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【社会のモノサシ】 「脳は世界をどう見ているのか」 ジェフ・ホーキンス、2022

 脳は頭蓋という箱の中にある。・・脳自体には感覚器官はないので、・・脳が現実について知るための唯一の道は、・・感覚神経線維を経由している・・電気の波だけである。・・繰り返し・・感じて動くことで、脳は頭蓋外の世界のモデルを学習する。
 ・・重要なのは二点、脳が知るのは現実世界の一部分についてだけであること、そして私たちが知覚するのは世界のモデルであって世界そのものではないこと。

 一部の哲学者や科学者はこのように考えてきた。これは人が非現実的な仮想世界に生きるという意味ではない。内的世界モデルは現実世界への働きかけとその反応(フィードバック)をもとに、現実世界と整合するように修正されるからだ。ただし、ひとりひとりの内的世界モデルには互いに多少のズレがあり、一般に狂信的で非現実的とみられるズレですらも、その人の現実世界との接触で不整合が起きなければ保持される。

著者について

 1957年生まれ。神経科学者で起業家。1992年パーム・コンピューティング設立、パームパイロットを開発。2002年レッドウッド神経科学研究所を設立。2005年、AI研究会社ヌメンタを設立。原書は2021年のフィナンシャル・タイムズ紙のベスト・ブックに選出された。

大脳新皮質の部品

 知能は脳の新皮質に生じる。

  • 新皮質は哺乳類だけにあり、人間の場合、脳容積の7割を占める

  • 頭蓋のすぐ内側で、古い脳を覆うように広がっている

  • ひだとしわのある厚さ2.5ミリの皮質であり、平たくのばすことができるなら、大きめの食事用ナプキンくらい(40センチ四方)になる

皮質コラム

  • 新皮質はニューロンと呼ばれる神経線維でできている

  • ニューロンの軸索はおおむね皮質表面に対して垂直で、6層に並んでいる

  • ニューロンの構造は新皮質全体にわたって類似しており、その先がどこに繋がっているかによって異なる働きをする

  • 刺激に反応する最小単位(ニューロンの束)を皮質コラムとよぶ

  • 皮質コラムの差異は配線先による差異なので顕微鏡では観察できない

  • 皮質コラムは、100個あまりのニューロンが密集して束になったミニコラムの集合体であり、ミニコラムはニューロンの粗密を顕微鏡で観察できる

  • 皮質コラム1個は約1平方ミリメートルの面積で厚み方向(2.5ミリ)に貫通した、こまかいスパゲッティのかけらのような区画だ

  • 皮質コラムには、ニューロン10万、シナプス(ニューロン間結合)5億、軸索(細胞体から伸びている長いヒゲ)と樹状突起(細胞体のまわりの短いヒゲ)の総延長数キロメートル、が収まっている

  • 著者のシミュレーションによれば、ひとつの皮質コラムは数百の複雑な物体を学習できる

  • 新皮質は15万個の短いスパゲッティのかけら(皮質コラム)を縦にして、ぎっしり敷きつめたような構造になっている

脳の謎

 脳の謎をなんと記述するかで、研究への取り組み方が変わってくるし、混乱のもとにもなっている。

内的世界モデルの謎

  • 脳は現実世界をモデル化した内的世界モデルを保持している

  • 内的世界モデルは過去を記憶し、未来を予測できる

  • 脳は現実世界からの刺激だけをもとに内的世界モデル生み出し、時々刻々の刺激をもとに更新しつづける

 一方で、内的世界モデルを生み出しているはずの新皮質は、約15万個の皮質コラムが敷きつめられただけの、メカニカルにはおおむね均質な構造だ。この均質な構造がどうやって動的な内的世界モデルを生み出すのか?

 本書は、これが脳科学の中心的な謎だと考えている。

座標系仮説

 内的世界モデルを構成し、メンテナンスし続けるには、前提として何か座標系のような機能が生じる必要がある。そのためには

  • 移動とともに活性化箇所が変わる場所細胞

  • 座標系の目盛の役割を果たす格子細胞(移動しても同じ場所で点滅する細胞)

の二種類の役割分化が新皮質のなかで起きているはずだ。

状況証拠(1) 場所細胞(1971年、海馬)と格子細胞(2005年、臭内皮質)がラットの古い脳で発見されている。

状況証拠(2) 新皮質に続く感覚器の神経経路が「なに経路」と「どこ経路」に分かれていることは50年以上前から知られている。「なに経路」を阻害されると、その人は物体がどこにあるかはわかるが、なんであるかはわからない。逆に、「どこ経路」を阻害されると、なんであるかはわかるが、どこにあるかがわからない。

状況証拠(3) 2010年以降、新皮質にも格子細胞が存在することを示唆するfMRI(機能的磁気共鳴画像法)実験が複数の論文で発表された。

言語と概念の座標系

 知覚的な内的世界モデルが座標系で支えられているならば、「知覚」から進化した「言語と概念」も、何らかの座標系で支えられているはずだ。言語の決定的属性は「入れ子」と「再帰」だとされている。これらが言語と概念の座標系を構成しているのかもしれない。入れ子と再帰によって、有限の単語と文法で無限に世界を記述し続けることができるからだ。

参考: 「Aは、おやつを盗み食いしたBを追いかけた」といった具合に文の中に文をいれるのを「入れ子」、主語・述語・目的語のようにどの文でも同じ規則を適用するのを「再帰」と呼ぶようです。

A(主語)はB(目的語)を追いかけた(述語)
      ┗ B(主語)はおやつ(目的語)を盗み食いした(述語)
このように分割しても意味は変わらないので、構文上の構造というよりも、世界を言語記述する基本的な構造が「入れ子」だということのようです。

研究の現状

 脳科学では知覚から認識にいたるプロセスを解明する「特徴検出の階層理論」が50年間の主流だった。しかし、脳に内的世界モデルが生じ、それが時々刻々更新される仕組みが、この理論だけで明らかになるわけではない。AIもゲームや自動運転など、特化した作業ですでに人間を超えているが、それでも現状のAIシステムに内的世界モデルが生じるわけではない。何を目的にするかにもよるが、人間の脳を再現し、それを越えるものを作るという意味では、脳科学もAIも科学革命の途上にすぎない。現在進行中のAI革命よりもさらに衝撃的な科学革命が未来に控えていると想定すべきだ。

 こうした展望に対して、AIが人類を支配するという陰謀論が横行しがちだが冷静に考える必要がある。科学技術が世界を滅亡に導く可能性として、すでに核兵器、細菌兵器、気候変動がある。万全とはいえないが、世界はそれを抑止する枠組みを進化させつつなんとか滅亡をまぬがれている。それにAIが加わるだけだし、AI以後も新たなリスクが次々と出てくる、という俯瞰的な視点でも考察すべきだ。
 リスク抑止の枠組みは、リスクのメカニズム解明と共進化する。たとえばAIのリスクを詳らかにするためにはAIを研究するしかない。研究を進めつつ最先端の知見を抑止の枠組みに反映するという継続的プロセスを世界的に構築する。このほうが陰謀論よりも実用的で重要だ。

不死の思考実験

 脳に内的世界モデルが生じ、時々刻々更新されるメカニズムが明らかになり、AIがこれを再現できるようになったとする。人の内的世界モデルをAIシステムにコピーできれば、不死が実現できるのではないか?・・思考実験してみよう。

 オリジナルの人間Aからコピーして、AI上の内的世界モデルBを生成したとする。だからといってAが不死になったと言えるだろうか?

 まずA=Bでないかぎり、Aが不死になるわけではない。コピーが完成した瞬間からBは独自に内的世界モデルを更新するので、Aの内的世界モデルとは時々刻々差異が広がるだろう。しかもAは、相変わらずAの内的世界モデルのなかで死に向かって歩み続け、実際に死ぬ。つまりAが生まれた時から不死でないかぎり、Aのまま途中から不死にはなれない。

 クローンBはAとそっくりの子どもにすぎない。どの程度そっくりかという程度の差こそあれ、子孫を残すことはすべての生物がやっていることであり、そのバリエーションが増えただけだ。
 また、クローンBはAの経験と知識すべてをそっくり継承したものとも言える。これまた、学校や図書館の代わりになる知的遺産継承のバリエーションが増えただけだ。

 逆に脳だけを残して機械人間にするということも選択肢なのだが、今度は脳を不死にしなければならない。脳という生体が不死にできるのであれば、脳に限らず可能な限り人体そのものを不死化すれば良い。結局、不老長寿を追求し、その先に不死があるかもしれない、という普通の医学の問題に戻ってしまう。

 AIと不死は関係ない。AIの人体適用として有望なのは、人体の能力を補う補助部品という位置づけになるだろう。

結局、我々は何を残したいのか?

 科学が死に立ち向かう方法は二つしかない。我々ができるだけ長生きする(不老長寿)か、我々が何かを残すとき(遺産継承)その残しかたを進化させることだ。

 寿命をいくら延ばしても、人類という種そのものが絶滅することは避けがたい。恐竜は1億6千万年で絶滅した。数億から10億年後には太陽がもっと熱く巨大になり、数十億年のうちに消滅する。それを待たずとも、数百年から数千年の尺度で、核兵器、新種ウィルス、気候変動などで絶滅に瀕する可能性がある。

 だから現実的な問いは、人類の遺産継承であり、何をどんな形で残したいのか、ということになる。もちろん何も残さないことも選択肢ではあるのだが、もし何か残すとしたら、子孫(何らかの遺伝子)と知的遺産になるだろう。まず最後の手段として遺伝子改変した新人類が知的ロボットとともに宇宙を目指すだろう。それでも絶滅するときは、宇宙のどこかに人類の知的遺産を残そうとするだろう。はるかな将来、どこかで誕生する知的生命体のために。

 こうした一連の考察から、何かを誰かのために残すことは、死を避けられない我々のほぼ唯一の選択肢であり、生きがいの源泉だとも考えられる。

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