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(11)『正解するカド』【おすすめアニメ感想】

今回はアニメ作品『正解するカド』についての感想を記したいと思います。

プレビュー
   突如、羽田空港の上空に出現した巨大な立方体が約250名の乗員・乗客と共に旅客機を飲み込んだ。立方体の大きさは一辺が2km、人類のいかなる技術をもっても傷一つつけることができない高度な科学技術により創造されたものであった。それは『カド』と呼ばれ、異方(=外宇宙)から来訪した者ヤハクィザシュニナの所有物であった。

日本国政府は乗客の解放を交渉するため、異方側の代理交渉人として真道幸路朗、政府側の交渉人として徭 沙羅花を選出する。かくして、異方存在と日本国政府との交渉が始まり、問題解決へ動き出すのであるが…

『正解するカド』 予告第1弾 : Concept Trailer(Youtube公式チャンネルから引用)
(注:本作の本放送は終了しています)

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『正解するカド』の概要
  本作は東映アニメーションがてがけたオリジナルSF作品です(完結)
一番の感想は、「とにかくめちゃくちゃ面白い」でした。

  ごく一般的な商業アニメ作品において(海外も含め)、本作程とびぬけた発想の作品は他にあまり見られないもので、今後、長いアニメ作品の歴史があるとして、本作はいつまでも色あせることのない傑作になるものと思っています。

とても良いと思えたのは、とびぬけた発想でありながら、エンタメ作品としても楽しめるものになっているなと思えるところでした。

本筋は人類よりもはるかに高度で高次元の世界(作中「異方(いほう)」と名付けられる)と人類との出会いを描いたものです。
その異方と人類との科学技術の差のあまりの巨大さが本作の面白みの中心となっていると思います。

面白いのはこの来訪者の対応は一見紳士的であり、むしろ人類に福音(高度な技術)をもたらす存在として現れるのですが、あまりに高度すぎる技術は良いものであっても逆に人類の危険を脅かすものだとゆうところに、本作の面白さがあるように思いました。

また、主人公が日本国政府の官僚とゆうのも面白い点でした(『シン・ゴジラ』みたいな)。

『正解するカド』はSF作品か?
  本作はSF作品として秀逸なのですが、たとえば『異方』や『カド』、『ワム』、『サンサ』、『ナノミスハイン』などの本作における様々なオブジェクトや要素はそれほど科学的要素としては高くない気がします。

どちらかとゆうとファンタジー作品に近いもので、そこは多少ポピュラーに寄せているように思えました。

特に結末のまとめかたは、ある程度視聴者の考える範囲内に収まるような調整がなされているように感じました。

本作のSF作品としての面白さとは、まず、異方のありかたの設定であり、そして異方と日本国政府や個人(真藤)つまり人類との係わりにあるような気がします。

人類にとっての『正解』とは
  本作はざっくり前半と後半に別れ、前半はカドに捕らわれた人々の解放やカドの移設など当面の問題の解決までが描かれます。特にカドの移動のシーンは前半のクライマックスであろうと思います。
後半では、異方側(ヤハクィザシュニナ)の目的が徐々に明らかになり、其れに対する人類のレスポンス(返答)が中心となってゆきます。

ここで、異方から人類へのアクションに対して人類から異方宛てに反応するとき、人類が何を選択するのかが本作全体を通した主題になっているような気がします。人類は何を選択することが『正解』であるのか。

たとえば『ワム』に対して、これを受け取るべきか、または、拒否した方が良いのか、(人類は進むべきか、留まるべきか)。
他の視聴者はどうみているのだろうか、興味あります。

総理大臣や多くの登場人物たちはリスクを考慮しながらも進む方向で判断をするが、一方、沙羅花は留まる方向を示唆する。

わたしはやはり物語が進展する方向で視ているので、総理や世界の選択する方向で視ている(当然そうなる)のです。
  しかし、一方で本作のラストでは、やはりそうなるかと、ほっとするところもあります。
  わたしは、実際のところ、本当の人類はどちらを選択するだろうかとゆうことは、なかなか、実はこれだとゆう結論を得られないところではありました。

序盤、ワムの存在に戸惑う人類に対し、ヤハクィザシュニナは「人類よ、正解するために考えるべきだ」と呟くのですが、
ここで、本作の問いのキモといえるのは『正解する』ことへの囚われ自体にあるような気がしました。
本作では『正解』に対する問いを視聴者に投げかけるが、作中からは『正解』を特に示していないとゆうか、そんな気がしました。

  もしかすると、『正解するために考え続けること』自体が本当の『正解』などとする、とんちであるやもです。

神との交渉
   本作のもう一つの重要な要素は『交渉』です。
そういった意味で第1話は一見地味なエピソードに見えますが、ストーリーにおいてかなり重要なエピソードではないかなと思いました。
第1話では、まず主人公の真藤がどのような人物かについてを中心に描いていますが、同時に本作においては『交渉する』とゆうことが主題であるとゆうことを示しています。

そして、真藤とヤハクィザシュニナとのやりとりを通して明らかになることは、『交渉する』ことの条件は2つで、一つは『相手が交渉可能である』こと、もう一つは『交渉するとゆうことは双方が満足できるラインを探すこと』であることだと思いました。

真藤の『サプライズ』はまさに交渉の行程として描かれており、みごとに本作の帰結となっているところが良かったと思います(ただ、少し無理くりな感は否めないのです)。

   ここで『交渉』に関して重要なことは『相手が交渉可能である』ことが前提条件であることで、単なる破壊者や侵略者に対しては、そもそも交渉が不可能なのでしょう。
はたして、本作におけるヤハクィザシュニナはどのラインであったかについては、ラスト間際では微妙かもしれません。

神様にとっての人類とは
  本作の面白さの最も大きな点は、神様が人類に何を望んでいるのかについての解答が示されたことです。

これは、二つあって、一つは『エンタメ』であり、もう一つは『恋愛』でありました。

そういった意味では、メタ的に本作品『正解するカド』を創作したのは、神様ではなく、やはり人間なのだとする点で、合点が行きます。

ここで、本作では『情報』にとっては次元性が重要な要素となっていることが語られています。

つまりバーコードが1次元から2次元になったとき、情報量が指数的に増大するように、本作『異方』の次元は人類の住む宇宙のはるかな高次元に存在するため、圧倒的な情報量と情報処理能力があるわけです。

そんな高次元の者たちが欲しているのは『摂取しきれない情報』であるとゆうことが描かれており、要は神様は退屈で、まさに『読み切れないほどの本』、『視聴しきれないほどのアニメ』のようなものを欲しているわけで。

神が人類に望んでいるものは眞にそれで、 そのための宇宙創生であり、人類」に期待するのは『摂取しきれない情報』、つまり『エンターテイメント』であったとゆう結論が面白いです。

そして、本作のラスト、真藤が用意したサプライズこそ、究極のエンタメであったのだとゆうところが物語としては痛快で最高でした(ところが、サプライズ過ぎて(異方の望む以上のものおであったため)、ヤハクィザシュニナが弾き飛ばされることに終わるとゆう)。
  (それにしても、一番の被害者は花森君なのでは…)

恋する神様
  本作は一見クールに物語が進行するかに見えたのですが、ラスト間際のキャラクターの心情などが重視されて描かれていたと思い、そこがとても良かったです。

沙羅花やヤハクィザシュニナの人物造形など、感情豊かに描かれており、逆に終始鉄のようにクールな真藤の表向きの描き方と対照的となる点がすごく面白かったです。

特にヤハクィザシュニナのキャラクターの魅力こそ本作の魅力になっていると思いました。

面白いと思ったのは、精神や記憶を含めて人間を完全にコピーをしたとしても、コピー元の人間は、共に築いてきた関係性やともに過ぎしてきた時間を含め、唯一無二であるとゆうことが描かれているところは面白いし、素晴らしい気がします。

真藤が心や記憶を含めて完全に複製したとしても、いっしょに同じ時をすごしてきた真藤とゆう個人にはなりえないとゆうヤハクィザシュニナの発見が面白かったです。

最終的に「私のモノにならないのなら、殺してやる!」とまでになる結果が、人類をはるかに超越した者の結論になるところが本作の大きな魅力と言えましょう。


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