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ラーメンへの階段


並外れた異界が 視界という空間に
あたり前のように 出現したときの歓びを どれほど数えられるだろうか。



世界3大スープのひとつ トムヤンクンとの出逢いは まだ震災後であった。 西宮北口駅近くの 仮設店舗で商いをしている飲食店が数件立ち並んだなかに その多国籍料理のお店はあった。 


とても美味しいごはんを 提供してくださるお店だったが 駅周辺の復興開発や諸々の背景とともに 仮設店舗も 西宮スタジアムも消えていった。


跡地には きれいなモールが建ち並び ひとが集まるパワースポットであるという名残りは 今もなお 健在なのだが 味わいという意味では さみしくなってしまったと思う。


コンクリートとアスファルトの道路を25分歩くのと 山道を25分歩くのでは どれほど疲れが違うだろうということも 考えてみてほしい。モールを彷徨うのは 本当に疲れるのだ。


都会の国道沿いに植えられた 銀杏や 楠の木に どれぼど助けてもらっているかわかるのは モールに据えられたベンチやソファーに 疲れて腰かけるときだ。本当に 青空や樹木や風や海が 恋しくてたまらなくなる。


異界とは わたしにとって 自分の領域を超えたところに 存在するものだと捉えている。
そこへゆくと わたしのなかを流れ
巡るものが 怒涛のようなものへとうねりを変えたり 静かによどむように停止する。


そんな 異界のようなモール 西宮ガーデンズも嫌いではないが その前の風景も愛していて 異界を訪れるたびに 自分というものを確認しているような気持ちになる。
なにが無くなり なにが生まれたのだろう そんな感じで。




まだ カップ麺でトムヤンクンが発売される ずっと前のことだ。
その味わいがメジャー入りする前の話になる。
ココナッツミルクやナンプラー、パクチーとも まったく馴染みがなかったころ その海老のスープとはじめて遭遇した。


わたしの知らない その世界は
地味な顔つきをして 穏やかな湯気をたてながら 静かに目の前にやってきた。 青くてとてもいい香りがした。



パクチーという名前の香草の香りであることは 後日 知ることになるのだが そのパクチーとの出会いが のちに お正月に コンソメベースで チキン パクチー 大根と油揚げ などという組み合わせの トマトペーストを使ったお雑煮を好んで作ってしまう わたしへと至るルートを 見事につくりあげてしまった。


伝統を重んじる面々からは お叱りをうけそうな荒業なのであろうが、パクチーがきっかけで 名も無きおうちごはんを愛するひとが この世界につくりあげられてしまうことになるとは 夢にも思っていなかった。


トムヤムクンとの 最初の出会いが
本格的なこだわりを持って 作ってくださるお店でよかったと思っている。
オーダーをしたときに かなりお時間がかかりますが よろしいでしょうかと尋ねてくださったのも嬉しかった。


大好物の海老がはいった はじめて食べるトムヤンクン。タイに行ったこともなければ ココナッツミルクの味わいさえ未知のものであったのだから 待ち時間など 気にするはずもなく こころよくお願いしたことを覚えている。


魚介ベースでココナッツミルク
そして パクチーとレモンの優しい香りのするスープのなかで くるりと丸くなり コトコト漂うようにして煮込まれた 海老が存在するスープは 愛されていることが 伝わってくる味わいだった。


ココナッツミルクも魚介も海老も どれも尖ることなく調和していていた。 それでいて ひとつずつが個性的で
居心地がよさそうに スープのなかで
混ざりあっている。
レモンと パクチーの香りは すべてをまるく包みこんでいた。


異界のスープは とても美味しくて
こころもからだも 素敵にしてくれた。ご馳走をいただくときに すべてに感謝したくなる。
そういう気持ちで満たされることが しあわせを つみあげてゆくのだろうと思わせてくれた。


わたしは 冬が近づいてくる肌寒さを感じる季節に 暖かいお店のなかで 心温めてくださるお料理に しあわせを感じながら 自分の原型をつなぎ合わせようとしていたのだ。
そして トムヤンクンを最初に作りあげたひとに ゆっくりと感謝しながら 海老の食感を楽しんだ。


街並みは別世界のように変わってゆき
わたしが知っている風景は そこにはもう存在しないのだが わたしを温めてくれたものたちは 時代が移り変わりゆこうとも くるくると わたしのなかで回り続けている。


 


お料理に関しては かなり好きなので
包丁を握っていると クッキング・ハイとでも言うような ある種のトランス状態のようなところへいってしまう。一体どこへゆくのだ。
もともとは 食いしん坊なことから はじまり 外食でこれは美味しいと思ってしまったごはんたちを 再現したくて 始めたようなものだ。
初めての結婚のお祝いのときに 姉の
りずちゃん(noter 星月りずむさん)が
欲しいものを尋ねてくださり 某女性誌監修のお料理基本大全集をリクエストして 贈っていただいた。そこが始まりだったのかも知れない。


とんなときも わたしが退屈しないようにと 授かってきたギフトが その本をきっかけに目覚めて 回転し始めたのだとしたら いまは亡き両親のお世話をしたことも ごはんを作って喜ばせてあげられたことも ものすごく腑に落ちる。


謎だらけな現実は 後々にならないと わからないものなのだと 妙に関心するのだ。
時系列の点在を繋いでみて はじめて繋がっていることに気付かされ そして すべてが繋がり 点滅から点灯へとシグナルが端からひとつずつ ブルーへと変わってゆく。

そこは ゴールでもなんでもない ただ繋がっている というだけの地点なのだが わたしはそこの岸辺で ポーかーゲームのジョーカーを手にいれて ゆらゆらと 揺れている。



姉がはなむけに 贈ってくれたものは
百科辞典並みの分厚い本で 食材の下ごしらえ 素材の扱いかた 魚のさばきかたから 野菜の刻みかたの名前まで 丁寧に手順を追って 写真を添えて説明してある 初心者にも嬉しい一冊だった。今もなお 大切にしているし これからも わたしの大切な一冊である。



初心に戻りたいときに バラバラとめくり きみにもお世話になったね と愛しさとともに帰る場所だ。誰にでも そんな素敵な本があるはずだと思う。



手捏ねハンバーグ修行も 筑前煮修行も インドカレー修行もしたし たいていのものは ちゃんとしたものレベルで作れるようにはなった。 それと同じように 本棚にお料理の本が増えてゆき つくったものを人さまに お渡しすることもできるようになっていった。にもかかわらず なにかが足りないという不足感が わたしのなかで 大きく膨らんでいったのだ。


わたしはなんか その訳のわからない
なにかを 自分が好きなものと交換するかように
思いつくままに 名も無きおうちごはんたちをつくりあげる楽しみを 見い出すようになっていった。 


ごはんを作る楽しみや 満足感が増してゆくにつれ 最早 生きるためだけにつくるごはんでは なくなった。


決して 誰かに振る舞うための一品ではなく ささやかな自分へのご褒美的な パーソナルなごはんである。
どんなにユニークな組み合わせでも
ベースの出汁や 調味料や香りのものが なんとかしてくれるのだから 本当に自然の恵みはすごいと思って 感謝している。


何だって おいしくいただけるのだ。
たとえば カップ麺のきつねだって
お湯さえ沸かせば 3〜5分
お野菜のかき揚げを 乗せるだけで
別世界へと移動したような気分で
わくわくする。


めちゃめちゃ 化けるのだ。
きつねだから 本当にうまく化けて 別物になりきってくれる。

いただきながら えーっと・・
これは なんの食べ物でしたか と
うなるほど 美味しくなる。 笑
あたまのなかが 混乱する。
それが 化けた証拠だ。
 
 


お買い物をするパワーも 思考力もないときは 自分にごめんなさいと言って そういうごはんで許してもらうときもある。お野菜は用意したから許してね 的な甘えだとわかっているけれど
最終手段として 触手を伸ばす。


弱ったカラダには 恐らく危険な行為なのだろうが 炭水化物と野菜だけで乗りきる自信がないときは 非常食のサバ缶を ぱかっと開けてしまうこともある。 お気に入りは 水色のサバ缶だ。それを猫のように ふはふはと 霞んだ視界で あの世に手をつけるようにして たいらげる。



泥のように眠るために すするのだ。
そんな気分で くすっ と力なく笑いながら お湯を沸かす。
瞬間的に からだへの愛着にも 灯が
ともる。
あるんだか ないんだか・・・。
灯りがきえ お湯がわく。
迷いがなくなるときだ。
こたえは 無くて 在る。
生きるという 触手だ。
無心なままに 触手が麺をすすらせる。


いまの同居人 ハリー(仮名)が
うどんに 胡椒をかけてしまう人で
わたしは恵まれていると思っている。
わたしはまだ 試す気にならないが
理由は そのマッチングではなくて 胡椒の味が 強すぎるせいだと思っている。わたしには 胡椒が馴染まないのだ。

お肉を焼くとき以外で 胡椒の小瓶に
意欲的に触れようとすることは あまり無いが 時折ハリーにせがまれて
あったっけ そう言えばと その存在を確認することになる。



ハリー流 うどん楽しみ術は
他人さまからの評価でも なかなかいける味になるそうなので 新しい味を
見つけたいかたには お薦めしていたりする。

名も無きおうちごはんを つくる。
おそらく それは わたしのなかにある これはこういうものたという枠組みを 解体してゆく作業なのだ。 
楽しくて 好きでたまらない。
それは 自分の領域を超えることでもある。


それが たまたま わたしの場合は
ごはんをつくるという 生活のなかの日常に向けられただけである。


解体した先に見え隠れするものは 食材の数とともに無数にひろがっている。 
なんて ラッキーなんだろうと その喜びを噛みしめる。


そして それがわたしなのである。
愛してみー と つぶやいて笑う。
そんな日常が 好きなのだ。



ガーデンズがオープンしたてのとき
名だたる名店が 物凄い熱量で軒をつらねていたように思う。その熱量に引っぱられるように 熱量の多いひとたちが集まってゆく。お店とお客様との見えない 綱引きゲームを見ているような感覚はおもしろい。やる氣の強いひとがいるところへ ひとはなぜだか 集まってゆくように見えていた。


そんな異界の一角に ラーメン屋さんがあった。お品書きの看板の 隅のほうに そのお店の屋号である名がつけられたラーメンが ほかのものとは違い 小さく目立たないくらいのサイズで ちょこんと申し訳なさそうに存在していた。


お店側としては どちらかというと あまりお薦めできない一品なのだろうかと思ったが 見たこともないなにか 特定できない白いものが
青梗菜と一緒にトッピングされていて
どうしても食べたくなった。



ても お品書きのなかで その一品だけが小さいことが わたしを遠慮かちにさせるのだ。お店が遠慮がちならば 客にも遠慮がちにさせるものなのだろうか。
わたしは 注文をするときに遠慮して こちらのラーメンお願いしてもいいですか?と聞いてしまった。



スタッフさんは 元気のいいお兄さんだったが 一瞬意味がわからなくなったように どこかへ意識がとんでゆき 戻ってきたときには 変わらない気持ちのいい笑顔て対応してくださった。



ほぼ満席の店内で よそのテーブルへと運ばれてくるラーメンは どこかでお会いできそうなイメージがあったが
わたしの目の前には 想像もできなかったラーメンが運ばれてきた。
わたしは 異界へと一瞬で吹き飛んだ。


ラーメンのうえに 山のように盛られた白いものは 春雨を揚げたものだった。頭のなかも 身体のなかも その白いもので びっしりと埋め尽くされ
消えない記憶として どーよ?と囁きながら わたしを浸食していった。
見事である。


一瞬にして わたしのラーメン観を打ち砕いてくれたのだ。
絵に描いたような なるととメンマ 葱 もやし 玉子 そしてチャーシューの乗った ラーメンに手を振った。
さよなら きみたちが支えてくれた
ラーメンは わたしの歴史になったのだ。


わたしのなかで ラーメンという
スープの海で 沢山の具材が 自由に泳ぎはじめた。
その波は キラキラとひかりを反射させながら 鍋のなかで わたしを待っている。



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