人間の一夫多妻制の特殊さについて考えてること
オスライオンの命がけのお勤め
「オスライオン」といえば、強さの代名詞だ。
複数のメスを侍らせ、狩りには参加せずに群れの雌が仕留めた獲物を食べ、群れを乗っ取ろうとする若オスが来れば喧嘩して追い返し、あとは昼寝をして暮らしている。
そんなイメージがある。
しかし、現実はやはりそこまで甘くないようだ。
メスが繁殖期を迎えるとオスライオンは、1回20秒ほどのお勤めを多い日には1日50回求められる。そんな日が1週間続くこともあるというのだ。
そして、そのお勤めに耐えることが出来なければ、メスから見向きされなくなるという。
女性の社会進出が進んだライオン社会では、オスはメスから選ばれる一方で、オスがメスを選ぶ余地は無いようだ。
ある程度大きくなったオスライオンは、群れから自立しなければならず、同じ独身のオスライオンと仲間になったりしながら、年老いて、メスの相手をしきれなくなったオスがいるプライドの乗っ取りを画策し続けることになる。
そこに、どんなメスがいいか。というメスを選ぶような思考は挟みようがないだろう。
シャチのおばあちゃん
シャチは母系家族で生きることがよく知られている。
閉経後のメスがリーダーになり、娘たちは生涯同じ群れで過ごすことが多いそう。
かと思えば、オスも母親から生涯離れずに過ごすという記事もあった。
総じて、自分が産まれた家族から離れずに過ごす個体が多いようだ。
繁殖は、他の群れとの接触時に行われることが多くて、繁殖行動時以外は、もともとの家族と生活を共にするので、母方の群れに子供が増えるということになるのだろう。
ゴリラの子育て
ゴリラも群れの大人のオスは、シルバーバックと呼ばれる1頭だけだ。
彼は、群れのお父さんで、3歳を過ぎて授乳期を終えた子供たちは、日中彼の周りで遊ぶ。
お母さんは、その間、食事に行ったり、場合によっては、そのまま別の群れに行ってしまう事もあるそうだ。
体が大きく、子供たちと上手に遊んでくれるシルバーバックが、メスたちから選ばれることで、群れは大きくなる。
シルバーバックは、遊び相手になり、子供同士のけんかの仲裁もする。
母親がいない子供は、一緒のベッドに入れてやり、抱きしめて眠ることもある。
外敵が来れば家族を守るために戦う。
メスは、授乳期が終われば、その群れに残るかどうか、選択権は自分にある。
https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/embed/jatokyo-officeeventdocuments052.pdf
優秀なオスを囲い込む 動物の一夫多妻
ここまで、いくつかの動物の家族の在り方を簡単に見てきた。
一般的に想像される人間社会における「一夫多妻制」とは、かなり異なる形が垣間見えたような気がする。
そこでは、「一頭の強いオスが、メスを囲い込み、その強さを背景に欲を満たす」というエロ漫画に出てくるようなハーレムが形成されているわけではないようだ。
むしろ、家族を形成する権利を持ったメスが、家族内の役職としての父親への就職希望のオスを面接し、採用後はこき使い倒し、使えなくなれば、次のオスを採用するような、そんなイメージの方が近いと感じてしまう。
人間の一夫多妻の女性の地位の低さ
例えば、イスラム教における一夫多妻では、夫に妻の扶養の義務がある場合が多く、全ての妻を平等に扱う事を定めている。
妻を平等に扱う必要があるのは、動物たちと同じだ。
しかし、「妻を扶養しなければいけない」というのは、どうも動物にはあまりなさそうな概念に見える。ライオンもシャチもゴリラも、狩りや採集は自分でしているようだ。あるいは、群れで獲物を分配するので、オスだけに食料獲得の責任が押し付けられているという事もない。
生きる糧を得る活動を、人類のある段階で男に奪われてしまった、あるいは、押し付けてしまったのだろうか。
食料の獲得、外での仕事へのアクセスを絶たれた女性にとっての一夫多妻制は、社会的地位の低下を加速させそうな気はする。
夫の収入という限られたリソースを他の妻と奪い合うゼロサムゲームしか出来なくなる。
この制度下では、他の妻との競争のために、夫に対して、待遇の改善を要望できなくなってしまう。より、夫にとって好ましい振る舞いをする妻が、得をする構造になってしまっている。
この状態からの脱却、移行期として、一夫一妻制は、一定の効果を挙げつつあるのではないだろうか。
現代社会に一夫多妻制を導入するなら?
そして現在、女性は、外で活躍する機会を得ている。
自分の力で生きる女性は、まさしく、男性を選ぶ権利を手にしつつあるわけだ。
となれば、「ほかに女がいてもいいから、このちゃんとした男性と育児がしたい」というのは、ある意味当たり前の感覚だと思う。
というか、仲良し女子集団が、自分たちの趣味合う男性を1~2人くらいを囲い込んで、家族になるという感じの方が動物の流れに近いのかな。
生活は、収入面も含めて、基本的に自分たちで回していることを前提に、子育ての手段として、集団に男性を迎えるという形ですかね。
単純に考えて、世帯構成員数は多い方が経済合理性は高いわけだし。
子育てするのには、明らかに一家族に大人が3人は居た方がいいに決まってんだよね。
夜子供の面倒みた奴は日中寝ないと寝不足で死んじゃうに決まってんだから。
まあ、現代で、新たに一夫多妻制を取り入れるなら、同時に一妻多夫制も入れることになるだろうし、なんなら多夫多妻制も一緒に検討する必要もあるんだろうし、戸籍どうすんのかとか、色々いろいろ問題だらけなのは当然の事なんですが。
単純に、一夫多妻=女性蔑視っていう感覚の人が結構いるかと思って、「家族に占める女性の割合が高くなるなら、家庭内の女性の地位強くなるんじゃないの?」とか「養われる前提でなければ、一世帯の構成員数を増やすのは、世帯年収を増やす近道なのでは?」というようなことを、バイアスなしに考えるのって悪くないんじゃないかという事が書いてみたかった。