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ただ日記 3

あったことを なかったことにする。
そんな おもしろい魔法を いったいどこで 覚えたんだい ?


思考回路などは 見えるものではない
けれど、思考や感情は 言葉となって 誰かのもとへ届く。言葉にしなければ
それは無かったかのようなものとして
伝えるべきはずだった その相手に
扱われることになるのだろうかと 考えていた。
そう考え込むようなことが、わたしにはあったのだ。


七月の終わる頃から その問いかけは しのび足でやってきて 影のように
少しずつ大きくなりながら わたしのそばに寄り添っていた。
渡るな危険 の 黄色い信号機が点滅していて 動いちゃダメだというサインを 送っていた。。
だから ずっと 影のようなものと
一緒にいることにした。

本能的に 先を目指すことをやめて
動いているようで その場を ただ
漂っている状態に 身も心も委ねるときは いつもそんな景色だ。


こころの中で NO  と言って
跳ね返すまでに 時間がかかり過ぎたかも知れないが、恩恵のようなものは
リリィの姿を借りて やってきた。



物語には はじまりから終わりまで
変わらずに流れ続けている音楽のようなものがある。伝えたいことは ことはの羅列のうえにあるのではなくて
常に その綴られたことばの背景のようなところに 流れているようなものであると思う。すべてがそうであるとは限らないが、わたしの場合は そうであると感じている。そして その音楽のようなものが流れている物語が好きだ。


きっと伝えたいことがあるのだろう。
だから、何を書いても 金太郎さまが お出ましになられるのだ 笑
わたしも そんなふうになりたい。
だから せっせと心を耕して
その欲求の塊のようなものを 堀り
起こそうとしたいのだ。


リリィ(仮名・日本人)には 息子さんが 3人いる。長男、次男はすでに
成人していて 社会人になっている。
末っ子のタカ(仮名)は、 お兄ちゃんたちと歳が離れていて まだ小学校の低学年。軽い知的障害があると聞いているが 一般的な小学校に通わせている。


リリィは 学校で突然暴れ出したりするタカのために ほぼ毎日 夕暮れどきに 3軒ぐらいのお宅へ頭を下げに行っている。タカが抱えている障害が、
何かをきっかけに表面化して クラスメイトに迷惑をかけるのだ。


タカにはタカなりの理由があったはずだが、その場に居合わせた訳ではないので 状況はわからないが 理解されにくいタカの状況が、周囲から疎外されるという圧力を受けるのだろう。



そうであるにもかかわらず、障害を理由に タカが一方的に悪いような扱いをされるのだ。いまの現実とは違い
一般的ではないものが 讃えられるという価値観が支える世の中であれば、 
みんな タカの話を求めて 聞こうとするのだろう。でも そんな世の中じゃなくても タカの話は聞けるのだ。聞こうとさえすれば。

リリィは「毎日 謝ってばかりいる。」 と言いながらも 明るくて大らかな 愛情深いお母さんの姿を 見せてくれている。
けれど リリィのこころのなかは 
リリィにしか わからない。
だから わたしには そう感じられるという表現に とどめるべきなのだろうと思っている。仮に断定されたとしたら リリィは見えない鎖に繋がれたように、身動きがとれなくなり 苦しむことになるかも知れない。そう考えられる余白は 自分のなかに 残して
おきたいと思う。


自分が誰かの都合のよい解釈により 擦り減ってゆく感覚が わかるだろうか。消耗してゆくそのさまは、利用されることと どこか似ているのかも知れない。そんなことをされたら 普通に嫌いになるだろう ? と思う。嫌いにならなかったとしても 少なくとも 距離を置こうとするだろう。


柔らかな真綿で ゆっくりと首を締めあげられて 呼吸が苦しくなりながら
死んでゆくような気分に襲われる。
身動きを封じる手口には 色々あれど
こんな殺し方もあったんだと思った。
意図的にてはなくて 無意識の領域が
それをさせたのだと思うと、わたしには もっと根深く おそろしいものに
感じられる。



リリィが謝りに行った先での反応や 受けとる言葉も様々なようで 話を聞いているだけでも 障害について 多少なりとも理解のある人の言葉なのか、あるいは知ろうともしない人の言葉なのかが垣間見えて伝わってくる。
まるで世間の 縮図のようなものと
リリィは 毎日 向き合ってるのだと
感じさせられた。そんなことは まるでお構いなしに、彼女は軽いテンポで 笑いながら 事もなげに日常を話してくれる。しかも なんの違和感も残さない。話術ではなく こころなのだろうと思う。


大変なところは 胸にしまっておく。
彼女の日常の積み重ねが 自然と身につけさせた処世術なのか、あるいは彼女特有の思考があるのか 今の彼女との距離感では まだそこまで深く読み取れないが、偉いひとだなぁと思う。


リリィの心に 弾力性があり 理不尽なことに対しては 跳ね返せる力が
あるので わたしも安心して リリィの話に 耳を傾けていられるのだが、
その弾力性は タカを信頼しているところから生まれてきた 強さのように
も感じられる。

その日 謝りに行った先の1件では 慰謝料払え 示談金だとか言われて 驚いたと言っていた。子供がすることで そこまで言う親がいることが にわかに信じ難かったのだが、リリィが生きている世間では そんな驚くようなことが 日常的に起こっているのだ。


もちろん リリィは まだ息子は通院もしていないし、そんなの払えませんと 言い切って帰ってきたらしいが
どんな思考回路を持っていたら 示談金だとかいう そういう言葉を発せられるのだろうかと考えてしまった。
相手の子供さんが その親の思考に全く影響を受けずに 学校で振るまえるとも思えない。印象深いことは、示談金という言葉を使ったのが 母親ではなく 父親たということだった。



そのとき リリィが言ったのだ。
「うちの子が 同じようなことをされて帰ってきても いままで 一回も言わなかったのに。」 と。
深くて温かい お母さんの言葉だった。


タカは実際 額にたんこぶができていたり、アトピーなのに 体中にアルコールを吹きかけられて 肌がボロボロに爛れ 皮膚科で治療も受けている。
黙っていたら タカが受けていることが 知られないまま相手の親は生きていくことになる。いくらお互いさまだとわかっていても タカを連れて相手の家へゆき、今まで言わずにきていましたが と タカがされていることを
知ってもらってもいいのではないかと
思いながら 聞いていた。

リリィが黙り込むことで 無かったものになってしまう。それは、リリィが自分で決めたのだから 違和感を抱きながらも なんとかやっていけるのかも知れないが、タカの心は どうなるのだろう。

わたしは ハッとした。リリィを通して 恩恵が舞い降りてきたように感じられた。受け取るときが来ているのだと 自分を信頼して 受けとった。

「リリィ 言わなかったら 相手にされたことが なかったことのように
なっちゃうんだよ。」
咄嗟にわたしは リリィに言っていた。自分で 言いながら驚いていた。
思考がそのまま 言葉になっていた。
わたしの言葉になった感覚に 驚いていたのだ。
それは リリィに言うと同時に 自分にも 言ったことばだった。



今まで 自分の感情や起こったことを
無かったことのようにして 扱ってきた自分がいたからだ。


表現しなければ 周りには
自分の感情は なかったというように
捉えられてゆくのだろう。

日常のさりげない会話のなかで
リリィのはなしを聞いていて
思ったことを 躊躇することなく
言ったときに それを感じた。

あったことを 無かったことにする思考は 手間暇かけて歩もうとする
わたしを 阻もうとするかも知れないが、だからといって なんなのだ。
わたしは 否定ではなく ただ 信頼していたいだけなのだ。

わたしは リリィが タカに対して そうしているように 信頼することで強さを得てゆきたいと 思っている。
そうやって 大切なものをひとつずつ拾いあげてみたいのだ。


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