リンゴの木を植えたいと思った
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」
ドイツの牧師、宗教学者のマルティン・ルターの名言として伝わっていますが、定かではありません。
でも、私にとってどこの誰が言ったかとかはあまり関係ないのです。
より良く生きたいという根本の願い
リンゴは苗を植えてから、安定した収穫量を得るようになるまでおよそ10年かかるらしいのです。
明日世界が滅亡するのなら、そんな事したって無駄だろうと思うのですが、どんな状況にあったって、より良い未来を願う欲求はだれにでもあると思うのです。
今世界のあちこちで戦争が起こっていますが、戦争が起きている国にいたって、そこでより良い未来を願いながら生きてるはず。
絶望の中にあっても、より良い未来のために今何かをする!その比喩がリンゴの木を植えるだったわけです。
なぜリンゴ
きっとルターにとって、リンゴにまつわるエピソードに幸せを感じるものが多かったのではないでしょうか?
ルターがリンゴを買う時、誰と一緒に食べることを想像しながら買ったのでしょう。
実際に、誰とリンゴを食べたのだろう。
リンゴを食べながらどんな会話をしたのだろう。
美味しいリンゴを一緒に食べたい人は愛する人だっただろうし、美味しいリンゴを食べながら口論はしなかったのだろう。
リンゴの木を植えるというのは、未来の人間が豊かに生活するために必要なことをすることだったのでしょう。
たとえ自分が植えたリンゴを食べる前に死んでしまったとしても、自分が植えたリンゴによって誰かが幸せな時間を過ごすことを信じている。
こういう生き方は素敵だなと思うのです。
先日ある方に「お子さんは栗生に帰ってきませんか?」と聞いたところ、あれこれと帰ってこれない理由を話してくれました。
この町の暮らしを諦めてはいけない。
いつか帰ってこれるように、いまここで生きてる私たちが種を撒いておかなければ。
希望という感情は、絶望を経験した人からしか生まれないと聞いたことがあります。
お先真っ暗の中で見る光は、闇を打ち破るような力があります。
たとえ闇の中であっても、光の方向へ進む気力を与えてくれるから。
僕もリンゴの木を植えよう。