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夢を見ますか。欲見せますか。

夢はいつでも 見ようと想えば
見ていられる。
3秒あったら お花畑の真ん中で
大きな ひまわりをいつでも抱いて
笑っていられるだろう。


もしくは 夜の海の真ん中で
一畳ほどの浮き島のうえに置いた 
ベッドに 横たわって
オーロラが落ちてくるのを
待つことだって できるだろう。

叶えることを 求めない夢ならば
きっと 100年だって
しあわせに 見ていられる。


でも 欲を見せるのは いつでも
いい訳じゃないだろうと 思う。
これは 叶えたい夢のために
ちらりと見せる 意地のようなものだ。

そうだ✨💡✨
ちいさなこどもが 駄々をこねる時のように 小さくてカワイイ❣️ワガママみたいなもんだ。
油断していると ころっと放置され
なおざりにされかねないようなもの。


決して 大きなものは望んでいないにしても ぱくっ♪と口をひらいたときに こぼれ落ちるように飛び出した 欲に 実は 気がつけるひとは あまりいないのではないかと 思っている。

それは 見えている世界の見え方が ちがうせいだ。
見えてない世界のことを言われても
さっぱり わからないだろう。
興味も持たなければ どうでもいいと
思われて それで終わりになってしまう。


だから 見せ続けるのではなく
瞬間の ,1秒くらいで
うっかりしていると 見落とすくらいのあっけなさで ちらりとだけ
見せるのがいい。
見せ続けるのはなんとなく厭らしい。
それをやってしまうと お互いうんざりするだけで 飽きてしまいそうだ。
周りを疲れさせるのなら 巻き込まず
にやってはどうかとさえも 思う。
でも 巻き込まないで 叶える夢など
どこにもなかったはずではないか。


想いがちかい 相手であれば
瞬時に 互いに好きになり
併走するように ひきあって
離れた場所からでも ともに
流れ星になって 夜空から落ちてみる
ことも できるだろう。


恋するような すべてである現象。 
それは こんな感じで始まるのだ。
あなたの夢を わたしも一緒に
夢見たい。そう 思わせる 惚れ薬の
熱狂のような引力が 放たれる。
そうやって そこへ引っぱられてゆき
ながら わたしも一緒に夢見たいの波が つぎつぎと無限に広がってゆく。
はじまりの 波である。


そして 永遠に終わらないしくみが
出来あがってゆくのをを見ていると
心の底から それを美しいと思う。
エゴでもなく 利己でもなく こねくりまわした意図でもなく
純粋な想いだからだろう。
応援したいを 軽々と飛び越えて
ちらりと見えた欲を ともに夢見たい
と 願うのが支援だろうか。
おそらく そこには 祈りも願いも
感謝も 揃っている。
そんな 欲であれば 淀みなく巡って
ゆくのだろうか。
あなたのおかげで わたしでいさせて
もらえるのだ。
飢えて干からびそうな こころの土壌
を 覆ってゆく夢に どんな色を
求めているのだろうか。
それは わたしには わからない。
あなただけの 熱狂の色だ。

💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫

はじめかた じゃなくて
終わらせかた なんだよ と
朱雀だった女の子が 笑って言った。
わたしは きっと眠りながら
夢を見ていたのだろうが 
その言葉は いつまでも
消えてゆかずに わたしの纏う
空間のなかに とどまった。
朱雀のことばは 頭のなかで
終わらせかた という鐘の音を
何度も何度も つき響かせた。


そうなんだ。終わらせかたなんだ。
なんというか その あたり前のこと
が 見えてなかったことに
気がついた。
終わらせかたを 待っている状況が
世界には 溢れかえっている。
ひろげた風呂敷の たたみ方。
前に折られていた 折り目を辿らずに
あたらしいたたみ方で その古い夢を
たたむのだ。


みんなで もうこれは終わらせて
しまいたいという 案件を持ち寄って
大真面目に 知恵を出し合って
話し合いをする「終わらせよう会議」
みたいなのは 出来ないんだろうか。
きちんと終わらせると あたらしいものが育ってゆく隙間ができてくる。
本当にたいせつなことは あたらしい
なにかを はじめられるように
なにかを終わらせることなのかも
知れない。


まだ 終わっていないことを
正気で まともに語れるひとがいる
うちに 受け継ぎたいものもある。
頭脳と思考と経験は 宝だろうかと
思わせてくれたひとたちは
度あるごとに きちんと言論で戦う
姿勢を見せてくださっていた。


夢を見ますか。欲見せますか。
あなたの見せる 欲は
どこで花を 咲かせてくれますか。


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