コミュニケーションは今どこに?ジャズバーの話~ストック型社会とフロー型社会、老いの歴史から~
~COTEN RADIOの「老いと死の歴史」からの番外編を聞いている途中で~
私の聴いているポットキャスト番組「COTEN RADIO」で老いと死の歴史という回がありました。(数年前の収録)
ここで話したい内容とリンクする部分のみかいつまんで話すと、
◎「老い」というものは(身体的な衰えとか)実質的には個体差があって、何歳になったらこんなもんだ、ということとかは、自分たちや社会が決めちゃっているところが多いよね~、という話と、
◎ストック型社会(富を蓄積できる社会)とフロー型社会(ネイティブアメリカンみたいな、狩猟型社会で、獲物をとったら、その場で分けて食べるしかないみたいな社会)で年を重ねた人ができる役割や扱いが違い、ストック型社会の方が富や権力を蓄積できる
という部分があった。
そこで、ストックとフローについての話が盛りあがってくるのだが、以前流行った「クラブハウス」というアプリの話になった。(クラブハウスについては、私も一瞬触れてはみたものの、結局名のある人たちが集めている集会なのか?という認識で終わり興味も持てなかった。)はじめはフロー型だったのに、ストックできないという理由や、だんだんフォローをしあうストックしたい人たちの集まりになってきたそうだ。
その中で、わかしんさんが「趣味のことでその場限りで楽しむには最高の場所だったと思う」と言っていた。
そこで思い出したのが、私が20代前半で集まっていたジャズバーや、ミュージックバーの経験。通っていたジャズバーはもう無くなってしまった。
そこでは、20代も30代も、40代も50代も、60代も70代も、男女も関係なく、約束もせずにふらりと集まった人が、お酒を飲み、音楽をききながら、社会のことや、音楽を背景とした今昔について自由に話した。オーストラリア人もいた。若い人も自由に意見を言い、質問もできた。お酒も入っているので後腐れもない。
予定に組なくてもいい。行きたいときに行けば、誰かいることもあればだれもいないこともあった。その時はママとジャズを聴いて静かな時間を楽しんだり、思い浮かんだ質問を投げかけてみたり過ごした。
ああいう場が、今どこにあるんだろう・・・。
グループLINEでは、端的に気持ちを害さない表現方法で機嫌よく文章を作成。会議では、レジュメがあって、目的を意識し、手短に、なにかの結論を出す。コミュニケーションは今、どこにあるのだろう。
前、テレビで「その時だけ会話できる知らない人と会話をする」というアプリを使って毎朝ウォーキングしている人が紹介されていた。まさに、私のジャズバーなんだろう。
「遊びごころが足りない」という話があってまさに、それ。
とにかく、なんかもっと何も目的とかなしに楽しんだらいい。
楽しいことをやったらいい。
楽しいことやってると、残すのを忘れちゃってて、
写真撮り忘れた~、ってことの方が多くていい。
子どもには逆のことばかりさせているようで申し訳ない。
もっと遊べ!ただ遊べ!その思い出が、宝物になるんだ。頑張ったことや、探検したこと、できるようになって嬉しかったこと。結果じゃない。
もっと会話をしよう。