親になったら勉強した方がいいこと
親になって1年目の時は、とにかく多忙だった。
生後2週間で、2週間ほどの山籠もりに行き、生後3か月で、3か月間の語学・機材研修での単身赴任、夏季休暇を挟んで、2週間の山籠もりがあって、終わって帰ってくる日に北海道での大地震があって、自分は派遣されなかったものの、1週間は駐屯地内での待機、やっと震災が落ち着くと日米合同訓練の機材支援班として1か月間他所の駐屯地内に泊まり込み、年明けは雪まつりの雪像制作隊の本部勤務で、1か月間毎日朝5時出勤の20時退勤、おまけに雪まつり本番中の大使訪問用のパネル資料の英訳を前日の21時に命じられて、翌朝、突然制作隊長通訳にされて、全くしゃべれずに撃沈。
結局、雪まつり支援が終わった頃、妻に、もう勘弁してくれと泣かれて、以後3年間にわたる、訓練不参加幹部生活が始まることになった。
まあ、当然の帰結だった。もともと縁もゆかりもない土地で、産まれたばかりの赤ん坊を一人で抱いて、頼りの夫は単身赴任、週末に帰ってきても疲れて寝てばかり、帰ってきたと思えば山の中にこもり切り、大地震でそこらじゅうが停電し、マンションも停電・断水になる中、夫は帰ってこない。冬は雪でほとんども身動きが取れず、買い物もままならないのに、夫は朝から晩まで帰ってこない。
1年間、本当によく耐えてくれたと思うし、あの時、本当に限界だとしっかりと訴えてくれて本当にありがとう。
そして、格段に家にいる時間が長くなり、保育園の送り迎えもした。
子供を育てることは、一瞬一瞬が判断の連続だった。
この時間に寝かせてしまって、夜は寝られるのか。
このタイミングでおやつを食べさせてしまって、夕ご飯は食べられるのか。
1日のスケジュールを考えるだけでも判断することは多い。
そのうえ、直近のスケジュールを優先して、自分でできる事を取り上げてしまうと、いつまでも自分でできるようにならない。
スケジュールの優先と子供の成長とのトレードオフが存在する。
そして、私が子供の成長を優先して、自分でやるように促して、息子がへそを曲げてしまったら、その後、スケジュールの調整のしりぬぐいをするのは、妻になってしまうことがほとんどだ。
子どもと接するという事は、短期的、長期的な影響と仕事、家族のスケジュールを考えながら、無限の選択肢の中からどんな対応をするのかを一瞬一瞬、判断し続けるという事なのだ。
勉強とは、無限の選択肢を有限の選択肢にする方法
この判断を助けるのが、「勉強」である。
自分の頭だけで、全てを考慮して、対応を0から考えだし続けることは難しい。
なにか、対応の基準が必要だ。
そんな時、誰もが一応持っている一つの基準がある。
「自分が親にどう育てられたか」である。
しかし、育児は、夫婦二人でするものだ。
お互いが、「自分が親にどう育てられたか」という、たまたま自分が持っているだけの基準をもとに判断をすれば、当然ずれやすれ違いが生じる。
なにより、自分たちの親と自分たちとでは、人格も能力も子育ての環境も時代も、子供の性質も違う。
その基準だけでは、今の自分たちの生活に合致した判断は出来ないことが多いだろう。
だから、夫婦は、二人で、今の自分たちに合った育児の仕方を勉強し、話し合っていかなければいけないのだ。
しかし、やはり、「育児の仕方」は、あまりに主観的で、無数の手法があるし、夫婦でそれぞれが良いと思う方法も違っているだろう。
なので、まず、ある程度客観的で一般的な基準を学ぶのが最も良いと思う。
そこで、おすすめなのが、発達心理学や児童学と呼ばれる学問だ。
児童学は、特に乳幼児期から小学校ぐらいまでの年齢を対象にしているのに対し、発達心理学では、広く加齢に伴い精神に訪れる「変化」を発達としてとらえて、生涯にわたる発達を対象としている。
親として、「育児」に携わるのは、20年もないほどの時間だが、その影響は、子供の生涯100年にわたって続くのだ。
その、短期、長期の視点の獲得に、児童学、発達心理学の2つの視点からアプローチするのは、有効なんじゃないかと思う。
また、発達心理学を学ぶことは、親から子への影響の大きさも学びながら、その限界にも触れることになり、子供の生涯が、親のかかわりだけで決定するものではないことを意識することで、子育ての不安を客観的に和らげることにもなると思う。