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雑記『百年の孤独』④(p97〜127)ーー屋敷のなかが恋であふれる

本章でも引き続き、「外」から現れた人物がブエンディア家の人々をある狂騒に駆り立てる。それは「恋」である。

ウルスラが改装し、外壁を無事に白く塗られた屋敷でダンス・パーティーが行われる。このパーティーのために「数個の箱に入れられ、分解した部品のかたちで(p97)」自動ピアノが届けられた。
その組み立てと調律、「六本の紙テープに印刷されたはやりの音楽のダンスを仕込ませるために」ブエンディア家に派遣されたのが、イタリア人技師・ピエトロ・クレスピという「金髪の若い男(p98)」だった。彼が「何週間も汗みずくになって」組み立てた自動ピアノに「一本めのテープを」かけたとき、音楽は「整然と美しく流れで(p98)」た。

整然に流れるといえば、前章で物忘れの病が流行る前、マコンドには「ホセ・アルカディオ・ブエンディアの手で正確に時間が合わせられ(p66)」た「木彫りのみごとな時計(p65〜66)」が全戸に備えられており、「町は三十分ごとに徐々に進行する同じ和音で活気づき、やがて、一秒の狂いもなくいっせいに鳴りひびくワルツのメロディーとともに正午に達した(p66)」のであった。
この時計のチャイムの音には、到着したばかりで「何ごとにも注意を向けなかった(p70)」レベーカも「空中のどこかに見つかるとでも思うのか、三十分ごとに、びっくりしたような目でそれを追った(p70)」ものだ。

だから自動ピアノの音に惹かれたのが、ホセ・アルカディオ・ブエンディアとレベーカであったのは必然であろう。
もっともホセ・アルカディオ・ブエンディアは「ひとりでに動くピアノの鍵盤(けんばん)に激しいショックを受けた(p98)」のであった。
前章からホセ・アルカディオ・ブエンディアは、「メルキアデスの案箱をすえ(p98)」家の中のそこかしこで写真撮影を行っていた。「二重露出という複雑な方法を通じて、かりに存在するとすれば、遅かれ早かれ神の銀板写真を撮ることができる(p87)」と確信していたからだ。

この人は神の存在を信じていたのではなく、もし写真に写れば神は存在する、と考えていたことに注目したい。
また、二重露出(露光)は複数の時間、複数の場所の光を定着させる技術である。写真術そのものが、たとえ1000分の1秒の露光時間であってもその「時間」を記録しているという意味で、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの直感は正しい。つまり、時間と空間をとらえる方法が二重露出であり、そこに神の姿が写っていたらその遍在性が証明されるのだ。

しかし残念ながら、神の姿は写らない。「目に見えない演奏者(p98)」も写真に写らない。写らないということは存在しないということだ。
「神の不在を確信し、その姿を追うことをすっぱりあきらめ」たホセ・アルカディオ・ブエンディアは、「隠された謎(なぞ)をあばくために自動ピアノを分解(p100)」する。「どうにか楽器を組み立てなおしたときには、パーティはすでに二日後に迫っていた(p100)」。

パーティー当日、「羊歯やベゴニアの鉢の並んだ廊下、ひっそりとした部屋、薔薇の香りがただよう庭園などを見てまわり、やがて客間に集まっ(p100〜101)」た招待客は「白い布でおおわれた未知の品物の前に立(p101)」つ。だが、当然、自動ピアノは鳴らない。
「ウルスラのにこやかな監視のもとで、体が触れないように気をつけながら(p99)」レベーカとアマランタにダンスの手ほどきをしたピエトロ・クレスピは、すでにマコンドを離れている。

ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない

「クラリネットこわしちゃった」の「ぼく」なら「どーしよう」と歌いそうなものだが、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは泰然自若としている。
メルキアデスが「昔の腕にものを言わせて修理しようとした。やがて何かの拍子で、ホセ・アルカディオ・ブエンディアがつかえていた装置を動かすことに成功した。最初はポロン、ポロンという調子だったが、そのうちにでたらめな曲がとめどなく流れだした(p101)」。

かくして、かつて「一秒の狂いもなくいっせいになり響くワルツのメロディー」を村じゅうにもたらしたホセ・アルカディオ・ブエンディアは、「山深くわけ入って西方に海を求めた二十一人の勇者の血をひく執念ぶかい連中(p101)」に「調子はずれのメロディー(p101)」を提供するに至る。「オ パキャラマド×2 パオパオパ」も、こんな狂った音楽の表現だったのだろうか。 

しかし、その破綻したメロディーの「波間にひそむ暗礁(あんしょう)を巧みにかわしながら」、招待客は「東の空の白むころまで踊りつづけた(p101)」。
これは、いまだマコンドが一体感を有しており、どれだけ狂った調子にも合わせてくるグルーブがあることを示唆する。「かたき」である町長と「町でも評判の美人ぞろいの(p100)」娘たちは招かれていないのは、その傍証であろう(ちなみに「オパキャラマド」は「オパ・キャマラード」で、フランス語の「Au pas, Camarade(進め、仲間よ)」だそうだ。しかし、石井好子による日本語詞は「原語のまま残し」た。「リズムに乗ったフランス語で歌う方が楽しいと思ったから」だそうだ)。

さて、自動ピアノの修理のため、後日、ピエトロ・クレスピが呼び戻される。「レベーカとアマランタもコードを正しく並べる手伝いをし、わけのわからないワルツを聞いていっしょに笑った。彼があまりにもやさしく生まじめなので、ウルスラも監視をやめてしまった(p101)」。
「修理の終わったピアノでお別れのパーティが開かれ」ると、ピエトロ・クレスピは「レベーカと組んで、新しいダンスをみごとに踊ってみせた(p102)」。「真夜中ごろ、ピエトロ・クレスピはセンチメンタルな別れの挨拶をのべ、そのなかで、近いうちにかならずここへ戻ってくると約束した。レベーカが戸口まで見送った。戸締りをすませ、ランプの灯を消してから、自分の部屋へ駆けこんで泣きだした(p102)」。

身も世もあらぬ嘆きはさらに数日つづいたが、その原因はアマランタにもわからなかった。レベーカのこの隠しだても、実は不思議ではなかった。気さくで噓(うそ)も隠しもないように見えて、もともと孤独な性格で、本心は人に明かさなかった。

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p102)

ここにもまた「孤独」の形が登場する。レベーカは「背がすらりと高くて体のひきしまった、まばゆいほど美しい娘になっていたが(p102)」、人前では見せないものの「指をしゃぶる習慣が残っていた。そのため、何かというと浴室にこもったし、壁に顔を向けて眠るのが癖になっていた(p102)」。

当初のレベーカの悪癖「土食」は、「大黄(だいおう)入りのオレンジの汁(p103)」を「土鍋(どなべ)に入れて、ひと晩たっぷり夜露にあて、翌朝の食事前に飲ませ(p71)」る療法に「鞭(むち)打ちを加え(p71)」ることで収まっていた。
その後は「アルカディオやアマランタの遊びに加わり、食器を上手に使ってよく食べるようになった。(中略)流暢(りゅうちょう)にスペイン語がしゃべれること、手仕事が目立って上手なこと、また、自分で作った非常に愉快な文句で時計のワルツを歌うことなどが明らかになった。そして間もなく、彼女は家族の一員と見なされるようになっ(p71〜72)」ていたのだった。
それなのに、「あの秘密の嗜好(しこう)が、涙とともに抑えがたい欲望となってよみがえっ(p103)」てしまった。

最初はほんの好奇心から、また、嫌な味を思いだすのが誘惑にかつ最良の手段だと信じて、それを口にした。事実、口にふくんだ土の味はとても我慢のできるものではなかった。しかし、ますますつのる欲望に負けて、彼女は土を食べつづけた。(中略)原生の鉱物にたいする嗜好、風変わりな食べ物から得られる欠けるところのない満足感などが戻ってきた。

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p102)

かつてのレベーカは、明らかに「土中毒」「土食依存症」であったのだろう。
ところで、現代の依存症治療では「ハームリダクション」という考え方があるという。全面的にカットする(「ダメ、ゼッタイ」)のではなく、たばこやアルコール、薬物等の「害(ハーム)」を徐々に減らしていくという治療方針だ。レベーカも減酒や減薬ならぬ「減土」をしていたら、また結果は違ったかもしれない。しかし、無情にも再発は急激であった。

幾つかみかの土があれば、このような堕落の原因となった唯一の男性の存在がもっと身近な、もっと確かなものに感じられるのだった。それはまるで、よその土地で男がエナメル靴の下に踏みしめている地面が、口のなかにはひりひりする感覚を、心には安らぎを残していく土の味をとおして、彼の血の重みとぬくもりを伝えてくれるような感じだった。

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p103〜104 ※太字引用者)

「土食」はいよいよ、ピエトロ・クレスピの存在への通路となる。その思いが通じたのか、町長の16歳の娘・アンパロ・モスコテを通じてレベーカ宛の封書が届けられる。
こうして、ピエトロ・クレスピの手紙を届けにきたアンパロ・モスコテとレベーカの間で始まった突然の友情は、「アウレリャノの胸にも希望の灯をともす結果になった(p104)」。

「そのうち、いっしょに来る。必ず来る(p105)」

アウレリャノはアンパロに伴って、幼いレメディオスが来訪することを望んでいた。果たして、ある日、レメディオスが本当にブエンディア家を訪れ、アウレリャノの工房に顔を出す。これはいつもの予言なのか、それとも思いの力なのだろうか。

この白百合のような肌やエメラルドの瞳のそばに、また質問のたびに、まるで父親の相手をしているように丁寧な口のきき方で、おじさん、おじさん、と言うその声の近くに、いつまでもとどまっていたいと思った。折りからメルキアデスが片隅の机にすわって、意味のわからぬ記号を書きなぐっていた。その彼がアウレリャノは憎らしかった。

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p105〜106 ※太字引用者)

おなじみのアウレリャノの永劫性への嗜好が、メルキアデスによってすぐさま破られる。
そして、アウレリャノはその日の午後から仕事を放り出し、「必死に精神統一をはかり(p106)」、レメディオスの名を何度もとなえた。

姉娘たちの仕事場やその家の窓の奥、父親の事務室のなかにまで彼女を追い求めたが、見ることのできたのは、恐ろしいほどの彼自身の孤独に浸された彼女の姿でしかなかった。

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p106 ※太字引用者)

恋は簡単に孤独に結びつく。アウレリャノは詩作にふける。メルキアデスにゆずられた羊皮紙、浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけ、「あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた(p107)」。

一方のレベーカは「二週間に一度しか来ない(p107)」郵便を待っていたが、予定の日に手紙を運ぶ騾馬(らば)が到着しない事態が訪れる。

絶望のあまり半狂乱になったレベーカは真夜中に起きだして、悲嘆と怒りの涙を流しながら、命が気づかわれるほどの猛烈ないきおいで庭の土を口の中に押しこんで、柔らかい蚯蚓を嚙みちぎり、奥歯を痛めはしないかと思うような力で蝸牛(かたつむり)の殻を嚙みくだいた。夜明けまで嘔吐(おうと)がつづいた。発熱と同時に虚脱状態に落ちいった。意識を失い、うわごとで心に秘めていたことを洗いざらい口走った。

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p107)

こうしてレベーカの恋心と、ピエトロ・クレスピとの手紙のやり取りが、ウルスラに露見する。

レベーカの「悲嘆を理解できた者はアウレリャノだけだった(p108)」。彼は「同名の町の建設者らの息子(p105)」、マグニフィコ・ビズバルとヘリネルド・マルケスを語らって、カタリノの店を訪れる。
はるかに世慣れしている友人2人は女を膝に乗せ酒をあおるが、アウレリャノは「色香のあせた金歯の女(p108)」の手を払いのけた。

飲めば飲むほどレメディオスが恋しくなることに気づいた。しかし、その思い出の苦しさに必死に耐えた。いつの間にか、体が宙に浮くような気分になっていた。仲間や女たちが唇から外へは洩(も)れない何ごとかをささやき、見当のつかない妙な合図をこちらに送りながら、重みも形も失ったように、まばゆい光線のなかをただよっているのが見えた。

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p108 ※太字引用者)

恋がもたらす悲嘆。それは人や事物が持ってしかるべき重さを失わせる。そして、この物語では、重力の変化は時空の歪みに直結するのだった。

まるで物忘れがはやっていたころのように、意識がもうろうとなった。それを取り戻したのは、よそよそしい明け方の、まったく見覚えのない部屋のなかだった。裸足の下着姿で、髪の乱れたピラル・テルネラがそこに立っていた。(中略)
「アウレリャノじゃないの!」

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p108〜109 ※太字引用者)

ピラル・テルネラは、ホセ・アルカディオとの子・アルカディオを産んだのち、「さらにふたりの父(てて)無し子を産ん(p99)」でおり、先のパーティーにも招待されていた。
さらにさかのぼると、出奔したホセ・アルカディオの探索でウルスラが不在中、ピラル・テルネラがブエンディア家の家事の手伝いを申し出ていた。
しかし「その不思議な勘がますます冴(さ)えたものになっていたアウレリャノは(中略)、兄の出奔やその後の母の失踪はこの女のせいだと思ったので、口ではなく態度で容赦のない敵意を示した(p60)」のだった。その後、ピラル・テルネラは家に寄り付かなくなっていた。

「あんたと寝にきたんだ」と、彼は言った(p109)

ピラル・テルネラは、アウレリャノを受け入れる。
このピラル・テルネラという女性は、なかなか正体がつかみにくい。
彼女の占いも、アウレリャノの予言ほどの確度があるのかも疑わしい。たとえば、ウルスラが長男ホセ・アルカディオの「とてつもなく大きなアレ」が一族の不吉な予兆なのでは、と相談したときも、「あけすけな笑い声を立てて」、「そんなことないわよ。きっと幸せになれるわ(p45)」と予言した。しかし、ホセ・アルカディオから「食欲と睡眠(p55)」を奪った「例の気がかり」とは、彼女との間の子・アルカディオを祖としてつむがれる一族の不穏な運命だったのではないか。

そもそも、ピラル・テルネラがマコンドに来たのは、「十四歳の彼女を犯して二十二まで愛し(p48)」た「よそ者(p49)」から引き離そうとした家族ともに、あの流浪の旅に加わったからだった。男は「あとから世界の果てまで追っていく(p49)」と約束したが、ピラル・テルネラは「トランプが三日後に、三カ月後に、あるいは三年後に(中略)会うことがあると教えてくれる彼を、そこらの(中略)男と、ついいっしょくたにした(p49)」。結果、ピラル・テルネラは「誰とでも寝る女」になった。

さらにいえば、彼女との行為は直接行っていない者にも伝播する。兄・ホセ・アルカディオとピラル・テルネラの間にあった交渉について、アウレリャノは事細かに話を聞き、共有していたのだった。

初めのうちアウレリャノ少年は、兄の色事にともなう危険しか考えられず、その対象の魅力には思いいたらなかった。それでも、少しずつその物狂おしさに取り憑(つ)かれていった。こまごましたことを聞かせてもらい、兄とともに一喜一憂し、驚きと楽しみを味わった

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p51 ※太字引用者)

兄と共有していた「驚きと楽しみ」。それを今、自分が直接経験する。アウレリャノの「恋」はレメディオスに向けられ、体はかつての兄が行ったことを同じ相手でトレースする。愛のある行為の模擬練習のようなものがここでは行われる。

男としての能力にたいする疑いだけでなく、何ヶ月も心に秘めて耐えて苦しい重荷を残して部屋を出ようとすると、ピラル・テルネラがすすんで約束してくれた。
「わたしから、あの子に話してみるわ。待ってなさい。うまくやってあげるから」

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p110 ※太字引用者

ピラル・テルネラはレメディオスに話をつけてくれるという。
彼女は誰とでも寝る代わりに、男性の抱える重荷を引き受け、その先の道へ導くのだろう。それがよい未来かどうかはさておき。

さて、ピラル・テルネラは約束どおりレメディオスと話し、アウレリャノとの結婚の内諾を得る。しかし、ブエンディア家ではレベーカの恋わずらいに加え、アマランタまでが高熱を出していた。
ピラル・テルネラの「体」をホセ・アルカディオとアウレリャノが「共有」したのと対照的に、レベーカとアマランタは同じ「恋」を共有していたのだ。ウルスラは「自動ピアノを買おうなどという気を起こしたあの日を呪(のろ)った(p111)」。

結局、ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラの協議の結果、「かたきの娘(p112)」との結婚をアウレリャノに許す一方、レベーカをピエトロ・クレスピと結婚させること、アマランタは折を見てウルスラが州都へ連れ出すことが決まった。
しかし、アマランタは「ひそかに心に誓っていた。レベーカが結婚できるとしたら、それは自分が死んだときだ、と(p112)」。

アマランタの深い不満を別にすれば、万事がうまく進み始めたように感じられた。レメディオスはまだ「月のものを見ていないということが伝えられた」が、「アウレリャノはそれを大きな障害だとは考えなかった。さんざん待ったのだから、花嫁が子供を産める年になるまでいくらでも待つ、というのが彼の答えだった(p114)」。

こうして「よみがえった平和な日々は、メルキアデスの死によって破られた(p114)」。メルキアデスの、二度目にして最後の死に当たる。そして、マコンドで葬られる最初の死者となる。ついに、マコンドの仮設性が失われる。「九日間にわたる通夜(つや)がとり行われた。(中略)このどさくさを利用して、アマランタはその恋心をピエトロ・クレスピに打ち明けた(p119)」。

「ぼくには弟がいますよ。近いうちここへ来て、店を手伝うことになってるけど(p119)」

彼は「二、三週間前にレベーカと正式に婚約を取り決めて(p119)」いた。弟とともにマコンドに「楽器とゼンマイ仕掛けのおもちゃの店」を開こうとしていた。
「ばかにされたと思ったアマランタは深い怨(うら)みをこめて、自分の死体でこの家の戸をふさいででも、姉の結婚を邪魔してみせるから、とピエトロ・クレスピに言った(p119)」。マコンドで「怨み」の感情が表明されたのも初めてのことかもしれない。そして当然、その感情は姉のレベーカにも向けられる。

「いい気になってはだめよ。どんなに遠いところへ連れていかれても、あんたの結婚だけは邪魔してみせますからね。殺すかもわからないわよ!(p119)」

レベーカに言い捨て、アマランタはウルスラと州都へ旅立って行った。

メルキアデスの死で落胆していたホセ・アルカディオ・ブエンディアは、「ピエトロ・クレスピによって持ち込まれる盛りだくさんな驚くべきからくり人形」によって悲嘆が吹き飛ばされ、「錬金術の昔(p120)」に戻って「振り子の原理に立った永久運動の装置を完成させようと努め(p120)」ていた。

……永久運動?

影は肯いた。「君が混乱していることはよくわかるよ。しかしこう考えてみてくれ。君は永久運動というものの存在を信じるかい?」
「いや、永久運動は原理的に存在しない

(村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)』 p66)

「見た目に永久運動とうつる機械」は「何らかの目には見えない外的な力を裏側で利用している(上掲書p66)」。つまり、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの試みは虚しいものだ。

あるいはゼンマイじかけの永久運動の見本とは、人体自体なのかもしれない。

人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である。

(『人間機械論』ラ・メトリ 著、杉 捷夫 訳 岩波文庫 p52)

そして「永久」は『世界の終り〜』では時間が失われた思念の世界で成立するのだった。ホセ・アルカディオ・ブエンディアも同じ罠にかかりつつあった。
まず彼は「死人もまた年を取る(p124)」というパラドクスを経験する。プルデンシオ・アギラルの再訪である。

ホセ・アルカディオ・ブエンディアは全身をゆさぶられるような懐(なつ)かしさを感じて叫んだ。「プルデンシオじゃないか! こんな遠いところまでよく来てくれた!」死んでから月日がたつにつれて、生きいている者を恋うる心はいよいよ強く、友欲しさもつのるばかり、死のなかにも存在する別の死の間近なことに激しい恐怖を感じて、プルデンシオ・アギラルは最大の敵である男に愛情を抱くようになったのだ

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p124〜125)

 もともとホセ・アルカディオ・ブエンディアは、プルデンシオ・アギラルから「できるだけ遠くへ行って二度と戻ってこない(p41)」と誓ってマコンドまでたどり着いた。しかし死んだメルキアデスの助力を得て、「愛」は距離と生死の境を乗り越え、プルデンシオを当地へ導く。

ホセ・アルカディオ・ブエンディアは、明け方までプルデンシオ・アギラルと話し合った。二、三時間後に、徹夜で疲れ切った体でアウレリャノの仕事場へはいって行って、こう尋ねた。「今日は何曜日だ?」アウレリャノが火曜日だと答えると、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは言った。「わしもそう思っていた。ところが、急に気づいたんだ。今日も、昨日と同じように月曜ということにな。空を見ろ、壁を見ろ、あのベゴニアを見ろ。今日もやっぱり月曜なんだ」

(『百年の孤独』G・ガルシア・マルケス 著、鼓 直 訳 新潮文庫 p124〜125)

ホセ・アルカディオ・ブエンディアはついに気が触れてしまったのだろうか。

仮に彼の言うとおり、天候や経年の変化もなく、月曜が繰り返しているとしよう。しかし、人々の記憶はあの物忘れの日々とは異なり、時事刻々更新されているはずだ(当時でさえ、記憶自体は刻まれていた)。
とすると、永遠に繰り返される月曜日の連なりに、彼以外の者は記憶を刻む事態におちいっているのかもしれない。時空がゆがみ、マコンドは「世界の終り」に移行しようとしているのか? 死後の世界でさえ静止した時のなかにはないのに。

これは、死者の埋葬によるマコンドの常設化と関係があるのだろうか? というのも、ピラル・テルネラがこんな占いをしたからだ。

「両親のお骨をちゃんと埋めないうちは幸せになれないわよ(p121)」

そう、レベーカの両親の遺骨は放置され、家の「思いがけないところにころがっていて」、「あちこちでみんなの邪魔にな(p70)」っていたのだった。結局、家の改装の際に左官によって寝室の壁に塗り込められていた袋入りの遺骨は、「メルキアデスの墓のそばに急いで掘った、石碑も何もない墓穴に埋められた(p122)」。

この件を境にレベーカとピラル・テルネラの間に友情が芽生え、「固く閉ざされたこの屋敷の戸を、ピラル・テルネラにひらく結果になった(p123)」。アルカディオの出生の秘密は本人に伏せられていたが、生みの母の存在に彼は「気分が落ち着かなかった(p123)」。

ピラル・テルネラはアウレリャノの仕事場にも顔を出した。アウレリャノは「真昼の光線にさらされているように、彼女の考えていることがはっきりわかった(p123)」。

「何だい。黙ってないで言ってごらんよ(p123)」

「あんたにはかなわないわ。何もかもお見とおしね(p124)」

ピラル・テルネラはアウレリャノの子を宿していた。アウレリャノは落ち着いた声で告げた。

「わかった。赤ん坊には、ぼくの名前をつければいい(p124)」

さて、いつまでも月曜日にいるホセ・アルカディオ・ブエンディアは、泣かんばかりの声で言った。「時間をはかる機械が故障してしまったんだ!(p126)」。「ひと晩じゅう目をあけたままベッドに横たわって、悲嘆をわかち合うために、プルデンシオ・アギラルやメルキアデスの名を、すべての死者の名を呼んだ。しかし、誰ひとり駆けつけてはくれなかった(p127)」。

絶対的な孤独。金曜日の朝、依然として月曜であることを確信したホセ・アルカディオ・ブエンディアは「流れるような、だが一語も聞き取れない言葉で狂ったようにわめきながら、怪力をふるって破壊の限りを尽くし(p127)」た。「奇妙な言葉でわめきちらし、口から青い泡を吹いている彼を、みんなは栗の木に縛りつけた(p127)」。

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