【経済のモノサシ】 ポラニー「大転換」1944 (1)
自己調整的市場の萌芽(16世紀、英国)
自己調整的市場は16世紀チューダー朝(エリザベス1世)の囲い込みで萌芽した。地主が小作人から耕地を取り上げたり、共同農地を解体して牧用地に転用したり、生産性をあげたりするために再集約することは、土地が慣習に束縛されることなく、商品として売買できることを前提とする。
小作人と羊もまた、交換可能な生産要素、つまり商品だということを前提とする。こうして自己調整的市場には商品化された土地と労働が不可欠となる。16世紀の囲い込みは、自然(土地)と人間が商品化される世界的傾向の萌芽だった。
王朝政府は、このような傾向を抑圧しようとして失敗したので、後世の経済学者はそれを無益な反動だったと切り捨てる。しかし、その結果、多くの農民が貧困や飢餓に対処する時間的余裕を得たという事実を見逃している。技術進歩による大量生産と市場が、相互に求め合って、拡大していく傾向性そのものを止めることはできないものの、拡大を遅くしようとする社会防衛は、以後、つねに市場拡大につきまとう。この事実そのものが、経済的自由主義が社会による調整を必要としていることを示唆している。
未熟な自己調整的市場
自己調整的市場は16世紀に萌芽した経済システムであり、それ以前の歴史で世界のどこにも観察されていない。そもそも貨幣が主たる経済手段であった社会が観察されていない。もちろん、経済は必ず存在したし、部分的な貨幣の使用もあった。しかし、主たる経済体系とは、互恵と配分の体系であり、生産余剰がある程度に達してはじめて家政(生産余剰の蓄積=財産)が生じ、それすらも私的所有ではなく一族の共有だった。
このような歴史的経済体系は生産物に限らず、権利と義務、名誉と恥辱、など幅広い価値観を網羅した複雑精妙な慣習によって自己調整されていた。 たとえば、戦士が持ち帰る獲物は戦士のものではない。戦士は名誉を得るが、獲物の配分は慣習に則っておこなわれる。慣習という複雑な経済体系は、個人を飢餓から守りつつ、共同体全体で環境がもたらす飢餓に対処するうえで、それなりの合理性があった。
これらすべてのものが徐々に貨幣で代替されるようになるのは、歴史的には16世紀以降のことだ。このような歴史学や人類学の知見をここで蒸し返すのは、「自己調整的市場は古代の物々交換から進化した天然自然の摂理だ」という経済学者の主張に、何の根拠もないことを思い出させるためだ。世界的市場経済は、16世紀前後の技術進歩と連環して初めて生じ、19世紀に成熟し20世紀初頭に崩壊したのであり、きわめて未熟な、歴史的には何ら実証されていないシステムであって、その未熟さがファシズムを産み、第二次大戦をもたらしたと考えられるからだ。
自己調整的市場が交換動機を昇格させた
互恵・再配分・家政に続く第4の経済行動である交換は、歴史的には永らく経済システムのおまけにすぎなかった。使用原理(使うために生産する)システムで生じた余剰の処分方法にすぎなかった。ただし、互恵・再配分・家政は複雑精妙な慣習に埋め込まれざるを得ないし、慣習のもとではじめて機能するのに対し、交換は「市場」という、慣習から独立したシステムを創造する点で独特の地位にある。
交換動機だけが市場を作り出すという意味で、交換動機は特異な経済動機だ。だから、市場を自然な摂理だという以上、交換動機も自然の、しかも支配的な経済動機だと経済学は主張せざるをえない。しかし、歴史学的にも人類学的にもそのような証拠はない。交換動機と自己調整的市場は16世紀イギリスに萌芽し、19世紀に世界を支配する経済原理となった。
労働・土地・貨幣の商品化
生産の要素は財、労働、土地、貨幣だ。自己調整的市場とは全ての生産要素の需要と供給が市場での交換を通じて自己調整されるシステムのことだから、そのためには、財のみならず、労働・土地・貨幣もまた擬制商品として市場に投入される必要がある。「市場の自己調整」という原理が「市場外部からの影響力」を許容しない以上、生産要素全てを市場で交換可能とせざるを得ないからだ。
しかし、労働・土地・貨幣とは人間・自然・価値システムの別名であり、それらを完全に商品化することなど不可能なのだから、完全な自己調整的市場など存在しえないことも明らかだ。経済的自由主義に抗う社会防衛の歴史を仔細に振り返れば、自己調整的市場の非現実性は明らかだ。