小学校の使い方②
今日も30分やってみよう。
昨日の記事では、小学校も一つのサービスであるから、例えばExcelのように、使用者側にも上手い下手があるはずだということを主張してみました。
今回は、実際にこういう使い方がいいんじゃないか?
というものを提案してみようと思います。
がっつり手伝いに行く!
いきなりツッコミどころが来たなとお思いでしょう。
説明させてください。
1年生の壁
俗に1年生の壁と言われる問題があります。これは、親側から見た子供が家庭外で過ごす時間の減少が主な問題ですが、子供目線での生活の変化も大変大きいです。
保育園や幼稚園と小学校では、あまりに不連続な変化があります。
登校は、集団登校で子供たちだけ
下校は、個人毎
1クラスの人数は35人に担任1名(幼稚園も配置基準は同じ)
日中の活動は、机に向かう授業が基本
教師による成績評価と評価のために指導
私はこの中でも最後の1つが大きな変化だと思います。
保育園や幼稚園では、もちろん保育計画や教育要領に従った評価を行うこともあると思いますが、評価のために指導するというよりは、生活を整える指標という側面が強いと思います。
これに対して、小学校では、いわゆるお勉強が始まり、お勉強の成績が付き始めます。もちろん1年生でいきなり勉強面を強く押し出してくる学級は少ないと思いますが、勉強の成績という生き物としての生活と本来切り離されているものに成績をつけなければいけない、という制約から先生の生活面を含めた指導のレベルは大きく変化します。
この変化の中で、子供たちはいろいろな形でこれに適応します。
生活面が安定している子や学習面で問題のない子は、比較的に問題は少ないですが、学級運営において世話役を期待されます。
生活面で苦手が多い子は、適応に時間がかかったり、適応できずに登校できなくなる場合もあります。
学習面が苦手な子は、生活面に問題がない場合、学校には楽しく通ってくれますが、学習の理解が不十分なままに単元が進んでいき、次の単元はより分からなくなるという学習面の負のスパイラルに陥り、見過ごされる可能性や学習面の不安が、生活面での問題行動につながることもあります。
これらの問題が、家庭で顕在化する時期は、もちろん個々の子供で違います。
しかし、学校での生活の様子を日常的に直接見ていれば、困りごとを抱えている子は、1年生の早い段階からよくわかります。
単純な成長や学校生活の中で、自ら解決できる困りごともあるでしょうし、自ら解決する力を養うことは大切です。
しかし、多くの場合は、小さな困り事が連鎖的にほかの困りごとを発生させて、平均的な学びの量は減ってしまう事が多いと思うのです。
なので、いかにスムーズに、6歳の子供が自分で解決できない問題、あるいは35人の6歳児の集団に対して、担任1人では解決できない問題に、如何に外部の力を足して、解決しておくかが、とても大切だと思います。
誰が手伝うの? 親でしょ!
では、35人の6歳児の集団に担任1人では対処できない問題を解決するためには、誰が、何をできるでしょうか。
この問いを、自分の子供がいない、あるいは、学校とはすでに縁のない人が誠実に考えるのであれば、教員の配置基準を増やすとか、地域のボランティアを入れるとか、教員資格のない支援員を配置できるようにするとか、とにかく何らかのシステムの導入で解決するべきだと考えると思います。
しかし、現在、育児真っ最中の身として、はっきりと主張したいのは、
子どもが学校で困ってるなら、親が手伝いに行けばいいだろう!
という事です。
炎上対策を言うならば、これは、小さな所の努力で何とかしようという話ではなく、社会は、小学生の親が時々学校に手伝いに行くのが当たり前に必要なことで、それを容認できるようなシステムにしておけよ!という馬鹿みたいにデカい社会的通念についての主張です。
忙しい子育て世代がそんなこと出来るわけないだろ!という突っ込みをしたくなると思いますが、子育て世代は、子育てに忙しいんだからちゃんと子育てできるような社会の仕組みにしとけよ!と言っているのです。