カタカナ語ゼロヒャクではなく使いすぎには注意
このAI(人工知能)で出来ればと言う思想は危険かな?
AIと言うイノベーション(技術革新)
でももうしんどい。
YouTubeでもできないし。
音声アプリでもだべっていく。
そうそうYouTuberにはなれない。
底辺YouTuberがほとんどなんだから仕方ない。
そこまで知識も無かった。
ただ、焦っただけだった。
知識吸収が圧倒的に足りてない。
知識放出するにしても何でするか。
そして理想が高すぎる。
ソリューション(問題解決)の為の方法が今のハンディキャップを背負っているのでしんどい。
フリーランス(自由契約、会社や団体に所属していない労働者)として働けるだろうか?
イノベーションinnovation技術革新については日本は進んでいるのだろうか?
日本のイノベーションはゲーム機カップ麺、ウォシュレット、ウォークマン、QRコードか。
何か過去のものが多いし
日本人がQRコード使いこなせていない。
ダイバーシティは多様性。
インクルージョンは多様性と外国人、日本人、若者と老人LGBTが関係し合う社会、誰も見捨てない社会。
ノーマライゼーションが障害者と健常者が共生する社会。
私の住む街は外国人も多いですが「互いに関係し合う」ことは言葉の問題などで殆どありません。
とまあ、カタカナ英語、いやカタカナ語を使った文を書いたが、
やはりカタカナ語使いすぎは問題でしょう。全部日本語や漢字に言い換える事ができないことぐらいわかっていますが、使ってる本人もわからない、
A社B社C社のビジネスパーソンが使っているカタカナ語が統一されて無いなど、カタカナアレルギーが無くとも問題を感じずにおれません。
中には感覚でカタカナ語使っている人も多い。
勿論カタカナ語は必要不可欠のものもあります。
線引き(ボーダーライン)を引くことはできないのでしょうか?
文化庁や文部科学省がリーダーシップを持ってほしいものです。