セルフコーチング~過去の失敗との向き合い方~
※)タイトルでは敢えて「失敗」と書きましたが、起こったことをどう捉えるかは自分次第。「失敗」として思い出すようなネガティブなイメージを持っている出来事、という意味合いです。
過去のもやもやに対して、「その当時、上手く対応出来なかった自分」へのネガティブな評価を心のどこかで今も引きずっていると感じたので、具体的に書きながら振り返ってみます。
コーチングで学んだことを少しでも実践出来ればと思い、また自分を過去の自分を癒す気持ちも込めて記しました。
敢えて当時の辛かった気持ちを丁寧に思い返してみたので暗く長いですが、深堀りして書き出すからこそ、俯瞰して手放すことが出来ると信じています。
頭の中は「次にやるべきことの予習」or「やったことの反省」
仕事のこと、家・子供のこと、自分のこと、、、やるべきことに常に追われ続け、抱えきれずパンクしていた時、私の心・思考はいつも「ここではないどこか」にいたなと思います。
ちなみに、如何に余裕がなかったかというと・・・こんな感じです。当時の記憶を辿ると自分のやらかしばかりが思い出されます(これらはほんの一例です)。
いつも予定ギリギリで移動は常に小走り。出社もスニーカー必須。
しょっちゅう忘れ物をする(傘・携帯・マウス・社員証、、数えきれない程)
子供の習い事のスケジュール調整を失敗する(キャンセル連絡や振替設定を忘れる)
お財布を落とす
朝保育園送り後、鍵が無いことに気付く→保育園迄の道を再度往復→ドアに差しっぱなしの鍵を発見
反対方向の電車に乗る・乗り過ごす
ほぼ毎回お味噌汁を沸騰させる
電子レンジで温めた作り置きおかずを、翌朝まで電子レンジに置き忘れる
お風呂の栓を閉めずにお湯をはる
あまりにポンコツ故、私が「あ」と言うと5歳の娘から「今度は何を忘れたの?!」と即突っ込まれる
いつまでも減らないTo do listを見るのはとっても憂鬱です(→今は、自分で覚えきれない程のタスクを全て自分でやろうとするのはやめました。リマインダー等の便利機能は使いつつ、すぐ忘れてしまうくらい(多分)重要度が低いものは忘れたままにします)。
保育園のお迎えギリギリで自転車を飛ばしながら、頭の中はやり残した仕事の対応や、あの時もっと〇〇すればよかったかな・・等自分のやったことの反省点を考えていたり、お迎え後の帰り道に子供たちと会話しながらも頭の中は家に着いた後のご飯の準備をシミュレーションしていたり。もちろん最低限の段取り力は必要ですし、忙しいながらも全てをやり繰りして一日を終える達成感が楽しい時もあったのですが、当時の私は、自分がどこにいるのか・向かっているのか分からなくて、体力気力ともに落ち込んでいきました。
心の中では「自分へのダメ出し」
そして、周りを見渡せば、子育て・介護・身内の喪失・夢の為の勉強など、皆さん夫々にチャレンジングな状況があるなかで日々努力・工夫してやり繰りしているのに・・・自分のキャパシティの無さ・自己管理の出来なさを痛感しては落ち込み、恥ずかしい気持ちになりました。
思い返せば返すほど、当時の息苦しさがリアルに蘇ってきます。正直に言って、自分のダメさを直視したくない思いで振り返ること自体をこれまで避けていました。
でも、何が苦しかったのか、もう一段階掘り下げます。
セルフコーチング~自己認識の裏にあるアイデンティティ問題~
当時苦しさを感じる原因となった自己認識と、(その時は明確に把握していなかったものの)それぞれに対してどういうアイデンティティ問題を抱えていたか、私なりの考えを書き出してみました。
①自己管理が出来ていない(仕事、家事)→私は無能である
②子供たち、夫と十分に向き合えていない→私はよい母親、妻ではない
③自分の目標が分からない→私には確固たる自己がない
④制約ある働き方で職場に迷惑をかけている→私は無能である、そして同僚に好かれていない
そして、少し距離を置いて観察してみます。
そこで気付いた疑問は沢山あるのですが、そのうちの幾つかを以下に書き出してみます。当時自分の中では繋がっていると思っていた思考回路に、大きな飛躍や偏りがあることが見えてきます。
「じゃあ、何を、どこまで出来ていたら十分なのか?」
→これはグループコーチングでSayakaさんがして下さった問いで、今も意識している視点です。全てにおいて理想を体現出来ていれば素晴らしいですが、そうではないことが殆ど。特に自己否定的になっている時は、自分の中で現実的且つ具体的な目標を持っておくと、永遠に遠ざかっていくゴールを追い続けるのに比べて、とてもヘルシーなマインドセットだと気付かせてくれました。最初はスモールステップで良いから(例:最低週2回は夕食を作る)、小さな目標を達成して自分に対する信頼を積み重ねていくことで、最終的には大きな挑戦に踏み出す勇気・自信が生まれると感じています。
「好かれていないと感じたのはどんな場面か?不十分な情報をもとにネガティブな憶測をしていないか?」
→圧倒的に自信を失って小さくなっていた私は、「無能で、迷惑をかけている自分が好かれるはずがない」と思っていました。そして、同僚とのコミュニケーションで気まずかったり、傷付くことがあると、「やっぱり好かれていない」と無意識のうちに自分に言い聞かせていたのかなと思います。いま冷静に思い返すと、同僚の言動の意図を正確に理解する十分な判断材料が無いままに、自分の中で生じるネガティブな反応・解釈をそのまま「事実」と思い込んでいたことが沢山あったのでは、と考えます。
「相手の抱える問題を、自分が解決すべきものと考えていないか?自分の抱える問題を、相手が解決すべきものと考えていないか?」
→内省するプロセスの中で、私がコントロール出来ないものをコントロールしようとして苦しくなっているのではと気付く瞬間がありました。例えば、周囲にいる人が発するネガティブな感情(ストレス・苛立ち)に対して、何でもかんでも自分に原因があるのではと感じる時がありますが、相手が何を感じ・考え・行動するかは私にはコントロール出来ないし、しようとする必要もない(すべきでもない)。一緒に取り組むべきタスクがあるなら取り組みますが、相手をHappyな状態に保つことを自分の責任だと思う必要はない。
また、例えば夫に漠然とした不満を感じているのに、自分が心の底で何を求めているか明確にせずにただむっすりしてしまう時。掘り下げていくと本当は自分の中に先ず向き合うべき課題があるのに、何故か「夫が〇〇してくれたら」に置き換えて無意識のうちに目を逸らしたりしていました。
※この点は書き始めると長くなるので別の機会に纏めます。
「自分の大切な人が同じように悩んでいたら、何て声をかける?」
→「十分、十分すぎるくらい頑張っているよ。自分ではそう思えなくても、私は見ているし分かっているよ。昔からスーパーマンを目指しているようなところがあって、常に成長しようとする姿勢は尊敬しているけど、自分が辛くなるまで抱えずにもっと頼ってくれたら嬉しい。いつでも全力で応援しているし、必要とするときは必ずそばにいるから、覚えていてね!」
コーチングを学ぶ中で最初にこの質問例を見たときには、「人に対してはそう思えても、自分に対する見方はそう簡単には優しくなれない」と感じていましたが、今回本気で想像して書き出してみて、繰り返しやっていくと「(自分に甘いとかではなく)Fairな意味でそういう見方もあるかもしれない」と思えるようになりました。
「10年後の自分は、いまの自分をどう振り返る?何てアドバイスする?」
→「結果的にはベストな方法ではなかったけど、あのとき無理をしてでも頑張っていたのは、それだけ私にとって家庭も仕事もすごく大切なものだから。その気持ちはきっと家族にも職場にも伝わっているよ。それに、体調を崩したり強制的に立ち止まる機会があったから、人生の転機になるコーチングとの出会いがあった。これからも色んなことが起きると思うけど、自分を信じて進んで大丈夫!」
「いま自分が制約だと思っているものを全部なくしたら、どんな感情が出てくる?どんな毎日を送りたい?」
→きっと自分に対する確固たる信頼感で、深く根を張った大木のような安定感・エネルギー・静寂を感じる。
→五感をフルに使って目の前の一瞬一瞬を噛み締める。大切なひとたち・自分への愛と感謝を感じる。頭と心が繋がった行動をする。
全部は書ききれないけど、セルフコーチングをしてみてもやもやの本質(≒偏りのある自己認識)が見えただけでなく、よりFairな目線で再認識することが出来ました。
苦しい時ほど周りが見えなくなって空回りしてしまうし、ネガティブな感情の威力は本当に強いです(人間の生存本能として、ネガティブな感情の方が強く残るのは自然なことだそうです)。
今回セルフコーチングで時間をかけてしっかりと掘り下げた結果、最後ふとした瞬間にとても自然な形で新しい視点を受け入れられたのですが、その時の清々しい気持ちはずっと忘れられないと思いました!
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