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隣りのねーちゃん

子供のころから 机を並べて学んで
きたひとがいる。
それは 紛れもなく 姉である
noterの 星月りすむさんだ。


おそらく 父親譲りなのだと思うが
わたしは 今も昔も こっそりと
なにかを はじめるのが楽しい。
どういう訳か こっそりやるのが好き
なのだ。隠密行動とまではゆかなくと
も なにをやっているのか わからな
い状態にしておいて 楽しむことが
わたしには とてつもなく魅力的で
やめられない。



なぜ 父親譲りかと言うと、父は
自分の楽しみに おいそれと間口を
あけて その世界に容易には 立ち入らせてくれないひとだった。
どうして それをやっているの? と
尋ねても さぁなぁ、どうしてかなぁ
と そんなふうに いつもうまく のらりくらりと かわされた。


父は仕事で 家の境界線の図面をひいて そこへ文字も記入していたからか
普段 文字を書くときも ちいさな
お手製の L型定規を使っていた。
Lの内側には それぞれ 文字を書くために 適した角度がついていた。
ひと目見れば 誰が書いたものであるか わかる文字になるのだが、そんな
変わった特技で文字を書いていたせいか わたしには 定規を使わない 父の筆跡の記憶があまりない。


うっすらと覚えていると言えば 
鉛筆書きの買い物メモで、レタスとか
かいわれと 書かれていた。
買い物へ行くのが好きで メモを持っ
て いそいそと買い物へ行くのだが、
メモにはない好きなものを買って帰っては よく母に怒られていた。
それでも 父はメモにないものを 買って帰ることを やめなかった。
母に怒られても笑ってかわしていた。
これは 父のひそかな楽しみであったに違いないと 思っている。



L型定規を使って 文字を書く技に
関しても どうして? と尋ねたこと
があるのだが、やはり なんでかなぁと かわされた。笑 
とにかく 年賀状でも お手紙でも ちょっとしたところで ご挨拶をする
原稿でも、文字とつくものすべてが 
L型定規を使って書かれていた。
しかも 慣れていたせいか そんな
神業文字を書くのが 異常なほどに 
速い。すげー である。
見ていても いま 文字のどの線を
書いたのかさえ わからない速さだった。面白い 父だった。


いまになって 考えてみると
秘密にしておくことが 父もわたしと
同様に 楽しかったのではないかと
感じられるようになってきた。
こういうことが わかるようになるのは悪くない。歳もとってみるものだ。


わたしは思春期にさしかかった頃から
こっそり日記 を 書きはじめた。
こっそりするのが 楽しみだから
隣りに机を並べた姉との境い目に
本やノートを積み上げて壁を作った。
もちろん こっそり書くために。


これで なにをやっているのか
わからずに 日記が書けると期待しながら よろこんだ。本当によろこんだのだが、ねーちゃんの好奇心には
本やノートの山も なんの効力も
発揮されず ただの積み上げられた
モノと化した。


一生懸命 楽しみながら 日記を
書いていたら、ねーちゃんが横から
何やってんのよー と 脇腹をつつい
て ちょっかいをかけてくる 笑
見方を変えると 子悪魔ちゃんだ🌸
ねーちゃん 頼むから わたしの
楽しみを 奪わないでくれ〜💧
瞬間的に 思考が ちょきんと 
ハサミのようなもので分断されて、
あー もう 集中できまへ〜ん💧と
考えていたことまで 忘れてしまうと
いった具合である。



やめてよー💧と言っても
なんとゆーか その状況を
ねーちゃんは 楽しんでいたようで
しつこさが執念に変わりそうな
勢いも 感じられていた。
そして その ちょっかいは
たまには お休みしてくれる日も
あったのだが お引越しをして
自分の部屋ができるまで わたしの
こっそり日記とともに 続いていたと記憶する💧 笑
本人の談は 聞いていないから
わからないので これは あくまでも
わたしだけの おはなしだ。笑
ねーちゃんには ねーちゃんの
おはなしが あるだろうと思う。



最近 このnoteの世界にいて
ねーちゃんと 机を並べて
お勉強しているような感覚が
戻ってきたように 感じてきた。
静かに 書いていたいと願っても
ねーちゃんは 隣りの机から
いろんな変わったものを見せては
わたしを笑わせようと してくれる。
そんな 隣りのねーちゃんは
わたしよりも ずっと面白いひとなのだと 思っている。

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