(6)『C』【おすすめアニメ感想】
アニメ作品『C』(シー)について感想を記します。評論ではありませぬ、思ったことを述べるだけ。
C
(2011) 監督:中村健治、シリーズ構成:高木登、キャラクターデザイン:mebae、アニメーション制作:竜の子プロダクション、(声)余賀 公麿(よが きみまろ):内山昂輝、真朱(ましゅ):戸松遥、三國 壮一郎(みくに そういちろう):細見大輔、Q(キュー):後藤沙緒里、J・サトウ:浅野まゆみ、竹田崎:菊池正美、真坂木(まさかき):櫻井孝宏
ノイタミナ「C」(公式サイト)
https://noitamina-control.jp/
プレビュー
ある夜、平成経済大学の貧乏苦学生、余賀 公麿(よが きみまろ)のもとに「ミダス銀行」を名乗る奇態な男、真坂木(まさかき)が現れる。彼は余賀を「起業家(アントレプレナー:略称アントレ)」に勧誘する。
最初は気の乗らない余賀であったが、ついには成り行きでディール(「取引」と呼ぶ格闘)のため「金融街」と呼ばれる異世界に向かう。
本作は、「未来」を担保に資産(お金)を借りて、互いの資産を懸けて格闘するとゆう一風変わったファンタジー作品です。
後半は一種のカラストロフィ(経済破綻)が描かれており、単なる格闘マンガではなく、より大きなテーマが感じられる作品でした。
血しぶきはお金です
本作で他に類を見ない特徴は、資産(お金)の増減が格闘の結果になっているところで、資産のバランスシートや投資やコストなど、経済活動のカリカルチュアとしての格闘が描かれている点です。
でも本作の本当に面白い部分は、「本当に価値のあるものは何なのか」とゆう問いにあるような気がしました。
それは、たとえば、未来を食いつぶして現状を得るのか、あるいは、お金を得る代わりにお金に替えられない価値を差し出すのか、とゆう問いに対して各キャラクターたちが右往左往するありさまによって表現されているような気がしました。
「株価公開」に爆笑
わたしが面白かったシーンの一つに「株式公開」がありました。
ディール初心者の余賀が手練れのアントレである平成経済大学の講師と戦うとき(余賀は教え子とゆう関係)、まさに敗退寸前でマシュの「株価公開」の呼び声に応えて、三國がすかさず「五千万買いだ」は爆笑ものでした。
敵側(講師)からしたら「嘘だろ」と。
真朱(マシュ)の正体について
本作では、余賀とマシュの愛くるしいやりとりがほのぼのしてるとゆうか、良いです。
マシュは余賀の「未来」の体現であるが、それが何であるのかについては作中で明確に示されていません。しかし、よく見ると8話のなかで一瞬だけその正体を仄めかすシーンが見つかります。
そこで、マシュの正体を推定すると、マシュに対する余賀の態度が、どこかプラトニックであることに合点がゆくし、よりいっそう愛らしさが増すような気がしました。
また、これは「未来」(=マシュの正体)を重視する余賀と「現在」(=Qの正体)を重視する三國の対比を表していることが面白いなと(しかし、結果的にそれは三國の誤りであったことが示される)。
もう一つ、わたしは余賀の父親のアセットがマシュに瓜二つであることに着目しました(これも一瞬だけ示される)。
何故なら、父親は破産して自殺することとなっているのですが、余賀自身と余賀の未来の両方を守ったことを示しているからだと考えているからです。
余賀のアセットと父親のアセットが本当は同じものであったとしたら、味わい深い話ではなかろうか。
「C」の到来と三國の戦い
本作の後半におけるカタストロフィは本作の最大の見どころであろうと思いました。結末は予想できないとゆうか、すごく良かったです(いろいろな意味で)。
本作は、もう一人の主人公であり、魅力あるキャラクターである三國の物語であったと思います。
そのことも踏まえると、本作の最大の見どころは、ラストの余賀対三國の対決よりも、その前段である「C」の到来と三國との戦いであろうなと思うわけです。
わたしは、「未来」を守ろうとする余賀に共感を覚える一方で、「現在」を維持しようとする三國の考えもわかる気がしました。それは妹の存在があったからなのでしょうか。
また、この他、サトウさんや真坂木、竹田崎など、余賀とマシュ以外のキャラクターはいずれも金に貪欲であったり、うさんくさい者が多いのですが、最後はみんなそれなりに面白みがあって、「いいやつだな」と思える作品でした。
※上記リンクは、当サイトではPR(収入を得るもの)ではありません。