愛国心について②

30分スタート

前回のまとめ

  • 他国との比較からは愛国心は産まれない

  • まず「愛」ありき

今回の本題

「愛国心とは自己愛の延長である。」私の持論を一言で表すとこうなると思う。

自分のことが嫌いだと生きるのがしんどい

私の仮定は、人間は弱い、ずるい生き物だという事だ。
弱くてずるい私は、自分の事をなんて弱くてずるくて醜い人間なんだ!
とは、心の底からは思えない。
自分の事を嫌いながら生きるのはしんどいからだ。

ということは私は、私のことが好きだという事だ。私は私を愛してしまう。

当たり前の愛国心

私は、ある両親から産まれた。自分で選んだ両親ではない。
私は、ある土地で産まれ、育った。自分で選んだ土地ではない。
私は、ある言葉を話す。自分で選んだ言葉ではない。

私は、たくさんの私が選んだわけではないモノから出来ている。

私を産んだ両親は、完全な親ではなかった。でも私の両親だ。
私が産まれ、育った土地は、特別美しい場所ではなかった。でも私の故郷だ。
私が話す言葉は、世界中の人と心通わせる言葉ではなかった。でも私の言葉だ。

自分で選んだわけでもない、完璧でも特別でも皆と同じでもない、不完全なモノたちの集合である自分を愛さずにはいられない。

元来の愛国心は、こういうものだと思う。

高度化した社会での愛国心

だけど、あまりに高度化で複雑な社会の中で、たくさんの選択肢から選び続ける事が出来る人たちにとって、この元来の愛国心を抱くことは、実はとても難しい。

私は、ある両親から産まれた。自分で選んだ両親ではない。
私は、ある土地で産まれ、育った。自分で選んだ土地ではない。
私は、ある言葉を話す。自分で選んだ言葉ではない。

私は、たくさんの私が選んだわけではないモノから出来ていた。

私を産んだ両親は、完全な親ではなかった。だから私は、両親に頼らず、頼られない。
私が産まれ、育った土地は、特別美しい場所ではなかった。だから私は、特別美しい街を故郷にした。
私が話す言葉は、世界中の人と心通わせる言葉ではなかった。だから私は、世界の人と心通わせる言葉を学んだ。

自分で選んだ、完璧で特別で皆と同じ、完全なモノたちの集合である自分を私は愛する。

高度な教育を受け、普遍的な知識を持って、あまねく選択肢の中から、事故を構成する要素を選択する人たちにとって、愛するべきものは、自ら選び取ったものだけだ。

愛国心を抱くとしたら、この私に選ばれるような国に対して以外にはありえない。

続きはまた今度

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