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左派と右派の思想は地続きだというお話

政治の本質は、「暴力」だと思う。

警察と軍隊という暴力装置が、国家を国家足らしめていると本気で信じている。

左派と右派の差異は、どの範囲を一つの暴力装置を後ろ盾にするべきかというのが、議論の本質だという事を主張してみたい。

原初の人間集団の姿を想像する。

原始時代のご先祖様の事を想像してみよう。

まだ、現代的な感覚では人間と呼ぶには抵抗があるような、もっと動物的なヒトだった僕らの事だ。

生き物が群れを成すのはなぜだろう。
その目的は、大きく二つだろう。
身を守ることと狩りをすることだ。

草食動物は群れを成すことが多い。
群れことで警戒の目が増えて危険察知の可能性が上がる。
群れの一部が犠牲になることで個体にとっての生存率を上げる効果もある。

肉食動物は、群れを形成しないことが多い。
ライオンやオオカミなどは群れを形成して、出来るだけ広い縄張りを維持することを生存戦略にしている例だろう。

まだ、動物に近かったヒトは、きっと前者の目的で、群れを形成していただろう。生き物としてのヒトは、外敵を恐れて群れを成す性質を持っている。

国家や集落、農耕生活などが成立する遥か以前から、僕たちは身を守るために肩を寄せ合って生きていたのだ。

武器を持った弱者の集団

ヒトは技術の開発とともに徐々に人間になっていった。

最初は、猛獣を追い払うために木を振り回したり、石を投げつけたのが初めだったかも知れない。どんぐりの殻を割るのが億劫だったから石でたたいてみたのかもしれない。
外部の素材をうまく使って、生得的身体能力以上の効果を発揮する方法を積み重ねていったのだ。

当然、技術は外敵から身を守るためにも使われただろう。
生活圏の周囲に柵を巡らせて、外敵の侵入経路を限定したり、武器を持った夜警を立てたり、生活圏の近くに住む猛獣を緩衝地帯外に追いやるような遠征も行われたかもしれない。

武器の使用は、集団内の争いの質を変化させたはずだ。

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