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アカデミー賞にはあんまし興味がないけれど

来週開催される「アカデミー賞2025」には、日本関連作品が3作もノミネートされているという。

ドキュメンタリー賞「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」
短編アニメ賞「あめだま」
短編ドキュメンタリー賞「Instruments of a Beating Heart」(映画「⼩学校〜それは⼩さな社会〜」の短編バージョン)

そのせいなのかなんなのか、今年の「アカデミー賞」のテレビ中継は、今までのWOWOWじゃなくて、NHKが放送するのだという。

NHKは「公共放送」だ。
毎年独占放送していたWOWOWを蹴落としてまで莫大な放送権を買い取る必要があるほど「公共性がある」とみなしたからなんでしょうけど…。

僕はハッキリ言って興味ない。

だって、この3作品は、驚くほど国内では話題になってないし。

エミー賞の時の「SHOGUN 将軍」の時の大騒ぎに比べると…ねぇ…。

ドラマ好きの僕としては、圧倒的にエミー賞の方に公共性を感じるのだけれど、それは個人の感想の問題なので仕方がない。

東京で生活していた37年間。

ゲイバーで仲良くしていた人たちは、映画好きが多かった。
僕が自分でうっかり「映画が好き」と公言したせいで、同じ趣味の人が集まってきたのだと思うけれど、その「好き」のレベルが違い過ぎて、僕は圧倒されてしまった。

こんなすごい人たちを前にして、自分は「映画好き」だなんて言えない、と、委縮してしまった。

皆さん本当にすごいのだ。
年間100本以上の新作映画を劇場で見るのは当たり前、みたいなレベル。

可処分所得の高い方々にとっては普通の趣味なんだろうけれど、僕の収入では、そんな頻度で劇場に通うことは無理だった。

前にも書いたけど、僕の生活費は、18歳のころからずっと、「毎月10万円以下」だったから。

それに、僕は元々映画館が苦手。

劇場によって上映の質(音響や映像の解像度)の差があるのに料金は同じだし、隣に変な人が座ったら嫌だし、尿意の問題もあるし…。

なのでいつも半年から一年遅れでレンタルビデオで鑑賞する程度。
みんなの話題は常に「新作」なので、あまり会話には参加できなかったなぁ。

で、「アカデミー賞」である。

今でこそ、日米公開のタイムラグが少なくなり、ノミネート作品を受賞前に見られる機会は多くなったけど、昔は、ノミネート作品の半分以上は「日本未公開」だった気がする。
むしろ、アカデミー賞を受賞した後で日本の配給が決まる、みたいな作品の方が多かったんじゃないかな。

まだ見てもいない映画の授賞式には全然ワクワクしなかったので、周囲の映画好きが「今年の予想」を語る会話にも全く参加できなかった。

だって、「まだ見てない」んだよ?

まぁいいけど…。

そもそも、米アカデミー賞は、アカデミー会員「のみ」の投票で行われるので、一般の人たちの感想は、あまり影響がないはず。

トナさんと知り合って間もなくの頃、一緒にWOWOWで「フュード/確執 ベティ vs ジョーン」という、物凄く面白いテレビドラマを見たことがある。

このドラマの中で、アカデミー賞を受賞するための「電話による根回し作戦」が描かれていて、興味深かったのを覚えている。

つまり、日本の末端で暮らす映画ファンには、アカデミー賞は、あまり関係のない世界なんじゃないか、てこと。
まぁ、このドラマはかなり昔の話なので、今は違うのかもしれないけれど。

実際、数年前には、米アカデミー会員の範囲が多国籍にわたるようになったため、「パラサイト」とか「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」みたいなアジア系文化の作品が、ようやく受賞しやすくなった、みたいな話を聞いたこともある。

だけど今のアメリカはトランプ政権下だ。

今年はどうなるんだろうなぁ。

という意味では多少興味があるので、「公共性」はあるのかしら?

日本の作品「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」が、ドキュメンタリー賞にノミネートされているけれど、常識的な流れで考えたら、やっぱり「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」が受賞するのが妥当だと思う。

これが受賞しなかったら、ハリウッドもやっぱりトランプには勝てなかった、ということになると思う。

ところで。

日本のネット上では、この「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」に関する誹謗中傷が溢れているのはなぜなんだろう、と、物凄く疑問に思う。

色々問題はあるのかもしれないけれど、僕が今一番「なるほど」と思ったのは、このnoteの記事だ。

100%同意見。

僕はまだ見ていないけど、この調子だと日本で見ることはもう不可能かも、というぐらい炎上してるしなあ…。
たぶん見られないかもね。
いや、配信だったら、なんとかなるかも?

期待してます。

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