思えば、昔からパズルが好きだった。
数独アプリで遊びながら、今日のnoteは何を書こうか考えていた。
そしてふと思った。オレ、昔から論理パズルが好きだった。
初めにはまったのはマインスイーパーだった。
中学生の時にガラケーを買ってもらった。
auしか電波の入らない山奥の学校に通っていたので、auのケータイだった。
EZアプリと呼ばれる、auガラケー向けのゲームポータルの中で、極小キロバイト宣言というサイトのゲームが好きだった。
ああ神速の卓球よ
ああガレーの民
ガガガガッ
連結連続連動連鎖
どれも簡素な作りながら本当に面白くて、いつまでも繰り返し遊んでいた。
特に連結連続連動連鎖は、派手な演出があるわけでもないのに、脳汁がドパドパ出るすごいアプリだった。
タッチパネルでなく、ガラケーの十字キーでああいったゲームを遊んでいたのだから、人間の適応力というのは本当にすごいものだ。
そして、スライスイーパーである。
これは、そのまんまのマインスイーパーであったが、当時Windowsのプリインストールされているマインスイーパーの存在を認識していなかった私は、ここで初めてこの地雷探索論理パズルと出会ったのだ。
初めの内は、何も考えずにただただポチポチとフィールドを開いては爆発する。ただの運ゲーだと思っていたのだ。
時折、運よくパッと開くのがうれしかった。
そんなことを繰り返していくうちに気付いたのだ。
「これは、考えれば、地雷がある場所がちゃんとわかるぞ」
初めに”公式”の存在に気付いたのは、
□ □ □ □ □
121
この並びである。
直線状に数字が表示されており、”2”を”1”が挟んでいる場合、必ず両方の”1”の上に地雷があり、中央の”2”の上は安全地帯なのだ。
自力で公式を見つける事自体と、自力で見つけた公式を使う事の威力への興奮は凄まじかった。
しっかりと公式が頭に入っているので、フラグを立てる必要がないのだ。
いや、スライスイーパーが使用上フラグ機能がなかったのかもしれない。
そのことが、公式を頭、いや指に思えこませることにつながったのかもしれない。
おかげで、社会人になってのとある研修期間中に、ある特定用途のパソコンにだけ、Windows標準ゲームが残っており、自習時間中に同期とハイスコアを競っていたが、マインスイーパーで、私の右に出るものはいなかった。
標準の一番小さな盤面(9×8マスかな?)で4秒の記録はおそらく未だに、破られていないだろう。
そんなことに精を出す馬鹿が私しかいなかったわけではないだろう。
その後、高校生になると、ロジックゲームにはまった。盤面の上部と左側に数字が書かれており、数字の数だけ連続したマスを黒く塗りつぶしていくことで絵が完成するというゲームである。
これについても、相当にやりこんだ私は、途中から、絵で予想できてしまうのがほとほと嫌になったのだ。
純粋に数字のパズルを解きたいのに、現れてくる盤面からパズルを解かずに埋められてしまうのが耐え難かったのである。
その結果、ユーザーが、自分で作成した絵を、コード化して、掲示板で共有できるアプリを発見し、本来、他のユーザーが作った何かしらの絵になるコードを入力すべき欄に、ランダムな数列や、適当にコピペしてきた文章を入力することで、全く意味をなさない問題を生成しては解くという、ちょっと、今聞くと、自分の息子がそんなことをしていたら、なにかもっとましな趣味を持つように説得したくなるような遊びにはまっていた。
当時の私は、これが世界で最も知的な暇つぶしだと信じていたのだ。
書いていて本当に恥ずかしくなってきた。
その後、数独にもはまり、母親が数独雑誌に大量のメモを書き込んでいるのを見て、「数独はそんな汚い方法で遊ぶものじゃない」などと暴言を吐いたりした。
ナンプレで思春期をこじらせていたと思うと本当に赤面ものである。
その癖、未だに、XYチェインと呼ばれる解法が理解できずに、解けない問題にぶち当たることがあるのだ。
そんな時は、”美しくない”メモでぐしゃぐしゃの図面を作り上げることになる。
所詮人間なんてそんなもんだ。