。

変えたいところは変えたいし、生かしたい自分の好きなところは生かしたい。

なんか矛盾があるような気がして、ぐるぐるまだまだ分析中(この分析癖は良い面も悪い面もある…)だけど、自分のことをこんなに深掘ることないから楽しんでやっていこうと思う。

ひとこと:知り合いに提唱者infjでした、って言ったら「生きづらそう」「生粋の直感型だね」「現実逃避しがち」とズバリ言われた。

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